晩餐会の夜に

みいち

第1話

「スコーンを食べたことがないなんて! それは喜びを知らないようなものよ!」

 晩餐会の会場に、霧の女王の驚きの声が木霊した。

  

 桜舞う帝都を訪れた霧の女王を歓待する晩餐会は、その直前まで行われていた条約の締結のための会談とは打って変わって、非常に和やかに取り行われていた。

 目にしたことのない食材と調理法に驚きながらも舌鼓を打つ女王と、それらの解説を細やかに行いながら、彼女をあたたかく見守る皇帝。

 その空気が一変したのは、食後に提供された緑茶を口にした女王が呟いた、とある一言からだった。

「おいしいわ。きっとスコーンにも合うのでしょうね」

「すこーん……それは、君の国の食べ物かい?」

 そのときの女王の表情は、長年仕えてきた中で目にしたことがなかったものだったと侍女頭は後に語る。

「スコーンを食べたことがないなんて! それは喜びを知らないようなものよ!」

 言い募る女王に、困ったように皇帝は眉を下げる。

「そんなことを言われてもなぁ。君がそう言うならよっぽど素晴らしい食べ物なんだろうね」

「ええ、ええ。そうよ! ……そうだ、良いことを思いついたわ!」

「いったい何を?」

「それは、後でのお楽しみよ」

 そう言ってすぐに話題を切り替えた女王に、皇帝もまた追及することはせずに新しい話題への相槌を打ち始めた。

 

☆☆☆ 

 

 晩餐会から数刻後、御所の寝所で筆を取っていた皇帝はその腕を止めて部屋の片隅へ視線を向ける。

「どうやってここに? ――神官たちが泣くなぁ」

 何もないように見えたそこから現れたのは、軽装に身を包んだ霧の女王の姿だった。

「私を誰だと思っているのかしら、あなたの『まじない』を阻んだ者よ」

「……そうだったね。それで、僕をどうするつもりだい?」

「どうにも。私、あなたとお茶会をしに来ただけだもの」

 そうして女王が掲げた藤の籠に入れられた見慣れぬ茶器と菓子に、皇帝はその瞳を丸くした。

 

 手際よく座卓に準備された琥珀色の液体、そして丸い焼き菓子と煮詰められた果実に皇帝は首を傾げる。

「これは……緑茶のようなものかい? そしてこの菓子は……」

「これがスコーンよ」

「なるほどこれが……」

 興味深そうにスコーンを見つめるだけの皇帝の前で、女王は自らの手に取ったそれを割ってたっぷりとクロテッド・クリームを塗る。

「こうして食べるのよ」

 その言葉と共に唇の前に伸ばされたその欠片を、皇帝は唇を開いて受け入れる。

「どう、美味しいでしょう?」

 笑顔の女王の前で、ゆっくりとそれを咀嚼した皇帝は頷く。

「――うん。君が絶賛するのもわかる気がするよ。これは誰が作ったものだい?」

「私よ」

「……君は不思議な管理者だな」

 そう呟いてから、皇帝は華奢な陶器に入れられた琥珀色を口に含む。

「君が、障壁で僕たちの『まじない』を阻んだときから、ずっと疑問に思っていることがある」

「どうして、君はこの終末計画を阻むんだい? このまま世界が存続し続けたときに民に起こる悲劇は、君にも視えているはずだ」

「――ええ。それでも」

 真っ直ぐに皇帝を見つめる女王の視線が、彼のそれと交わる。


「私は、人の可能性を信じています」


「だから、あなたも一緒に。私と戦ってください」

「僕からも言うよ。一緒に世界を滅ぼそう。美しいこの姿のまま」

 沈黙が寝所に落ちる。

 重いそれを破ったのは、霧の女王が立ち上がる衣擦れの音だった。

「私は諦めません。あなたも、世界も」

「思うようにすると良い。僕も自分が正しいと選んだことをする」

 それが、誰より近くて遠い二人の別れの言葉だった。

 

 

 一人残された寝所で、桜の君はスコーンを咀嚼する。

「――あぁ、これが。『美味しい』という感情か」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

晩餐会の夜に みいち @miichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ