独白4
私の父は、大変食に厳しく、思慮深い人でした。
実際には、私の記憶に父はおらず、母の言葉で知る限りの伝聞になってしまうのですが、母がいつも食事の前に父の言葉を家訓の如く申しておりましたので、間違いないと思います。
「食べると云うことは、命をいただくと云うことです。命をいただくと云うことは、食べたものと一体になると云うことです。共に生きていくことを感謝して、最後まで頂きなさい」
童謡の歌詞の内容が分からずとも歌えてしまうように、恥ずかしながら当時の私はこの言葉の意味がとんとわからないままに復唱し、食事を行なっておりました。
私が五歳の頃、夕食に出されたピーマンの肉詰めを大変苦く思い、コッソリ味噌汁にピーマンを沈めて下げようとしたことがありました。
それに気づいた母は、怒るでもなく、叱るでもなく、ただ悲しげに
「お父さんが見たら、悲しむと私は思います」と一言、言うのです。
母がそう言うなら、きっと悲しむのでしょう。
私に反論出来る言葉などありません。
「食べ終えるまで、席から立っては行けません」
私と母と、土左衛門のように浮かぶピーマンの無言の食卓は、まるでどこか違う惑星の様に重力を増し、時間と味覚の機能を一時的に停止させるには十分でした。
私はここぞとばかりに、苦くなった味噌汁を流し込みました。
それ以降も、トマト、ゴーヤ、パセリ、ししとう、ピータンと、あらゆるモノに対しても父が悲しんでしまうので、私は味噌汁に入れて流し込みました。
父が悲しまぬよう、どんなものでも残したことはありません。
味噌汁に入れてしまえば、なんでも流し込めるのす。
ですが、給食では味噌汁は出ません。
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