第30話 謙虚に生きようと思った話

自分で言うのもなんだけれども、私は字がうまいです。

それもそのはずで、4歳から10年間習字を真面目にしていたからです。

飲み込みがいくら遅くても、10年毎週通って習字に取り組んでいれば、字はうまくなります。


小中学校はいじめられっ子でしたが、習字のときだけは無双でした。体育では笑われものになる私でも、習字が教室の後ろに掲示されると誰も馬鹿にしてきはしません。


「クラスで一番字がうまい」と本気で思って10年以上生きてきましたが、突然転機が訪れました。


それは、高校1年生の頃のことです。

習字は選択科目になり、私はあえて習字をとらず、音楽を選択しました。

理由は、誰にも負ける気がしないし、音楽の先生から「弦楽器教えるから来てね」と勧誘を受けたからです。


どうやら音楽室には、人数分のギターがあるらしいということで、選んだわけです。

ギターが弾けたらかっこいいな〜ワクワクということで。



ある日のこと。

席替えでとても変な男子の隣になりました。男子をA君とします。

何が変なのかというと、休み時間になると時々赤いスリッパを頭の上にのせて、体をゆらしてはスリッパを落とし、また同じことを繰り返すことです。


私は休み時間にその場で、図書館で借りた文庫本を読んでいたので、とても気が散りました。

イライラしました。


ただ、唯一の救いは彼が習字を選択していたことです。

選択科目の間は離れられます。


いつまでたってもやって来ない弦楽器の授業を待ちわびつつ、音楽の先生のお父さんが作った謎の曲を何ヶ月も練習しておりました。

「先生に何か言いたいことがあったら、部屋に来なさい」と言われていたので、何度「ギターはよせい!」と抗議しに行こうと思ったことか。しかし、その部屋はホルマリン漬けの動物がいっぱい置いていて、変な匂いがするので、なんとなく関わりたくなく、そのままやりすごしました。


ある日のこと。

A君が、朝礼で表彰されました。突然のことでした。

しかも、習字での表彰でした。


私は知っていました。席替え前にすでにA君の字はとんでもなく汚い字であることを。

クラスメイトの誰かがA君の書いた習字を見せびらかしていたときに知りました。

しかもなぜか「ぱんつ」と書いてありました。


ーー 一体何が起こったんだ!?


職員室前に飾られた、表彰された彼の作品を見に行きました。

もちろん人だかりが出来ておりました。

みんな「すげえ」と言って感心をしております。


やっと順番が回ってきて、習字を見ることが出来ました。

なんと、そこには・・・



習字が書かれていません。

「は?」って感じですよね。でも本当に書かれていないんです。


あったのは、爆発した墨でした。

タイトルは「原爆」と書いてありました。


風の噂で聞いた話です。

字を書くのが嫌いなA君は(なぜ習字を選んだんだ)、強制的にコンクールに出品しなければいけないことに抵抗をしていたそうです。


どうしてもということになって、怒ったA君は、水風船の中に墨汁を入れて、半紙の上でパーンと針でつついて水風船を破裂させたそうです。


隣の人もいい迷惑だったでしょうね・・・。

(被害者の話は不明)


でも、作品のコンセプトはやっぱりすごかったんです。

色が消えてしまう世界。襲ってくる黒い闇、黒い影。


一方私の習字はただなぞるだけです。

それで誇るのは本当に恥ずかしいことです。


自分が何かうまいとか優れているとか思っても、すべてを超越したトップというのが必ずいる。だから自分の力に溺れてはいけないと。

これを10代で知ることが出来たのは大きな財産でした。



そして、気になる弦楽器なのですが、なんと年明けに登場しました。

「さあ、みんなでお琴の練習をしましょう」

先生が人数分のお琴を出してきました。


ふざけんな!


以上。


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