第89話 幕間 影で蠢く思惑

冒険者と狩人ハンターによる一騎打ちが終わり、本来の静けさが戻ったヘルタの大森林。

勝利を収めた冒険者は救出した少女を連れて街へと向かい、瀕死の重傷を負った狩人ハンターは仲間たちに助けられながら何とか命を繋いでいた。

互いに自分の進むべき道を邁進する。背中を向け合った二人の姿がそれを物語っていた。

だが、そんな一件落着と言いたげな雰囲気の中、森林地帯の遥か上空にポツリと霞んだ影が彼らの姿を見下ろすように漂っていた。


「ガルバーめ……これだけ御膳立てされておきながら、全く使えん奴だ……」


多大なダメージによって霞んだ影となった黒装束の男は、眼下で敗北を喫した狩人ハンターを眺めて憎らしげに顔を歪めた。

冒険者を多少なりとも消耗させ、決闘の舞台まで用意したにも関わらず完璧に打ち負かされたのだ。これでは狩人ハンターの名折れにも程があるというものだろう。

本来ならば己が手で命を奪い去ってみせるのだが、残念ながら黒装束の男にも既にそんな余力は残っていなかった。


「くっ………これではザンパー様に合わせる顔がないが、これ以上の失敗を重ねることは我々の計画に支障をきたしてしまう。何よりあの女狐を調子づかせるのが気に食わん……」


黒装束の男は自らの主であるザンパーのすぐそばで余裕の笑みをたたえている妙齢の美女を思い浮かべ、嫉妬にも似た苦々しい感情を胸の奥にまき散らした。

今も主の隣で人を小馬鹿にする忌々しい笑みを顔に貼り付けていることを考えると、今回の失敗に対する後悔がますます大きくなってくる。

だが、黒装束の男はそれで激情に駆られ、行動を乱されるほどやわな人間ではなかった。


「…………決行まで時間もない。このまま貴族を誑かすにも一苦労だが、私は欲を出さず影に徹するとしようか。しかし、布石は打たせてもらった。次こそは何者にも不覚を取られんぞ……!」


黒装束の男は力強い眼光を漲らせると、溢れ出ようとする殺気を必死に抑えつつ、ヘルタの大森林の上空から踵を返して離れていった。

だが、影となって消える直前、ふと森林の中を疾駆する冒険者の姿が視界に入ってきた。

何度見ても上級冒険者とはとても思えない貧相な外観の装備に身を包み、今回の作戦を見事に邪魔してみせた諸悪の根源だ。


「それにしても、あの冒険者は一体何者だったのか……まあ冒険者ならば、依頼さえ済めば用もなくなるだろう。そもそも我々の作戦に勘付いている様子もなかったことだ、大した障壁にはなるまい」


黒装束の男は眼下でアイドルの少女と仲睦まじく雑談している不愛想な冒険者の姿を興味なさげに一瞥すると、その後を追うこともせずに空気に溶け込むように消えていった。

彼が見落とした可能性が尋常じゃなく大きな障害になるとは露ほども知らずに。


☆☆☆


さて、イツキと黒装束の男やガルバーら狩人ハンターたちとの間で繰り広げられた激闘から数時間後、エルネストリア内のどこかにある山中で魔王軍残党のたった二人の幹部たちが向かい合っていた。


「ザンパー様、どうやら影使いのスカーが作戦に失敗したようです」


岩肌がむき出しになった薄暗い洞窟の部屋の中で、スラっとした細身にぶかぶかの軍服を着た妙齢の美女が機械的な声音で報告書を読み上げる。

感情の乏しい起伏のない声のため全く緊張感が伝わってこない。

だが、それとは対照的に、すぐ隣でそれを聞いていた鳥の怪人は表情を驚愕に染めると、座っていた仰々しい椅子から勢いよく立ち上がった。


「なにぃ……!?あれほど用心するよう命じたにも関わらず失敗するとは一体何事だ!?」

「どうやら、何者かから依頼を受けた冒険者が邪魔に入ったようです。雇っていた狩人ハンターもその冒険者に蹴散らされ、スカー自身も深手を負ったとのことです。要は完敗ですね」

「冒険者だとぉ?なぜ洞窟漁りばかりしている連中が依頼など……そうか、この忌々しい街には腐るほど冒険者ギルドがあるのだったな。して、どこのギルドか調べはついているのか?」

「いえ、それが一人の冒険者が単独で突破したようです。特徴は小さな人形を引き連れ、薄汚れた装備に身を包んでいるということだけ。これでは調べようがありませんね」


即席で作られた薄っぺらい報告書をパラパラとめくりながら、カサンドラが興味なさげに原稿を棒読みする。

その淡々と状況を伝える様はある意味では冷静沈着と呼べるだろう。まあ彼女の場合は単純にやる気がないだけかもしれないが……。

しかし、彼らの主であるザンパーは現魔王軍の一角を担う強者が敗れたという衝撃の事実に、誰よりも深い動揺を顔に浮かべていた。


「たった一人で、だと……!?いくら諜報が本職のスカーとはいえ、並大抵の輩に敗北を喫するほど容易くはないはず……!一体何者だ、そんな化け物同然の冒険者は!?」

「恐れながら、先ほど申し上げた通り正体は掴めておりません。今回はあくまでも本筋から逸れた保険でしたので、監視の者も配置しておらず、行く先もエルネストリアの街であること以外は判明していませんでした」

「そ、そうだったな……。だがッ!いくら素性の知れない冒険者であろうと、我ら魔王軍の前に立ち塞がるのであれば蹴散らすのみ!手始めに、このオレ様が直々に葬り去ってやろうではないか!!」

「残念ですが、ザンパー様の筋骨隆々と肥大した肉体では即見つかって打ち首になるのがオチですので、ここで静かにしていて下さい」

「そうかそうか………あれ?実は滅茶苦茶バカにされてないか?」

「滅相もございません。ザンパー様の鍛え上げられた強靭な肉体を傷つけるわけにはいかないという私の愚心から出た言葉です。ザンパー様は我々魔王軍の要にして、今は魔王様に代わって指揮を執っている御方。そんな精神的支柱である大将が前線に出るなど、我々配下の軍勢が無能であると言っているのと同義です。ここは我々にお任せ下さい」


カサンドラによって淀みなく並べられた美辞麗句を前にして、ザンパーも圧倒されたように「そ、そうか………ならいい!」と言葉を返す。

誰の目にも明らかだが、これは確実に内容を理解していない反応だ。何なら勢いよく立ち上がったにも関わらず部下から『静かにしててね』と言われてしまい、若干やり場のない気まずい雰囲気になってしまっていた。

そして、沈黙が続くこと数秒、ザンパーは何気なく咳払いをしながら再び椅子に腰かける。


「おほん……!では、カサンドラよ。報告を続けてくれたまえ」

「恐れながら、ザンパー様。気まずい時に限って仰々しい語り口になるのは少々情けなく見えますのでお控え下さい。あと、報告は以上です」

「貴様ぁぁぁぁああああ!!オレ様が気にしていることを堂々と口にするな!!」

「ザンパー様、落ち着いて下さい。逆に考えていただくと、私の前だけで済んだと思えば十分ではないでしょうか?私自身もご指摘するのは躊躇われましたが、これから上に立つ者としてザンパー様には是非凛とした姿をしていただきたいという老婆心からこの度はお伝えいたしました」


ピリついた雰囲気の中であっても、カサンドラは変わらずつらつらと途切れることなく言葉を紡いでいった。

そして、地面に垂れた首から視線を上に向けたカサンドラの視線と、じっくりと見定めるように視線を下ろすザンパーの眼光が交錯する。


「…………カサンドラ、貴様、やはり切れ者だな」

「お褒めに預かり光栄の至りでございます。ですが、恐れながら、一点だけ報告を漏らしていた項目がございました。スカーが印の実験を済ませ、実戦での投入も終えたとのことです。完璧な実用化には間に合いませんが、いずれ大きな戦力になるでしょう」

「おお、そうか!それは良い話を聞いた。では、あとのことは貴様に任せる!作戦の決行まで完璧に仕上げてみせろ!」

「はっ!このカサンドラがつつがなく務め上げてみせましょう」


カサンドラは美しい動作で再び首を垂れ、ザンパーの言葉への同意の意を示してみせた。

まるで最初から読み切っていたかのように華麗な手のひら捌きだ。彼女の前では大抵の者は上手く煽てられて調子づいてしまうことだろう。

それ以上にザンパーの頭が切れてなさ過ぎるのも事実だが……。

しかし、それは同時にザンパーたち魔王軍に余裕があるということを意味していた。


「我ら魔王軍の名が再び世界に轟くまであと僅かだ……!フハハハハ!待っていろ!」


薄暗い洞窟の中で、鳥の怪人が湧き上がる闘志を胸に不敵な笑い声をあげた。そして、その声はこれから始まる惨劇への号令をかけるかの如く高らかに響き渡っていった。


「ザンパー様、居場所がバレるので大声は控えて下さい」

「あ、はい、すいません」


…………うん、たぶん、きっと何かをするに違いない。

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