第47話 鍛錬と思惑
早朝のレイルラン劇場の空き地。
まだ鳥たちも欠伸をして怠けているような明け方だ。
仄かに暖かな朝日が包み込むように照り付ける中、程よいリズムで鳴り響く風切り音がその静かな空間を駆け抜けていた。
「ふ……っ!はぁ……っ!せやぁ……っ!」
鋭い銀閃が滑るように地を撫で、鮮やかな剣戟が空を斬り裂いていく。
細かな手首の捻りと一寸の狂いもない重心移動、そして、万物を切り裂く力強さ。それらを全て目にも止まらぬ神速で繰り出しているのだ。それこそ、まるで剣が宙で踊っているかのような錯覚に陥る。
もし観客がいれば万雷の拍手と共に喝采を博するほどの芸術的な演舞だろう。
そう。場所は違えど、元勇者イツキはいつも通り朝の鍛錬に勤しんでいた。誰に見せつけるでもなく、たった一人で黙々と。
「(心頭滅却すれば火もまた涼し、とよく言われるからな。気が散るような時ほど、冷静に状況を整理するべきだ)」
流れるように刻まれていく美しい剣閃とは対照的に、イツキの胸の内は乱れに乱れまくっていた。
それはもう荒れ狂う嵐の海のように。
とは言うものの、レイルラン劇場での生活、いや、ニフティーメルと共に過ごす生活は、イツキの予想に反して普段とさして変わるものではなかった。
護衛依頼の条件として提示されたのが『指定する時間以外は冒険者稼業を続けていい』というものだったため、住まいがレイルラン劇場になる以外に劇的な変化は起こらなかったからだ。
けれど、この状況で心までもが普段通りにいくわけもなく、頭の中までもが困惑と興奮の嵐で埋め尽くされていたため、こうして早朝に鍛錬をしながら心を落ち着かせていたのだ。
「(落ち着け、俺。浮かれる気持ちもわかるが、今は自分の目的を達成するのが最優先だ)」
そもそもイツキがニフティーメルの問題に介入した理由は彼女たちの解散を防ぐためだ。間違ってもアイドルと同居してムフフな生活を送るためでは、決してない。
状況を整理しよう。
まず、ノエルが封印の影響でエルネストリアから動けないことはイツキも把握している。つまり、ニフティーメルはこの街の外で活動することができない。
あの元魔王がどこまで明かしているかは不明だが、恐らくこれが足枷になっているのだろう。
すぐにでも解決してやりたいところだが、これは封印を施したイツキ自身にもどうしようもない縛りであり、早急に対処するのは無理がある。
それならば、そもそもニフティーメルがこの街を追い出されないようにするしかない。
「(フィーネの情報によれば、この土地をルーベンとかいう貴族が私兵隠蔽のために買い取ろうとしているわけだ。そして、こうして面倒な事態になっていることを鑑みると、それをアンネたちが突っ撥ねたことになる)」
大胆な手に出たものだ、とイツキはその無謀な選択を称賛した。
己の正しさを貫き通す心の強さこそが、困難な道を切り開くきっかけになる。そうすれば、その正しさを支えてくれる者が必ず現れるだろう。
この異世界では自分の身は自分で守るのがセオリーであり、そのために“自分を助けてくれる他者”というカードを用意しておくべきだ。
インターネットも電話もないこの世界では、人と人との繋がりこそが絶大な力を持つ。たとえ戦いが不得手な者であっても、自身の持つ才能や魅力を活かして多くの繋がりを築くことで、危うい事態を未然に防ぐことができるというわけだ。
だが、それを存分に悪用する者もまたいることも事実だ、今回のルーベン伯爵のように。
「考えれば考えるほどイライラしてきたな…!クズ野郎が…!」
今更のように、イツキは暴挙に出た貴族への怒りを露わにした。
ギルドだ、私兵だ、と何様だ。俺は勇者だぞ?そんな俺が心の底から敬愛し、この世界の希望の星であるアイドルを追い出そうとするとは言語道断だ!
そして、剣を握る腕にグッと力が入った途端、剣圧だけで周囲に植わっていた樹木が根こそぎ倒れた。
「…………………しまった」
後悔するも、時すでに遅し。
盛大に土埃が舞う中で、イツキは自身の力の扱いにくさを改めて恨むのだった。
☆☆☆
魔法を駆使しながらせっせと樹々を元に戻した後、イツキは改めて孤独な鍛錬を続けながら再び思考の海へと潜っていった。
「(一度戦闘になった以上、今さら交渉のテーブルに着くことはないだろう。貴族共の考え方は短絡的だが、それ故に姑息な手段も厭わない下劣さを持ち合わせている)」
戦争を経たことで、イツキは彼らの厄介さを十二分に理解していた。
事が始まってしまった後に無かったことにすることはできないし、戦いを避けることもできないだろう。
だが、イツキはまだ表立って行動を起こすつもりはなかった。
「(ルーベン伯爵を引き下がらせるためには相応の理由が必要になる。それも、誰もが非を認めざるを得ないほど決定的な何かだ。フィーネの情報だけでは、特大の打ち上げ花火にはまだ少し火力が足りない)」
イツキは確実にルーベン伯爵を仕留める手を探っていた。
冷静に、冷酷に、冷徹に。
権力への腐心とお仲間同士の連帯感だけは一人前の貴族を相手に、私兵隠しなどというグレーゾーンに手を出しても逆に反撃の隙を与えるだけだ。
「(仕留め損ねれば、そこでジ・エンドだ。こちらには幾度も戦うだけの余力もなければ、反撃を用意する時間すらないのだからな)」
貴族を叩き落すためには、他の貴族すら擁護のしようがないほど爆発力のあるスキャンダルが必要だ。
何せ支配階級の一角をただのアイドルがひっくり返そうとしているのだ。生半可な事件では世界は動いてはくれない。
そして、フィーネの反応を見る限りでは、あの情報バカの手にもまだ必要なカードは揃っていないようだ。
「(こんな卑屈な手段を選ぶ貴族は、どうせ自分の力を過信しているロクでもない輩だ。事が思うように進まないとなれば、すぐにでも何らかの強硬策に打って出るだろう。待てば自ずと事態は動き出す……必ずな)」
下手をすれば問答無用で劇場が解体される緊迫した局面を前にして、イツキはそう読んでいた。
一度アンネを襲撃して失敗したのだから、次は敵の持つ選択肢の中でも確実かつ強力なモノを使ってくるはず。誰だって二度も失敗はしたくない、と考えるのが道理だからだ。
そして、それこそが反撃の好機になる。有能な隠し玉を使うということは、それだけで相応の情報を晒すことになる。
イツキが狙っているのは、その尻尾を掴むことだ。
「お前たちが手を出したものの重大さを思い知るんだな」
イツキは静かに闘志を燃やしながら、その顔に悪い笑みを浮かべる。
かつて“常に冷静沈着で人間味がない”とまで言われていた勇者が、それはもう前代未聞なほどキレていた。
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