第48話 一日のはじまり

「ん………?」


イツキが心を乱さぬよう集中力を高めていた時だった。

観客など誰もいないにも関わらず、どこからともなく拍手が聞こえてきた。耳ざわりの良い軽やかな拍手だ。

どこだ…?と思い、イツキが背後を振り返ると、容姿端麗なエルフの少女ティルザが手を叩きながら感心した表情でこちらに近付いてきていた。


「すまない、つい見惚れてしまっていた。しかし、本当に素晴らしいものだな、イツキ殿の剣舞は。噂に聞く勇者の剣技にも劣らないだろう」


ティルザはまず鍛錬の邪魔をしてしまったことを謝罪すると、イツキの剣の腕を手放しで褒め称えた。

まだ日も昇り切っていない明け方だが、少し汗ばんで湿った服から察するに、ティルザも早朝の運動をしてきたのだろう。普段から生真面目なティルザらしい。


「お褒めに預かり光栄だ。だが、期待に沿えず申し訳ないが、俺はしがない冒険者でしかない」

「あ、いや、別に高名な方であって欲しいというわけではない。それだけ見事だったと伝えたかっただけさ」


イツキが言い放った皮肉たっぷりの答えに、ティルザは気分を害したと思ったのか少し焦りながらフォローをする。

疑われないためとはいえ少し意地悪が過ぎたか……とイツキは言ってから若干後悔をした。

勇者であることを明かしてもいいとは思うが、依頼の達成には百害あって一利なしのため、あまり積極的に伝えたくはないのだ。

この肩書きがここまで厄介な代物だとはな、とイツキが内心苦々しく思っていた時、ティルザが物憂げな視線でイツキが握っている長剣を眺めていることに気付いた。羨望と郷愁の混ざり合った、そんな眼差しだ。

イツキには、その視線の意味がすぐにわかった。


「剣を習っていたのか?」

「……生家で少しだけ。だが、あいにく剣術の才能は皆無でな。厳しい鍛錬ばかりですぐに心が折れ、稽古を抜け出しては街中で披露されている美しい魔法に興味を惹かれていたものだ」


ティルザは薄っすらと笑みを浮かべながら、まるで遠い過去を懐かしむように語った。

戦場にいればよく見かける典型的な脱落者の表情だ。

悔いはあるが、諦めもついている。そんな少し物悲しい顔だ。何か言ってあげるべきなのかもしれないが、今のイツキにはかけるべき言葉が何も思い浮かばなかった。


「そうか……」

「ところで、イツキ殿は何も聞かないのか?私達のことを」


ティルザは物憂げな感情を引きずるように、イツキへと疑問を投げかけた。

魔法適性の高さは上流階級の証。

アイドルという存在の大半は、言うなれば魔法の英才教育を受けた貴族の子供たちなのだ。そして、その中でも剣術をこなす貴族となれば、さらに数が限られてくる。

情報屋フィーネにでも聞けば、ここにいる少女たちの血筋などすぐにでもわかるだろう。

だが、イツキにとっては興味のない話だ。


「聞いてどうする。先日会ったばかりで信用も信頼もない冒険者に、特別な何かを教えてくれるわけでもないだろう。そもそも俺がそれを知ることにメリットがない」

「そうだな……そうだった。私としたことが少し意識し過ぎていたようだ。申し訳ない」

「別に謝ることでもないだろう。俺はただ依頼を完遂する、それだけだ」


イツキはぶっきらぼうに言い切ると、手に持ったままだった剣を静かに鞘へと戻した。

その無骨な態度を見て、ティルザが口元を抑えながら可笑しそうに笑う。


「ふふっ……やはりイツキ殿は変わったお人だ。たしかにアンネが信頼するのも頷けるというものだ」

「………………………………」


イツキはごく真面目に言ったのだが、どうやらティルザにとっては不思議な反応だったらしい。

イマイチ腑に落ちないが気分を良くしてくれたのならそれでいいか、とイツキは一人で納得すると、改めてティルザの方を振り返った。


「俺に何か用があったのだろう?」

「おっと、そうだった。イツキ殿、そろそろ朝食の時間だ。鍛錬に励みたい気持ちは私にもよくわかるが、ここは一度手を休めてはいかがだろうか?」

「………そういうことか。わかった、そうしよう」


ティルザの提案に、特に断る理由もないイツキは即答で同意する。

郷に入れば郷に従え、というものだ。たとえ自分にとっては意味がないものでも、他者にとっては大きな意味のあることかもしれない。


「(他者を気遣うということは、きっとこういうことなのだろう)」


そうして、イツキとティルザが劇場へ向けて歩き出そうとした時だった。

バターンと大きな物音と共に、劇場3階の窓が突然開かれた。

イツキとティルザが何事かと視線を向けると、そこから顔を出したのは見るからに寝起き姿のメイナだった。

窓から身を乗り出しながら腕をう~んと伸ばし、ふわふわと可愛らしく欠伸をする。


「ふわぁぁぁ~……ちょっとティルザ~…朝ご飯だって~…」

「わかった、私もすぐに行こう。それにしても、メイナ……その…少しは恥じらいを持ったらどうなんだ?見ているこっちが恥ずかしいのだが……」


寝起き姿そのままのメイナを見て、ティルザが羞恥心に顔を赤く染めながら遠巻きに指摘する。

服はネグリジェだけ。はっきりとはわからないが、目を凝らせば体のラインや下着までも見えてしまいそうなほどだ。護衛とはいえ部外者同然のイツキの前で晒すには、あまりにも明け透け過ぎる。

だが、そんなティルザの言葉も空しく、メイナは意図を汲み取れないまま目を擦って文句を言いはじめた。


「え~…なんでよ……ティルザだってメイが朝は弱いって知ってるでしょ?それに今さら何か変わるわけでも―――」

「ふむ……ティルザが言いたいのは、俺が見ているから身なりを整えろということだろう?」

「ふ~ん……そういえば、あんたが――――って、え…っ!?ちょっと!!なんであんたがいんのよ?!」


そこでようやくイツキの存在に気付いたのか、メイナが血相を変えて身を乗り出す。

そんなメイナの様子に、「だから私があれほど言っておいたというのに……」とティルザが頭を抱えた。


「なんでも何も、最初からいたが……」

「はぁ…っ!?ちょっと、こっち見ないでよ!!このヘンタイ!!バカ!!もう信じらんないっ!!」

「おい、怒りに任せて魔法を撃つな。物が壊れるだろう」

「ちょっと、冷静に防いでんじゃないわよ!!こーゆー時は覗いたヤツがボコボコにされるのがお決まりってもんでしょ?!ほんっとに空気が読めないんだから!!バカっ!!」


メイナは一気に捲し立てると、イツキの返事を聞くことなく再び勢いよく窓を閉めた。

そんな反論の隙すら与えない一方的な拒絶を前に、イツキはただただ呆気にとられ、傍にいたティルザも恥ずかしさのあまり顔を覆ってしゃがみ込むことしかできなかった。

そして、台風が過ぎ去った後のような一瞬の沈黙が流れる。


「…………あまりにも理不尽だ」


そう小声で呟くが、その言葉は誰にも聞こえることなく風に乗って消えていく。

波乱の幕開けとなったアイドルたちとの騒がしい一日が、また始まった。

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