世界を救った元勇者は、異世界アイドルの追っかけになっているようです

柊つばさ

第1話 元勇者(1)

“勇者”、それは世界を救う英雄を指す言葉。

誰もが恐れる酷烈な運命や困難を果敢に乗り越え、誰もが称賛する孤高の偉業を成し遂げる者。

時には強大な敵を打ち倒し、時には悪逆非道な策略を食い止め、時には虐げられている弱き者に手を差し伸べる。たとえ絶望的な状況に追い込まれていようとも、決して諦めない勇気を持っている。

それこそが勇者であり、だからこそ、勇者たり得るのだろう。


では、勇者は平和の敵である悪を滅ぼした後、一体どうするのだろうか?平和となった世界に“勇者”として居場所はあるのだろうか?

誰もが羨むような力を持ち、決して挫けない正しい精神を備え、人々に希望を与えてきた勇者は、果たして成すべきことがなくなった世界に意味を見出すことができるのだろうか?

古今東西に伝わる勇者たちの中には、その力と人徳で王国を作り上げる者もいれば、救い出したどこぞの姫と仲睦まじく静かに余生を過ごす者もいた。


だが、それらも風に乗って噂になる伝承のようなもので、世界を救った後の勇者の物語など誰も耳を傾けることがない。

それはなぜか?

誰も興味がないからである。

世界を脅かす強大な悪へ立ち向かうために様々な力を身に付け、共に戦う仲間を集め、多くの苦難を乗り越えた末に勝利をつかみ取る。

それこそが勇者であり、それを終えた“元勇者”は人々の心から消え、いつの間にか伝承としての“勇者”しか残らないのだ。

それならば、取り残された“元勇者”はどうしているのか。

伝承のように王国を作り上げ、どこぞの姫と結婚をしたのだろうか。

それとも――――――



☆☆☆



ある男が路地をひた走っていた。

時刻は夕刻を過ぎた頃だろうか、様々な商店が立ち並び、多くの人々でごった返す雑踏の中を滑らかな動きですり抜けるように駆け抜けていく。

暖かな光を灯す魔力灯が辺りを照らしはじめ、仕事終わりのドワーフが酒を飲み交わし、エルフの冒険者が武器屋で飾られた弓の値踏みをし、小人族が魔法店の軒先で魔法道具の観賞をしている。

目立たない黒の短髪に少し茶色がかった黒目、お世辞にも綺麗とは言い難い冒険者風の軽装を身に付けた男は、そんな路地の中をすいすいと進んでいき、次々に人を追い越していく。

この世界ではあまり見かけない色合いをしているが、その姿はヒューマンや亜人種が入り混じる街の景色にごく自然に溶け込んでいた。それはこの男の仕草や動作があまりにも自然で、あまりにも慣れたものだからだろう。

「へい、兄ちゃん、ここらでポーションビールはどうだい?」

「結構だ」

しつこく付きまとってくる酒場のドワーフを横目であしらうと、男はさらに加速して人通りの少ない奥の路地へと入っていった。


人が二人で並んで歩けるかどうかの薄暗く狭い路地。

そこには怪しげな商売をする強面の商人や物騒な装備を携えている冒険者が点々とたむろしていた。こんな場所にいる時点で胡散臭いうえに、一目でカタギではないとわかる風貌をしている。

彼らは一斉に突然の乱入者へ向けて睨みつけるように視線を送った。一般人ならば、ここで素知らぬふりをして、口笛でも吹きながら踵を返すことだろう。

だが、男は全く気にすることなく視界の悪い路地を勝手知ったる道のように進んでいく。


「おい、あんた、ここはただの冒険者が来る場所じゃ―――」

「通らせてもらう」


男はそう一言だけつぶやくと、道を塞ぐように立ちはだかった強面の冒険者の脇をスッと一瞬で抜け、風のように駆けていった。路地にいた誰もが目線で追うことすらできないほどの急加速だ。

そして、狭い路地をあっという間に通り抜けると、奥に続いている迷路のように入り組んだ路地裏を一切迷いなく走り抜けていく。

商談中の商人の頭上を飛び越え、雑談をしている冒険者たちの間をすり抜け、速度を落とすことなくひた走っていった。


やがて、男はとある建物の前で足を止めた。

そこにはうらぶれた劇場があった。小綺麗にされてはいるが、石造りの壁は所々が崩れかけており、建造されてかなりの年数が経っていることが目に見えてわかる。

錆びついた看板には『レイルラン劇場』という劇場の名前が書いてあるが、かすれてしまっているためほとんど読み取ることができない。

その巨大な石造りの建築物は沈みゆく太陽の光を浴びて、ぼうっと不気味に浮かび上がっていた。当然ながら周囲に人の気配は全くなく、もはや廃墟と言われてもおかしくはないほどに寂れていた。

かつては煌びやかな輝きを放っていたであろう大理石の階段もすっかり色褪せ、レンガ造りの屋根に至ってはその大半がはがれ落ちてしまっている。

誰がどう見ても怪しい建物だが、男はその人を寄せ付けない雰囲気を醸し出す劇場を一瞥すると、急ぎ足で入口に続く階段を上り、躊躇することなく扉を開いて中へと入っていった。


長い廊下を抜け、いくつかの扉をくぐった末に、劇場の中心へと繋がる巨大な鉄製の扉の前にたどり着く。

不思議な文様が描かれた重厚な鉄の板はぴったりと空間を途絶し、来るものを拒む怪しげな雰囲気を醸し出していた。

そして、男は何かを確認するようにトントンと扉を叩くと、躊躇することなくその重い扉を両手で押し開けた。


『――――――――――――――――』


扉が開いた瞬間、先ほどまでの静けさが嘘のように、響き渡る野太い雄叫びから快活な売り子の商売文句までもが津波の如く押し寄せてくる。

「はいよ、ポーションビール3つ、お待ち!」

「盛り上がってきたぁぁぁぁあああ!!!」

「俺は初めてニフメルのライブにきたんだが、いつもこんな感じなのか?」

「今日もメイナちゃんのキレッキレのダンス見れっかなぁ…」

人、人、そして、人。

それはもう数え切れないほど大勢の人が視界の中に広がっていた。


扉の奥―――寂れた劇場の中には、大きな舞台とそれに併設されている小さな酒場があったのだ。舞台には内側が見えないように幕が下りており、中を伺い知ることができないようになっている。

そして、そんな空間に所狭しとヒューマン、エルフ、ドワーフなど様々な種族の男たちと彼らを相手取る売り子たちがごった返しており、ちょっとしたお祭りのような賑わいを見せていた。

本来ある劇場の堅苦しい雰囲気は一切なく、各々が自由に酒を飲み交わしている。

だが、彼らは決して偶然ここに集まったわけでもなければ、ただ酒を飲みにこんな辺鄙な劇場まで足を運んだわけでもない。

この場にいる誰も彼もが、とあるものを観に集っているのだ。


「あ、お兄さん、入口の扉は早く締めてくださいね~。また騒音で苦情になっちゃいますから」

「わかっている」


そばを通りかかった売り子のヒューマンに急かされ、男は入ってきた重厚な扉をしっかりと閉めた。そして、誰かを探すように視線をあちらこちらへと向けはじめる。

すると、ひと際目立つ筋骨隆々な巨漢のヒューマンが手を挙げて、入ってきた男に声をかけた。

「おいおい、イツキ、遅かったじゃねぇか。そろそろ始まるぞ」

「ジョー。すまないな、野暮用で少し手間取った」

イツキ、と呼ばれた男は特に悪びれる様子もなく、相も変わらず不愛想な表情のまま声をかけてきた巨漢―――ジョーのもとへと向かい、すぐ隣へ腰かけた。


「こんなギリギリなんて、おめぇにしちゃあ珍しいな。よっぽど面倒な依頼でもこなしてたのか?」

「俺の前にいた馬鹿どもがダンジョンの天井を崩落させただけだ。別ルートから迂回していたら予想以上に時間を浪費した」

「そりゃあ災難だったな。お、そこの姉ちゃん、こいつにも飲み物持ってきてくれよ」

「アルコールが入っていない飲み物を頼む」

「え……お水ならありますけど……」

「構わない。金は払う」


周囲が酒を飲んで騒いでいる中、イツキはジョーが声をかけた売り子からごく自然に水を受け取る。当たり前のことだが、酒場に来て水を飲む輩はそういない。さらに金まで払う者はもっと少ないだろう。

そんな変わり者を相手に売り子は困惑した表情のまま代金を受け取ると、そそくさと去っていった。


「なんでえ、待ちに待ったニフティーメルのライブだってのにパァーっと飲まねぇのか」

「ライブ前に酒類は飲まない主義だ」


イツキは表情を変えることなくきっぱりと言い切る。それも、まるで“当たり前だ”とでも言いたげな顔つきで、だ。

周囲の空気を全く考慮しない友人の姿に、ジョーは思わず苦笑いをした。


「相変わらず面倒な性質だな…。まあオレはおめぇのそういう堅苦しいところが嫌いじゃないけどよ」

「堅苦しいわけじゃない、礼儀正しいと言ってくれ。俺は誰かに誇示するために礼儀を尽くしているわけではないからな」

「礼儀正しい、ねぇ…」


ジョーは顎を擦りながら、何をするにも傍若無人な態度を崩さない黒髪のヒューマンを訝しげに眺めた。

そんな少し小馬鹿にするような友人の態度に、イツキは少しムッとしたように睨みつける。


「なんだその何か言いたげな目つきは。俺は何も間違ったことを言ってはいないぞ」

「いんや、なんでもねぇよ。お、はじまるぜ」


ジョーが何かのはじまりに気が付いたようで、イツキに伝えるようにあごで舞台を指した。

見れば、閉じていた舞台の幕が少しずつ上がっていき、何かが始まる兆しを見せている。

上手く躱されたイツキは釈然としないながらも、口を閉じてジョーが指す舞台へと視線を移した。

そして時を同じくして、劇場内にいる人々も何かを察したように誰もが息をひそめ、舞台へと視線を集めていった。

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