第17話 誘拐未遂
昔の街並みが残っている路地をそぞろ歩く。ほろ酔いの観光客がちらほらと見え隠れてして、如何にも観光地らしい。旧市街地はライトアップされて情緒満点の美しさだ。
「凄く綺麗だな。エディンバラの街の美しさは格別だ。話には聞いてたけど」
「そうね。写真は撮らなくていいの?」
「うん。これは、記念撮影するようなものじゃないしね。目に焼き付けて置く。」
「こういう風景ってうまく撮るの難しそう。」
「夜の撮影はとても難しいよ。写真は僕の専門じゃないしね。」
速度を合わせて歩いてくれているヒカルの横顔が、ライトアップのオレンジの光で光っている。髪が栗色に見えていた。愛子の視線に気が付いたのか、こちらを見て笑う。
「貴方も綺麗だよ。アイコ」
「とって付けたように言わなくていいわよ。」
明るく笑って露天商を冷やかして歩いた。
いかがわしいのか偽物なのか、怪しげなアクセサリーを売っている商人や、花売りなどが路地で点々商売している。
遅くまで営業しているコーヒースタンドで、ヒカルがホットコーヒーを買ってくれた。イギリスでは夏でも紅茶やコーヒーはホットで飲むことが多い。
店の傍には中年男や派手な髪形の若者などがたむろしている。そちらをなるべく見ないように通り過ぎた。
交差点の脇で花を売っている年配の女性から、髭の男がピンクのバラを買っているのが見える。奥さんにでも買って帰るのだろうかと思うと微笑ましい。
「ああ、あんたは・・・、昨日の」
すれ違う瞬間目が合ったのか、髭の男が愛子の顔を見て声を上げる。スコットランド訛りの英語に覚えがあった。
「あ、エディンバラ城で」
偶然だろうか。城壁に凭れてヒカルを待っていた時、背中がぶつかった中年男だ。
「アイコ」
すぐにヒカルが彼女の前へ出て、警戒するように相手を見据える。頼もしくなったものだ。
髭の男はヒカルに対しても愛想良く笑い、手にしていたピンクのバラの花束から一輪取り出し、そっと愛子の前に差し出した。
「こんばんは。良い夜ですね。またお会いできて嬉しい。エディンバラはお気に召しましたか?」
「ええ、素敵な街ですわね。」
差し出されたピンク色のバラを受け取って、丁寧に答えた。
「ありがとう、素敵なバラね。綺麗で、しかもとてもいい香りだわ。」
「そうでしょう?それに大事なものを隠すにもピッタリなんですよ。」
ピンクの花束の陰から姿を現したのは、こちらに照準を合わせた拳銃だった。
愛子には、最初、それがなんであるかわからなかった。
人間を殺傷できる武器であると認識できたのは、男が素早くヒカルと彼女の間に入り込み、背後へ回ってからだ。男の太い腕が愛子の細い首を絞める。接近して初めて気付いた男からの強烈な匂いに、吐き気がした。それは、絞められた腕力のせいだけではない。
手に持っていたコーヒーが地面に落ちる。
「何をする・・・!アイコを離せ」
髭の男につかみかかろうとした息子が凍り付く。
愛子の耳元には銃口が突き付けられていた。
「動かないでもらいましょう、お坊ちゃん。若いママの命が大切ならね。」
蒼白な顔のヒカルがゆっくりと両手を上げる。
彼の背後にも人影があった。コーヒースタンドでたむろしていた中年男の一人だ。
栗色の巻き毛のそいつが一発空に向けて発砲すると、辺りにいた人が悲鳴と共に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「おい、本当にこいつがティル侯爵閣下の隠し子なのか?侯爵は金髪だぞ?」
「母親が東洋人なんだ、髪が黒くたって何もおかしかないだろう。侯爵はお忍びでハワード・レジデンスにお泊りだ。愛人と子供と一緒に夏のバカンスをお楽しみに来たんだろうさ。よく見ろよ、顔立ちはよく似ているじゃないか。」
愛子がアーサー様の愛人だと思われている。そしてヒカルがその隠し子だと思われている。
侯爵が奥さんも連れずお忍びで地方都市へ滞在し、そこへ年齢的にも近い愛子と容貌が似ているヒカルが同じホテルに泊まっているのだ。そう思われてもおかしくないシチュエーションだった。
「うまくすれば一生遊んで暮らせるだけの身代金が取れるぞ。」
「なんたって侯爵家だからな。」
腕で口までも圧迫されて声が立てられない。男の体臭が強烈に匂って気持ち悪い。普通の体臭ではないのがわかった。この男、恐らく非合法の薬を使っている。
「アイコ・・・!」
気分が悪くなり崩れるように男の腕に縋った。
それを見てヒカルが心配そうに母を呼ぶ。
肩にかけていたショルダーバッグが奪われる。端末を狙っているのだろう。
背後に両腕を取られたヒカルが悔しそうに愛子を見てから俯く。
ヒカルは、ゆっくりと顔を上げて夜空を仰ぐと、大きく息を吸った。
「ミスズっ!!ミスズっ!!助けろぉ!」
驚いたことに、ヒカルが助けを呼んだ相手は、この場にいるはずのない双子の妹だった。
ロンドンにいるはずの妹が、呼んだからって来てくれるはずがない。どうして警察ではなく妹を呼んだのかわからず、ヒカルの方を見つめる。
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