第49話 オススメNetflixで見れる映画パート1
オススメのMCU映画をご紹介!などと言いつつ早々にエスケープをかましてしまった。やはり最初から意気込み過ぎるとロクなことがない。
おまけに気が付いたことに、このエッセイはロイヤルティプログラムに関することを綴るエッセイであって映画紹介のものではない。いくら雑談も書くよ!と前置きしていても限度がある。今後の連載についてもう少し考え直さないといけない。
一応、気休め程度だがロイヤルティプログラムエッセイ要素を盛り込んでおくと、2月分のリワードは散々たるものだった。3月はもっと酷い。そりゃそうだ。やる気と広告費を根こそぎ持っていかれた。今後、景気とモチベーションを取り戻せる日はくるのだろうか?
なんだかこんな書き方をしてるとずいぶん気分が落ち込んでいる様にとられてしまうかもしれない。ところがどっこい。心はいたって安寧そのものだ。
状況は芳しくない。それはみんな一緒。不安と不満にまみれた毎日をひたすら繰り返すこの1ヶ月で誰もが心を疲弊し切っている。そんな中、なぜ僕が心の安寧と保てているのか。
答えはシンプルそのもの。
料理と映画と音楽と本。
いつもの日常だ。
必要最低限の外出で感染リスクは抑えられる。病気に怯える気持ちが鎮まる。おまけに自分が収束の一旦を担っている自負も得られる。自尊心はうなぎ上り。一石二鳥だ。
心配なのは仕事のことだが、もはやここまでくると生きてなんぼ。生き残ってなんぼなのだ。
しかしやむなく出勤してる方には本当に頭が下がる。何卒、お気をつけて、ご自愛ください。この世に不要の仕事など存在しない。
さて、最近ではドラマと映画を贅沢につまみ食いしながら本を片手に音楽を垂れ流している。こんなことが許されるのか。しかし逆を言えば、いったい誰に許しを乞うべきか。誰にも憚られる必要はない。まさに、趣味嗜好の酒池肉林状態だ。
映画だが、ひとまず新しいものより少し前の話題作や往年の名作を見ている。しかしどうしてもテレビやスマホ画面で見る初見の映画は物足りない。何しろ週イチで映画館に行くのがライフワークなほど映画館が身近な生活を過ごしていた。なのにもう二ヶ月以上ご無沙汰だ。これが夫婦の営みなら危機的状況といってもいい。
しかし場合によっては大画面よりもテレビやスマホの方がよっぽど世界観に浸れる作品もある。人間の心理などを描いているものなら尚更だ。逆に大画面で見てると、巨人の生活を垣間見ているようで尻がモゾモゾしてしまう。
最近見た映画は「英国王のスピーチ」(2010年・英)と「おじさんに気をつけろ!」(1989年・米)だ。
英国王のスピーチはわりかし有名というか、ガチの映画好きの人からは「え?見てなかったの?ニワカじゃん」と罵られること間違いなしなくらい名作だ。そうだ。
個人的には好きな映画のひとつになったが、総じてかなり地味な絵面なので万人受けという内容ではない。それを証拠に隣で見ていた自称英国王室フリークの嫁は早々に船を漕いでいた。
主演はみんな大好きキングスマン、ガラハッドことコリン・ファース。マジでこの人、ガチの貴族なんじゃないかと錯覚するくらい英国の紳士オーラを垂れ流しにしている最強の俳優。艶やかな中年男ランキングならダントツで一位を獲れるだろう。もちろんそんなものはない。
そんなコリンが吃音症に悩む英国王を演じる。愛妻家で真面目。辛抱強く、かつ多くのコンプレックスを抱えている人間身溢れる主人公だ。
吃音症は心を解すことによって治るという信念のもと、限りなく怪しい役者くずれの医者と王の奮闘する姿を脚色なくリアルに描く作品。
先述した通り特に派手な描写はないし色彩も全体的に地味だが、品がよく奥深い作品だ。
例えるなら、老舗の職人が手掛けた和食。いわゆる「映え」とはかけ離れた見た目をしているが対峙したものの心を必ず掴む、落ち着きのある美しさと、何度も舌で味わうことでゆっくりと着実に感じれる洗練された味。
もうなんか面倒なので有り体に書いてしまうと、分かりやすいエンタメではないけど優れた作品であることは間違いない。
もう一つは「おじさんに気を付けろ!」である。昨今の世情では前に「変な」とか「変態」とかがついてしまいそうで不憫なタイトルだ。
主演はジョン・キャンディ。もう今は知らない方の方が多いかもしれないが既に亡くなっている俳優さんだ。
あと若かりし頃のマコーレカルキンも出ている。というか、我々もマコーレカルキンの若い頃しか記憶にないのでこの表現で適正かどうか怪しいものだ。
マコーレカルキンを知らない世代(願わくばそんなことはないと思いたい)がいるかもしれないので念のため書いておくが、マコーレカルキンとは90年代に一世風靡した「ホームアローン」というコメディ映画の主演をつとめた天才子役である。
その後色々あってマコーレはリアル世界でアル中になった挙句に絶対酒だけじゃないヤバイブツにやられてるダメな大人になってしまう。大人になって出た作品はセックス・ドラッグ・デンジャラスが題材の「パーティモンスター」くらいしか見ていないが、さほど話題にはならかったので役者としてのピークはやはり若かりし頃だったのだろう。(なお、パーティモンスター自体は個人的に結構好き)
そんなマコーレカルキン全盛期でホームアローン以外の貴重なコメディ映画が本作である。
故人であるジョン・キャンディという俳優も素晴らしい方だ。「クール・ランニング」というコメディ映画が大好きで、それに出演されていた記憶がある。
大柄な、まあ言ってしまえば定型的なアメリカ人の肥満体型をされている方だった。しかし表情がとにかく豊かで、常に爽やかな笑顔が素敵な俳優だった。コメディ俳優としてこれほどの才能に恵まれながら、43歳という若さで世を去った。惜しい人を亡くした、という言葉は彼のような人の為にあるのかもしれない。
さて肝心の映画だが、ホーム・アローンほどのエンタメ性はなく、かと言ってクール・ランニングほどのスピード感もない。爆笑シーンもなく、かと言って感動するシーンもそこそこだ。先ほどの英国王とは違う意味で地味な作品だ。しかしこの当時はそこそこウケたのではないだろか。ホームコメディ映画の先駆けとも言える作品だろう。何しろ1989年だ。未開拓もいいとこ。プロトタイプだった感が否めない。
それでもここでこの映画を紹介する意味はなんなのだろうか。
それは、この映画の持っている絶対的な平和の雰囲気だ。今の我々が欲するところの絶対的な平和。
誰も死なない。ハッピーエンド。犬が可愛い。子役も可愛い。悪役は間抜け。おじさんはいい人。みんなおじさんが大好き。最後は全部上手くいく。
ご都合主義の塊みたいな映画、だが、それがいい。今欲しいの難解な方程式の末にある多角的な結末ではない。ある意味、幸せかもしれない、みたいなまどろっこしいフィナーレは要らない。
みんな笑ってハイおしまい。それでいいだろう。
人は回避不可の困難な現実に対峙した時、それを乗り越える力を別の場所から獲得する。
それは時に、時間をかけて作った70点くらいの手料理だったり、苦悩の果てに人々の期待に応えた真面目な王様の映画だったり、在りし日のカッコいいアメリカが一生懸命に作ったコメディ映画だったり、Amazonで買った星野源のエッセイだったりする。
そんな具合に、僕は意外にも平穏で安らかな強制休暇を過ごしています。
皆さんもどうか、体調に気を付けて。
いい映画といい本と美味しいご飯をたくさん食べてたくさん寝てください。
需要があれば、Netflixオススメドラマをご紹介します。
ではまた。
続
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