灰降る大地に響け、この鼓動

芳川南海

あるメキシコ人ギャングの結末

「どうなってンだ、こりゃあッ!?!?」


 眠りから目覚めてすぐさま、視界に飛び込んできた満天の星空に、俺は堪らず叫んでいた。どうして俺はこんなところで寝ているんだ?

 俺は必死に記憶を手繰り寄せた。

 そうだ。確か、アパートでツマらねえテレビのコメディ番組を見ながらハッパを吸ってた時にルカスの兄貴が来たんだ。その後は、いつもの行きつけのバーで酒を飲んで……妙だ。いつもなら3杯目なんて序の口だってのに、妙な眠気が襲ってきて……


「クソ!!!! 一体どうなってやがるンだ、チクショウ!!!!」


 声を張り上げるたびに、細かい砂が口の中に入ってくる。じゃりじゃりした不快感に吐き気を覚えながら、俺は身体を起こして唾を吐き捨てようとした。

 だが、身体を起こすことが出来ない。あらん限りの声を振り絞って手足を動かすが、地面に張り付いたように手足が持ち上がらない。自由に動かせるのは首だけだ。

 不便だったが、俺は頭をもたげて周囲を見回した。

 星明かりに慣れた目に映ったのは、縛られた自分の腕だった。

 手足が動かなくて当然だ。

 今の俺は、両腕を丈夫なワイヤーで教会の十字架よろしく貨物鉄道の線路に縛り付けられ、真夜中の荒野に放り出されているのだから。


「は? なンだよ、これ!?」


 答えを期待したわけではない。ただ反射的に口をついて、当然の疑問が飛び出ただけだが、驚くべきことに俺の疑問に対して答えが返された。


「見てわからぬカ? どやら、オツムの中までゴミ詰まてるらしネ、この野郎は」

「――――ぐッ!?」

「お前、鉄道に縛り付けた。OK? お前、ワタシの部下たくさん殺しタ。OK? ウチのボス、怒りカンカン。分かてル? ワタシら『龍門幇ドラゴンズゲート』はナメた相手必ず殺すヨ。OK?」


 マグライトの強い光が目に突き刺さり、俺は思わずうめいた。中国人特有の、甲高くて耳障りな英語が、サブマシンガンでも乱射しているかのように叩きつけられる。逆光で詳しい人相までは分からなかったが、市場の屋台に並んだズッキーニのように青白くて細長い顔をした中国人が元より細い目を、更に細めた気配がした。


「ふざけんな!!! ほどけ!!! これをほどきやがれ!!!!」


 レールを通じて振動が遠くからやって来る。ハイスクールに行くよりもストリートでヤクを売っていた無学な俺でも、この振動が何を意味しているか察しがつく。ふざけんじゃねえ。貨物列車がこっちに向かってやがる。俺は拘束から抜け出そうと、無我夢中でワイヤーの食い込む腕を動かした。


「クソが!!!! ビクともしねえ!?」

「ああ。外れねえようにキツめに縛ったからな」

「――は?」


 我ながら間の抜けた声を出したと思う。マグライトのハイビームの後ろから聞き覚えのある声が聞こえたからだ。

 俺の兄貴分で、組織の幹部でもあるルカスの声だった。


「な、なぁ……ルカスの兄貴? な、なんでだ? どうして中国人どもと一緒にいるんだ……?」


 自分でも笑えるほど、声が震えていた。

 信じられねえ。信じたくねえ。どうして仲間のルカスが敵と一緒に居て、仲間の俺をふん縛ってるんだ。そんなの分かりきった話じゃないか。

 頭の中が混乱で熱を帯びてゆく。しかし、腹の中にたまってゆく冷たく重たい感情が、冷静で、冷徹に、今の状況を理解しようとする。

 嫌だ。理解したくねえよ。

 やめろ。やめてくれ。後生だから。ルカスの兄貴、頼むから『季節外れのハロウィンパーティの余興だ』とか言って笑い飛ばしてくれよ。

 呆けたように震える俺に、ルカスは笑った。


「彼らは俺たちの新しいビジネスパートナーさ」

「俺を売りやがったのか、この野郎ッ!」


 俺は喉が裂けんばかりに怒鳴り上げた。思いつく限りの罵りと呪いの言葉を、英語とスペイン語で浴びせ続ける。

 眩しくて輪郭しか見えないが、俺に向かってルカスは肩をすくめてみせた。


「ボスたちが決めたことだ。このまま俺等と彼らで争っても警察サツにつけ入られるだけ。だったら過去の遺恨を水に流して――この場合は列車に轢かせて、か? まあいい。とにかく、お互いにこれで終いにしようって和平協定が結ばれたワケさ」

「で、キサマは和平協定の生贄ヨ」

「尊い犠牲って奴だな。お前がハジいた中に若いのがいたろ? アレがこちらのウォンさんのお身内らしくてな」

「可愛い弟分だタヨ」

「『目には目を』って言葉があるだろ。ハムだかラビだか知らねえが、大昔の偉い人の言葉さ。分かるよな? その格言どおりなら、弟分には弟分で償うしかねえ」

「運が良けりゃ、両腕を失うだけで済むヨ。ウチのは死んでしまたがネ……ッ!」


 中国人が憎しみを込めて俺の脇腹を蹴り上げた。あばら骨と内臓が痛みに軋み、肺から空気が逆流する。喉まで駆け上がってきた酸っぱい水をこらえきれず、俺は盛大に吐き散らかした。吐瀉物が鼻の穴や気管に入り、ますます咳き込む。中国人は愉快そうに、俺の腹の上に革靴の踵で何度も踏みつけた。

 畜生。ふざけやがって、このクソ【検閲】野郎ッ!


「ウォンさん、それぐらいにしてやってくれ。あんたが殺しちまったらマズい」


 ルカスがなだめるように言ったが、この腐ったズッキーニのようにひょろ長い顔の中国野郎は、俺の腹を玄関マットだと思っているらしく踏みにじるのを止める気配が無い。吐き出す物も無くなり、俺の唇からゼェゼェと息が漏れるようになって初めて、中国野郎は足を下ろした。


「失敬。少シ熱くなりましタ」

「お互いに『アレは事故だった』で流そう、って約束だろ? あんたの靴跡が、こいつの腹に付いてたら、それだけで勘の良いヤツが探りに来るぞ」

「中華街なら、どこでも売てる安物ヨ。私タチに辿り着くナイ。そもそも我々にはアリバイがアルことになてルはずネ」

「……そろそろ貨物列車が通る時間ですよ。レストランに戻りましょうや。せっかくのアリバイが台無しになっちまう」


 ルカスが促すと中国人は俺の傍から離れた。

 咳き込む俺に見向きもせず、マグライトの明かりが線路から遠ざかってゆく。俺はゲロまみれの顔で彼らの背中に呪詛と罵声を浴びせ続けたが、車が走り去るまで連中は一度も俺の方を振り返ろうとすらしなかった。


「グゾが!!!!!!!」


 乗用車の排気音が遠ざかってゆく。涙でにじんだテールランプの赤い光が見えなくなるまで、俺は喉を破らんばかりに叫んでいた。

 痛みと息苦しさが俺の脳を揺さぶる。クスリと酒で悪酔いしたかのように、視界が回っている。今にも気絶してしまいそうだった。

 だが、俺の意識は闇に落ちる事を許されなかった。煮込みすぎたチリコンカンのように、あの中国人と俺を切り捨てたルカス――そして俺を生贄にすると決めた組織の幹部たちへの憎悪が、グツグツと湧き上がってくる。

 ふざけやがって。俺らの縄張りを荒らしたのはアイツらが先だ。だから報復で連中のケツに鉛玉をブチ込んでやったんじゃねえか!

 兄貴よぉ! アンタだって、ヒィヒィ泣き喚きながら這いつくばって逃げ惑うアイツらを撃って楽しんでたクセに、俺に全部押し付けて自分はのうのうと生き延びるって言うのかよ!?


「グゾが!!!! グゾが!!!! グゾがあああああああ!!!!」


 振動は更に近づいてくる。ディーゼル機関車のライトも見える。甲高い警笛も聞こえる。だが、運転手からは俺の姿は見えないだろう。見えた頃にブレーキをかけても無駄だ。列車のブレーキは車と違う、ってナショナル・ジオグラフィックの番組でやってたのを見た気がする。いや、トップ・ギアだったか? どっちにしても間に合わないのは明白だった。この場から助かるには、この雁字搦めのワイヤー拘束から抜け出す以外に答えはない。

 俺がコミックのヒーローだったら――あの緑色の筋肉怪力男だったら、こんなワイヤーなんて紙のように紙のように引き裂いて、ここから逃げることも可能だろう。あの連中を引き裂いて、ビリヤードの球かボウリングのピン代わりにする事だって出来たに違いない。

 だが、現実はそうではない。もがくほどワイヤーは腕の皮を裂き、ギリギリと肉に食い込んでくる。


「チクショウ!!! 神様!! 嫌だ、助けて!!!! 死にたくねえよ!!!! 助けてくれよ、かみさまぁ!!!!!」


 振動は既に轟音に変わっていた。残りは500ヤードもない。機関車の運転手が線路上の異変に気づき、警笛を何度も鳴らすが、それで逃げられるのなら、とっくにそうしている。運転手がブレーキを使ったのだろう。金属同士の擦れる甲高い音が鳴り響くが、何もかもが遅すぎた。100トンを超える金属と機械の塊が、まるでコミックの怪物のような金切り声を上げながら、俺の腕を踏み潰して――


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□


「あぁ……間に合わなかったか……」


 貨物列車の運転席で、額を手で覆いながらスティーブンは深々とため息を吐いた。握りしめたブレーキハンドルは手汗で濡れている。自分がどれだけ精一杯ハンドルを引いたところで、慣性のついた列車を止める事など不可能だ――と頭では理解していても、やりきれない気持ちは隠しようがない。

 年若い副機関士のロビンソンも青い顔で口をつぐんでいる。数百ヤード手前で何か――あまり想像したくはない何か、だ――に乗り上げた感触は、この仕事を長く務めてきたスティーブンであっても未だに慣れることのない嫌なものだ。ロビンソンに会社の運行管理センターへ人身事故が発生したことを報告するように頼むと、事故の状況を確かめるため、スティーブンは懐中電灯を片手に機関車から外に降りた。

 このまま運転を再開して、巻き込んだ『何か』が車輪に引っかかり、機関車自体が動かなくれば一大事だ。それこそ二次災害の危険もあり得る。


(被害者には悪いが……さっきので列車が脱線やら横転しなかったのが、せめてもの救いだな……)


 西海岸に近いとはいえ、ここは荒野の真ん中だ。もし『何か』にまだ息があったとしても、救急車を呼んだところで助かるまい。助けが来る前に死ぬだろう。

 面倒事はご免だ。頼むから死んでいてくれよ、と他人が聞いたら不謹慎をなじるに違いない祈りを神に捧げながら、スティーブンは何かに乗り上げた地点に向かった。

 足元を照らすのは片手の懐中電灯のみ。暗闇の中、死体を探すなんてホラー映画の主人公にでもなった気分だ。いや、シチュエーションとしては申し分ないが、今の自分は主人公というよりも、序盤に何らかの異変を感じて様子を見に行った挙げ句、死角から襲ってきたモンスターに喰われる犠牲者の役回りだ。

 勘弁してほしい。映画の登場人物になるのなら、先週の日曜に見たアクション映画の主人公の方が良かった。マッチョで男らしく、ケンカも強く、そして女にモテる。ただしスキンヘッドには抵抗があったが。

 スティーブンは、あの元プロレスラー俳優の勇ましい演技を思い出し、自分を鼓舞した。意を決し、心もとない明かりで車輪を照らしつつ、列車の下を覗き込んだ。

そこには――












 両腕だけが、無造作に転がっていた。

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