5-4 留守番と出発と

「アヤちゃん! どうしたの、発作?!」


 準備を中断して飛んで来たリンさんがアヤちゃんの背をさする。


 マルさんからタカハシの居場所を聞いてから、アヤちゃんは頭を抱えてうずくまっていた。しばらくしてようやく顔を上げた時、彼女は弱々しい笑顔を見せてこう言った。


「大丈夫、です。発作ではなくて、マルさんが言った『座標』という言葉がきっかけで、大量の記憶が……。一気に蘇ってきたことに意識を保てなかったみたいです……」

「『座標』? それに大量の記憶って……いや、何よりも大丈夫ならよかった」


 胸を撫で下ろしたリンさんは立ち上がって私の方を振り向いた。


「出発は明日にしておく? 私の準備はもう終わりそうだけどアヤちゃんが──」

「いけます、リンさん。大丈夫です」


 つい先程までの苦しそうな表情を消してそう言い、アヤちゃんはゆっくりと立ち上がった。その顔には強い意志のようなものが見える。


「今思い出した記憶の中にチホさんが言っていたタカハシの特徴に合う人がいて……それに私の父と母も白い外衣をよく着ていました。私の両親について何か知っているかもしれません。行きましょう、私もできるなら早く自分の過去を知りたいです」


 彼女の言葉に頷き、リンさんはすぐに準備に戻って行った。一方で私はアヤちゃんの体調が心配で声をかけようとしたのだが、当の本人は車の準備をすると言って出て行ってしまった。


 部屋に残されたケイさんと私はマルさんに『座標』という言葉について尋ねることにした。彼は私たちの質問に淡々と答えた。


「『座標』は戦争中に使用されていた地点を示す表現。主に後方支援型の《ハーフ》が使っていたけれど、チホたちも耳にしていたはず」

「うーん……?」


 説明を聞いても何も思い出せない私。一方でケイさんはこめかみに手を当てて目を伏せている。記憶の跡を辿っているのだろうか。


 しかしはたと顔を上げたケイさんは不安げな表情で口を開いた。


「チーちゃん、さっき大量の記憶が蘇ったって、アヤちゃん言ってたよな……」

「はい……ってケイさん、座標について考えてたんじゃないんですか?」


 そうだったんだけど、と言いながらケイさんはぐるぐるとその場を歩き回る。見るからに落ち着きがない。


「もしかして俺との過去についても思い出したんじゃないかなって」

「ああー……、い、いや、でも必ずしもそうとは……」


 そう私は言ったものの、本当のところはわからない。もしかすると彼の言う通りアヤちゃんは《ハーフ》になる前の一連の出来事を思い出し、居た堪れなくなって外に出て行ったのかもしれない。


「珍しくリンが記憶について深追いしなかったのもそれを考慮した上でなんだよきっと! もしかしてついに俺、アヤちゃんと──」


 早口で捲し立てるケイさんだったが、その先は部屋の外から響いてきた大声でかき消えてしまった。


「チホちゃん準備できたよー!」

「車の準備できました!」

「うわあ?!」


 唐突に響いた二人の声に驚いたケイさんが叫んだ。それを聞いて部屋に入ってきた二人は怪訝な顔をする。


「何叫んでんの? あんたも何か思い出した?」

「いや違う、ちょっとびっくりしただけ、二人の声に……」


 腰を抜かして座り込んでいたケイさんがリンさんに引っ張り上げられる。それを見てくすくすと笑うアヤちゃん。彼女がケイさんのことを思い出したのか、そうでないのかは読み取れなかった。





「リンがこの建物を壊されたくないって思って俺を残す選択をしたのってちょっと意外だよな。いつものリンなら記憶を手に入れられるならそういうの気にしないというか、万が一何かあっても直せばいいって言うような気がするのに」


 私たちが車に乗り込む直前、ケイさんがそう零すとリンさんは頬を少し膨らませて言い返した。

 

「私にだって大事なものはあるのよ。帰る場所が無くなることってきっと想像ができないくらい寂しいことなんじゃないかって思って」


 リンさんが述べた理由にケイさんは珍しいものを見るような顔をした。それに気づいてか気づかずか、リンさんは言葉を続ける。


「だだっ広い砂漠で目覚めて、みんなに出会って、この建物を住めるように直して、ここで過ごして、チホちゃんに出会って五人になって……。ここがもしも無くなったら、ここでの思い出まで壊されちゃうような気がして」


 そう言って目を伏せるリンさん。いつになく繊細な彼女に一瞬目を丸くしたケイさんだったが、すぐに目の前で俯いたままの頭に手をポンと乗せた。


「大丈夫、留守は俺に任てくれ。ここを守るために俺を残すってリンが決めたんだ、絶対に壊れないし、マルにもそんなことさせないよ。マルだってそんなこと望んじゃいないだろうしさ」


 頼もしいケイさんの言葉はリンさんの顔をほころばせた。その顔にケイさんは満足そうに頷き、私たちに車に乗り込むよう促した。


「それじゃ、行ってくるわね」

「おう。新しい情報に夢中になってハメ外すなよ。ちゃんと警戒するんだぞ」


 元気になったリンさんに注意する声を聞きながら、私はマルさんに挨拶をした。


「マルさん、行ってきますね」

「うん」


 短いその返事を合図にアヤちゃんが静かにアクセルを踏むと、手を振って見送るケイさんたちが、建物が少しずつ遠く離れていった。再びタカハシに会いに向かうのだと思うと、彼が言った私が『きっと帰ってくる』という言葉通りに事が進んでいることに気づき私は拳をぎゅっと握った。


 しばらくしてふと窓の外を見ると珍しく鳥が広い空を飛んでいた。私たちを追い越すように飛び去ったのを見送った後、アヤちゃんが不意に口を開いた。


「さっき思い出したことなんですが、戦争中に私たち《ハーフ》が戦っていたのは人間ではなく、《獣》だったみたいなんです」

「「《獣》??」」


 私はリンさんと声を合わせて聞き返し、ルームミラーに映るアヤちゃんの顔を見た。どうやら本人もまだ噛み砕けていない情報のようで、微妙な表情をしている。


「闇のように真っ黒な体。大きさは人間の膝下から背丈のものまでとバラバラ。四本足で立ち、その姿は誰が見ても禍々しさを覚える威圧を放つ。これが確かに思い出した情報なんですが――」

「動物相手に戦って、こんな風に世界が滅ぶってのもおかしな話ね……」


 すかさず反応をしたリンさんにアヤちゃんは頷いた。二人曰く、生き物相手ならば建物を破壊する必要はないのに現存するそれらは半壊、もしくは全壊状態であること、動植物が跡形もなく死に絶え、再生の兆しも見えないことなど合点がいかない点が多くあるらしい。


 二人の説明を耳にしながら、私の中でも引っかかる点があった。それはその《獣》の出で立ちである。


 赤色を初めて見たあの日、アヤちゃんの姿が消えて代わりに黒く大きな生き物を見た。あの幻こそがアヤちゃんの言う獣の姿なのだろうか。ならばなぜあのタイミングでアヤちゃんに重ねてその姿が見えたのだろう。


 そしてもう一つ、それはタカハシのもとにいた犬だ。あれがもしもその獣であったなら、彼はかつて敵であった動物を飼いならしているのだろうか――


「いや、あれは黒色じゃなかった……。それにそこまで威圧的でもなかったような……」

「タカハシのもとにいた犬のことですよね。今おっしゃった通り色が違ったとのことですし、恐らく違う生き物だと私は踏んでいます」


 私が考えていたことを独り言から推測し、返事をしたアヤちゃん。万が一あの犬が《獣》であったとしても、群れでなければ《ハーフ》三人分の戦力にも及ばないと伝えられ少し安心する。つまりあれに再び背後を取られ、倒されなければひとまず大丈夫ということだ。


 その後しばらくの間、持参した部品や機械をリンさんが楽しそうに説明するのを聞いていたが、間もなくタカハシがいるはずの座標に到着するとアヤちゃんが告げたその時だった。車のスピードが突如落とされ、後部座席に座る私たちは前につんのめった。


「っ……」


 アヤちゃんから聞こえた息を飲む音。それは私たちを通せんぼするように立っていた犬に向けられたものだった。リンさんは難しい顔をして呟く。


「私たちが今日来ること、わかってたってことね」


 犬は私たちを攻撃することも、追い返すこともなく、私たちの向かう方角を向いて走り出した。まるでこの車を先導しているかのようだ。


 わき目も降らず駆ける犬が立ち止まったとき、私たちは車のフロントガラス越しにタカハシの姿を捉えた。静かに、そして慎重に下車した私たちにタカハシは余裕の笑みを浮かべて口を開いた。


「やあ、おかえり01。今回はなかなかの大所帯だね」


 体中に走った緊張は彼に向けたものなのか、それとも明らかになるかもしれない私の過去や旅の目的に向けたものなのか、私にはわからなかった。

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