2-5 お返し
「お? 今の流れは出ていく感じだったよね、チーちゃん? どっち?」
「え、えっと……な、なんかまだちょっと決め切れてなかったみたいですね、あはは……」
少し自分の気持ちを整理しよう……。今、このまま出ていくことに対して、自分の中で引っかかっていることがあるから前置きとは異なる中途半端な答えになってしまったのだ。
その引っ掛かりは二つ。一つ目は目的がわからないままに出発することへの不安。今までわからないまま旅を続けていたのだからおかしな話ではあるが、今そう思ってしまっているのだから仕方がない。
二つ目は――
「やっぱり私、皆さんに何かお返しがしたいんです」
旅の途中、ひとり言で「誰かと話がしたい」と呟いていたような私が、何人もの人に囲まれて人と話すことができた。戦争があったこと、自分の記憶のことも教えてもらった。アヤちゃんには私がおかしくなってしまったときに落ち着かせてもらったし、さらには『共感』まで教えてもらったのだ、何かお返ししなければ……
そこまで考えていた私はリンさんの大きな声で現実に引き戻された。
「ちょっとケイ! アンタがああやって意地悪く言うから、チホちゃん私たちのこと気にしてるじゃない!」
リンさんに叱られたケイさんがしょんぼりとしてしまったので私はあわてて訂正した。
「いやええと、さっきリンさんは他人のことは気にしなくていいって言ってましたけど、このお返しがしたいというのは私が『やりたい』からある気持ちです。私の勝手な気持ちなので、その、ケイさんのせいとかじゃないです」
「ありがとうチーちゃん、もうリンに叩かれなくて済むようわっ、言ったそばから叩かれた」
少しケイさんの頭が心配になったが(変な意味ではない)、今度こそ私ははっきりと自分の選択を表明した。
「旅の目的も思い出したいですし、私の記憶もリンさんたちにもお渡しします。私にナイフ、刺してください」
あれ、なんだか変な宣言をしたみたいになったような。
*
「自己紹介にもあたふたしてたあのチホちゃんが、『お返しがしたい』なんて、成長したねー?」
「せ、成長ってそんな……」
リンさんはにやにやとしながらナイフを片手に部屋を出て行った。どうやら私の記憶を引き出すための準備をしに行くようだ。
「チーちゃん、これって結局は選択肢三の『無理やり思い出す』を選んだってこと?」
「ああ、最終的にはそういうことになりますね」
ケイさんに言われて気がついたが、その通りだ。まあ、きっとこれで旅の目的も思い出せるし、お返しもできるのならそれでいいか、という結論に落ち着いた。
「刺してくださいってなんか変な感じで言っちゃいましたけど、実際刃物を頭に刺すのってどんな感じなんですか……?」
経験者のケイさんに質問すると微妙な返事が返ってきた。
「なんかねー、すっごい気持ち悪いよ、うん」
ケイさんは歯切れ悪く、しかしシンプルに答えた。抽象的すぎるのでもっと具体的な情報が欲しいところだ。
「あの、気持ち悪いって……」
「前にも言ったけど、俺たち《ハーフ》は痛みをほぼ感じないんだよ。大方、戦闘中にいちいち怖い痛い言う子どもを戦争で戦わせるのが嫌だった大人が俺らの痛覚いじくったんだろうってとこだと思うけどさ。痛くないからこその違和感というか……」
神妙な面持ちでナイフの感覚を伝えるケイさん。なんとも言えないのであろうその感覚は想像することができず、私にとっては不安要素となる。
「うぅ、なんだか不安になってきた……」
「でもそんなに心配することはないよ。ちょっと手貸して?」
そう言ってケイさんは私の手を取った。手のひらを強めにちょんちょんと指先を突つかれる。
「これ、つんつんしてるのわかる?」
「はい、まあ普通に……」
「そそ、まさに普通の人間のように、普通に感じれてるんだってさ、リンいわく。でも」
ケイさんは次に私の腕をつついて見せた。すると……
「え、ケイさん、さっきと同じ強さで触ってます……?」
「ね? 優しく触られてるようにしか感じないでしょ?」
触っている強さそのものが異なっているように感じた。もはや触られてないも同然に感覚が薄い。これもまた、自分では気づかなかった、自分のことの一つとなった。
「なんかやろうと思えば痛みを完全に消すこともできるらしいよ。普通の人間でもアド……なんとかっていう分泌液? で痛みが軽減されたりするらしいから、それと同じなのかなぁ」
「……なんだかもう気持ち悪いです、自分が自分のことを知らなさ過ぎて」
気持ち悪くなるにはまだ早いと笑いながら突っ込まれたが、それでも自分のことが気味悪く思えた。おかしな記憶の失くし方、旅への異常な執着、自分に対する無知。気づこうと思えば気づけたこともあったはずなのに、なぜ……?
そんなことをぐるぐると考えていたら、廊下の向こうからリンさんの声が聞こえてきた。どうやら準備ができたらしい。私はケイさんの言っていた「気持ち悪」さや、自分の頭にナイフが刺さっていくところを想像してしまうのを頭を振って無理やりに止め、リンさんの声が聞こえてきた部屋に向かった。
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