閑話2 もうひとつの迷宮
イーノが朝、地球の自分の部屋で布団から身を起こす。
カーテンを開けて朝日を入れ、眼鏡をかけていつもの私服に着替える。
昨夜、氷都市では大層な演説をぶっていたが。
地球でのイーノは未だに、失業手当をもらいながらブラブラしてる無職のままだ。ここから、どんな未来が開けるのか。
異世界を救うとか、日本の未来がどうとか言う前に。まず自分を救えよ。
ここは大いに、笑ってくれて構わない。
することと言えば、小説の執筆と。PBW関係の納品イラストを見たり、交流掲示板で雑談したり。新聞やネットの記事を読んだり、たまにブラウザゲームで遊ぶくらいか。
就職活動をする気にはなっていない。勝ち目の無い勝負で心身をすり減らすだけと悟っているから。かといって、家に引きこもるのも退屈だから、ときどき外出する。
普通の人は、失業手当をもらうために就職活動をした実績作りが必要だが。障害者手帳のある私は、月に一度ハローワークへ職業相談に行くだけで良い。障害者割引で映画も見れる。この利点を活かして、当面は執筆に専念するか。
ADHDの私が、普通の人と同じようにやっていけるとは思わない。
今更だが、前職の物流センターは大手企業だけあって。皆が積極的に有給を消化するし、障害者雇用にも前向きだった。その大手の職場にも、時折ろくでもない人間がいたが。
新たに就職先を探すとしても、おそらく扱いは前職より悪くなるのではないか。
人と同じことを、同じようにやってたら。間違った世の中に身も心も傷つけられて死んだように生きていくだけだ。
イーノがパソコンに向かってキーボードを叩きながら、今後の行く先を思案する。
夢渡りの体験を小説にして、狙い通り作家デビューを果たし。人に雇われないで、自分で食いぶちを稼ぎ。人生のかじ取りをできるようになったら、どれだけ良いか。
そんな理由から、イーノは起業家や個人事業主の集まるコミュニティにも出入りしている。そこでは、いっちょまえに小説家を名乗っている。名刺はまだだが。
夢物語で現実を変える。その一言を、自分の志に掲げて。
人類をいま大きく動かしてるのは貨幣経済という名の虚構なのだし、夢物語で現実に力を及ぼすのは、やりようによっては全くの夢物語でもないはずだ。
イーノが起業を考えるようになったきっかけは、数年前。十年以上に渡り長年世話になってきた
あるとき、何もまともな説明も無しにシステム開発会社が変わった。それまで利便性の高さで好評だった各種システムとサービスが、突然劣化した。もちろんユーザーから不満の声は上がったが、社長は責任逃れに終始した。
それまでMP社の熱烈なファンだったイーノも、毎年恒例のオフ会で社長と険悪になり。以後は疎遠になったままだ。
余所者でしかないイーノには、MP社内部の事情など知る術も無いが。優秀なエンジニアに見切りをつけられるなど、何らかのゴタゴタがあったのだろう。社長は頑なに否定しているが。
その事件があって以来、MP社は落ちぶれる一方。まだ同社のPBWをもり立てようとするファンが一定数いて、倒産こそしないものの。
MP社は「長期に渡るヒット作を生み出せない」という、創業当初からの悩みを克服できないでいた。それで新作の立ち上げから2〜3年すると、別の新作を立ち上げて新規のイラスト需要をあおる。古くなった方のタイトルは、一気に過疎化が進んでやっつけ仕事で雑に運営終了させる。
いつもこの繰り返しなのだ。これでは進歩が無いと、私も常々指摘していた。
たぶんそれが原因で、人材離れを招いたのだろう。かつては色々な有名どころとコラボするのが上手い会社だったが、最近はその話も聞かない。
私の偏見かもしれないが、もうPBW自体に希望が見えない。テーブルトークRPGでも、ゲームソフトのRPGでもない半端な立ち位置で。
ガチャには手を染めてないが、イラスト商売が結局ガチャの代わり。安価な代わりに打ち合わせ無しなので、博打といえば博打か。ガチャよりは、全然ましだろうが。
今やイラスト注文サービスだって、PBWと無関係な新興Webサービスにユーザーが流れている。いよいよ危なくなってきたか?
MP社の創業時からの目玉、JavaやFlashで作られたダンジョン探索ゲームだって、サポート終了が間近だ。HTML5での開発は、しばらく音沙汰が無い。
先行きを楽観視できる材料は、どこにも無かった。
MP社は、どうすれば良かったのか?
今なら分かる。私も、ビジネススクールや起業塾に通って勉強した。1万人以上を指導した起業家教育の先生の言葉を借りるなら「こうなりたい未来の姿を示す」のが必要だったのだ。たとえそれが、夢物語でも。
内輪だけのコミュ障で、一年先の運営の見通しさえつけられなくて。語彙力が壊滅的で説明下手の上、世間の流行に流されやすいあのビッグ社長には、限りなく苦行に等しいことかもしれないが。
彼自身、世の中のうねりに流されるだけで、夢なんて忘れてしまってるのかもしれない。夢など持つだけ邪魔と思ってるのかもしれない。だとしたら悲しい。
分かったからといって、どうにかなるのか。
答えは否だ。彼が今更、私の話を聞くとは思えない。今でも時折、動画の生放送で暴言や問題発言をたれ流して、何も考えずに我が道を行ってるのだろうか。
ああなってはMP社が誰かに助けを求めることも、誰かが救いの手を差し出すことも、もう無いのかもしれない。
日本社会は、没落した者に対して極度に冷酷な一面があるからだ。伝え聞く話では海外の人の方がよほど人情味にあふれるというが、本当なのか?
MP社の代わりに、自分が起業することも考えた。しかし先に述べた通りPBWにはもう将来性が無いし、何より私はビッグ社長とスタート地点が違う上、同じ真似をすることもできなかった。助言者はいるが、パーティを組む仲間が見当たらない。
私とビッグ社長は正反対のタイプなんだから、当然といえば当然かもしれないが。
結論を言うと。私に適した方法はまず作家デビューをしてから、その作品のゲーム化を目指すことだろうと思った。プログラミングの勉強もしたが、中途半端で使い物にならない。
しかしまた、ここでも私は道に迷っている。およそ1ヶ月で10万字、プロ並みの執筆ペースは達成できたが。どこの出版社、あるいは作家エージェントと組むのか、さっぱりなのだ。新人賞や、今この小説を投稿しているSNS主催のコンテストにも。警戒心が先行し、応募する気になれない。
どこかへ企画を持ち込むにしても、もっと完璧に練り上げないと相手にもされないだろう。そもそも、私の文字通りの「夢の物語」に関心を持つ出版社があるのか。
そんな風に、私が思考の迷宮入り状態に陥っていると。
「イーノさぁん」
ふと、覚えのある声が聞こえた。
何かの聞き間違いだろうと思って、私は構わずパソコン作業を続ける。
すると、今度は誰かが肩を叩いた。女性の手だった。
はて、母さんは居間のソファで寝ているはずだが。
「イーノさぁん、聞こえてますかぁ?」
聞こえてしまった。ここにいるはずの無い、誰かさんの声が。
いやいや。いくらこちらでは独り身で、少々寂しいと思っていても。私もとうとう母みたいに、幻覚が見えるようになってしまったのか。まだ40代で。
私の母は、数年前にパーキンソン症状のある「レビー小体型認知症」を患い。以後毎月、国立の専門病院に通っている。
父は、ケアマネージャーさんと相談し。介護保険でデイケアやデイサービスの申し込みをして、母にリハビリに通ってもらっている。家族の食事も、父が作るようになった。
私がやっている手伝いといえば、食器洗いや洗濯物を取り込んで畳んだり。あとは風呂掃除や、父不在時の母の面倒を見るくらいか。父の献身には、頭が上がらない。
近所に住んでる私の妹は、母がこうなったのは父の押しが強い仕切り屋な性格のせいだと毛嫌いして、距離を置いている。彼女も育児で手一杯で、余裕が無さそうだ。
我が家での私のポジションは、みんなの聞き役と言ったところか。
両親は70代で年金生活、私は40代で無職。父は数年前に両親を相次いで亡くし、つい最近いとこの親の葬式にも出た。私の両親も、いつまで生きているか。
このままだと、8050問題とその先の孤独死へまっしぐらだ。
つまるところ、私の身近なあらゆる所に。現代日本の「大いなる冬」を形成する様々な問題がひしめいていた。まったく、人生は
「イーノさぁんってばぁ!!」
少し怒った、可愛らしい声が響いた。
もしやと思って、振り向くと。
「来ちゃいましたぁ♪」
なんてこったい。
そこにいたのは、氷都市での嫁エルルちゃん。
「ちょっ!?」
思わず、人差し指をくちびるに当てる。
一階の母に見つかったら、どう説明するのか。見られなければ、動画やゲームの声だとごまかせるかもしれないが。
夢渡りだ。エルルがここにいる理由は、すぐに察しが付いた。
イーノやミハイルたち地球人が、夜寝てる間に夢渡りで氷都市に招かれるのなら。氷都市民のエルルが寝てる間に、地球へ夢渡りしたっておかしくない。
夢召喚ではない、行き先不明のランダムな夢渡りで地球にたどり着くには。よほど強く地球に行きたいと願い続けるか、あるいは先日使った夢召喚の応用で自分の夢渡り先を意図的にコントロールするか。エルルは、それをやってのけたのだ。
「ご迷惑でしたかぁ?」
「いえいえ、とんでもない。散らかってる部屋で申し訳ないですが」
私の部屋は、敷きっぱなしの布団と。今の家に引っ越す時に積み上げたままのダンボールや片付いてないその他諸々で、足の踏み場もあまりない。
ADHDの人は、部屋が片付けられないんだ。同じく片付けができず、借家を転々としたと伝わる葛飾北斎の同類だと、私は思う。
「…いつから、見てました?」
「朝からですぅ」
起きてから全部、精神体の幽霊状態で見ていたらしい。正直、恥ずかしい。
お客さんが来た以上、お茶の一つも出さねばなるまい。母は寝ながらテレビを見て、父は買い物に行ってる間に。
先日のお葬式でもらったドリップ式の緑茶と。付き合いのある近場のイラストレーターさんから前に頂いたお土産の茶菓子で、エルルちゃんをもてなすことにした。
「お茶をどうぞ」
「いただきますぅ」
狭い自室にお盆を置いての、やや窮屈な接待だったが。
エルルにお茶をいれてもらった、夢召喚初日のことを思い出す。
「私は見ての通り、無職の冴えないおっさんで。ミハイルさんみたいなイケメンでもないし」
私はかいつまんで、地球での現状をエルルに話す。氷都市で演じているユッフィーが、実はPBW「偽神戦争マキナ」でのマイキャラだったことも含めて。
「あ、ユッフィーさぁんがいますぅ。このピンク髪の方はぁ?」
「…マキナでの彼氏です」
エルルが私のパソコンを通じて見ているのは、マキナでのユッフィーが
少しぽっちゃりで、オタクな感じのピンク髪のおっさん。しかしながら種族はアンドロイドというのが、マキナ内におけるユッフィーの彼氏だった。温和な人柄で、話していて気が合うなと思っているうちに、なんとなくいい感じになっていた。
なお、私が容姿でマイキャラの恋人を選ぶことはほぼ無い。容姿など所詮いかようにでも「作れる」世界の話。私は老若男女幅広く演じるが、女子キャラの場合にそれが顕著だ。中の人がおっさんだと、同じおっさんの気持ちがよく分かる気がする。
「やっぱりぃ、優しいんですねぇ。イーノさぁん」
エルルが、私の顔をのぞき込むようにじいっと。顔を近付けて見つめてくる。
思わず、勢いに気圧される私。
「無職でもぉ、おっさんでもぉ、不器用でもぉ」
エルルの目が、必死に訴えていた。自分を卑下するなと。
「それでもぉ、わたしぃの家族ですからぁ!」
闇夜に迷える旅人の、心を支える灯りであれ。
エルルが信じる、女神アウロラの教えとされる言葉が思い浮かんだ。
ありがとう。こんな私の家族でいてくれて。
地球で変な騒ぎを起こさぬために、エルルをこちらで人前に出すのは慎重であるべきだろうけど。
そのうち一緒に出かけようと、私は彼女を誘うことにした。
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