第31話 ホモ・ルーデンスと楽しい日本
ここまでの経緯で。紆余曲折はあったにせよ、イーノ個人は氷都市の冒険者としてほぼ認められた。
次は、新たに夢召喚する地球人を「勇者候補生」として受け入れてもらう番だ。
短い休憩を挟んで、イーノのプレゼンは続けられた。
「イーノ様の住む国、日本は数十年もの間戦争をしていません。氷都市でいう兵士や冒険者に相当する人の割合は、一億二千万の総人口に比べれば少数でしょう」
多くの日本人は、平和の大切さを知っている。ミキから聞いた話…かつて氷都市を巣立った百万の勇者たちの中には、戦争をゲームのように楽しんでしまい。後により強い者との戦いを求めて、
地球人ならそういう場合、スポーツがあると。イーノはユッフィーの姿で力説する。オリンピックはスポーツと平和の祭典と、ミハイルも助け舟を出してくれた。
今、元の姿に戻ると、オグマがまた「壊れて」しまうので。彼への配慮でイーノとユッフィーは別人として、なりきりを続けている。
(今後は、お師匠様の見てない所で変身を解くことにしましょうか。たまにはイーノとして、エルルちゃんとデートもしたいし)
ちらと、オグマの方を見ると。エルルが目配せをして、彼が落ち着いていることを教えてくれた。
「あなた個人は良いとして。多くの地球人を夢召喚する場合、アバターボディの数が足りなくなる事態も考えられます」
長い間イーノの頭を悩ませたエンブラも、今は相手が娘に相応しいか、ではなく。こちらの課題を一緒に考えてくれているようだった。やはりオグマのときと同様に、エルルの幸せそうな笑顔が決め手になったか。
「ご指摘の通り、地理的な制約から。地球人は夢召喚でしか、氷都市に招けません。ですが夢魔法への高い適性を活かせば、実体を得ての活動も可能です」
イーノがアバタライズを実演して見せる。ユッフィーの姿のまま停止したアバターボディの横に、半透明のユッフィーの精神体が現れると。評議員たちから驚きの声があがった。
本来ならイーノ本人が精神体となって現れるところを、アバターの姿を保ったまま幽体離脱したからだ。
「夢渡りの民の技か」
「確か、歩き巫女のマリカも地球人の出だったな」
ユッフィーがアバターボディ使用時の感覚を思い出しながら、イメージの具現化を行うと。精神体が頭のてっぺんから徐々に実体化していき、はた目にはユッフィーが二人いる状況となった。
「日本のニンジャの、分身の術みたいだね」
ミハイルも少し、驚いていた。
「マリス様が言うには、通常長い修行期間を要するそうですが。アバターボディでの変身に慣れておくと、そのイメージを精神体が覚えてくれるみたいですの」
もちろん、新たな変身パターンを覚えたい場合は再度アバターボディの助けを要するが。
「アバタライズ習得を前提とすれば、アバターボディ不足は回避できそうですね」
エンブラが納得する。
氷都市の地下には、古き神々の時代にアバターボディを製造していた工房の遺跡も残されているが。現在の技術では新規に作れず、使えるものを整備して運用しているとアウロラが説明してくれた。
「もう一つ。夢魔法への適性をさらに高めている文化的要因で、地球には手の込んだ『冒険者ごっこ』もありますわ」
「
好奇心を宿した瞳で、リーフがユッフィーに問いかける。
フリズスキャルヴで地球のことは見れる以上、RPGの存在を知っていて不思議は無いと、軽い気持ちでユッフィーがうなずけば。
「実は紋章院でも、TRPG研究会みたいな有志の集まりがありまして」
「まあ、そうですの?」
これには、地球人の方が驚かされた。ファンタジー世界の冒険者自身が、地球製のテーブルトークRPGを模倣してゲームを作り、遊んでる可能性さえあるのだから。
フリズスキャルヴ、恐るべし。
「古の昔、地球人は目に見えない神や精霊の存在を信じ。個人の利害を超えて団結し文明を築き、貨幣経済という『虚構が現実に力を及ぼす』仕組みを作り上げました」
目に見えぬ力や存在を信じる。その極致が舞台や小説であり、漫画やアニメや映画であり、RPGだったと。ユッフィーは語る。
地球人は自分と違う「何者か」への変身を欲し、今と違う人生を生きたいと願い、まだ見ぬ新しい世界を求め続ける。
「その探究心の根源こそ、夢渡りにあったと。世界の裏側の真実を知った今しみじみ思いますの。何千年もの昔から変わらず、人は冒険者なのだと」
遺跡から帰還してしばらく、イーノは自分の冒険談を「氷都の舞姫」の続編となる新たな小説にまとめていた。今あなたが読んでいるこの小説「勇者になりきれ!」がまさにそうだ。
そのためにミキやエルル、オグマやアリサたちから様々な話を聞いて、取材した。ゾーラやオリヒメたちも、興味を持って執筆の進捗を聞いてくるほどだった。中にはこんな、驚くべき話もあった。
かつて地球上に、未知の領域があふれていた時代。人類は自らも知らぬ間に境界を越え、自然につながっていた地球と異界を行き来し。アスガルティアやオケアヌス、トヨアシハラやその他無数の異世界と交流していた。
そこで起きた出来事、出会った神々や怪物とのエピソードが神話になり、人々の間で語り継がれた。けれども人間の探究心が地球を探索し尽くし、巨大になった宗教の力が異界とのつながりを断ち切り。やがて「神は死んだ」との認識が広まったとき、地球は他の世界から切り離された孤島となった。
マリカたちベナンダンティを迫害したキリスト教も、世俗の支配力を失い。現代のローマ教皇フランシスコは諸宗教の融和を唱える立場に回って、世界平和のメッセージを発信している。それでもなお、地球と異世界の分断は癒されていない。
地球人は自らの手で、地球外の知的生命との関わりを断ったのだ。宇宙人なんか、探したって見つからない。我々は、青き星に取り残された悲しき孤児だった。
「それでもなお、人は魂の奥底で冒険を求め。無意識の領域で旅を続けていました。夢渡りで物理的な制約を超え、遥かなドリームウェイ、オーロラの道の彼方へ」
そして今。就職氷河期に始まる失われた三十年とフィンブルヴィンテル、ふたつの「大いなる冬」が奇妙な縁で。遠い昔に離別した、友との再会をもたらした。
ユッフィーの語る壮大な物語に、今や市民総会の場は中の人イーノの独擅場だ。
「氷都市は現在、イーノ様の地球のどの国とも正式な国交を結んでいないと聞きました。異世界のパワーバランスを乱さないための配慮であることは、承知しています」
フリズスキャルヴを持つ氷都市が、地球の特定の国にだけ肩入れすることは。アメリカでスノーデンが命がけの告発を行った盗聴監視プログラムよりも危険と言える。そのような騒ぎを起こさず、上手い形で縁を活かすことはできないか。
「でもこうして、また出会えたのですから。留学や民間交流の形で、世界の裏側で。少しずつ、いつか地球が雪解けの日を迎えるまで。二つの世界を覆う『大いなる冬』を終わらせるため、共に歩むことはできないでしょうか」
現代人が、再びの「ファーストコンタクト」を経て。異世界と公に交流できるまでは、夢渡りの真実を実際に見て忘れなかった者たちが「地球代表」だ。今なら読者のあなたにも、なれるかもしれない。
今、エルルには。ユッフィーの言葉がどんな大統領の演説よりも雄弁に響いているだろうか。彼女の目の輝きを見て、ミハイルはそう思った。
「もちろん、適性だけで『勇者候補生』への勧誘は行いません。人柄や素行などを、対象者とネット上か対面で交流した上で考慮し、選定しようと思います」
「フリズスキャルヴは使わないと?」
アウロラの疑問に応じて、ユッフィーがうなずく。こちらに情報系チートがあっても、他の異世界もの小説の如き「ブラックな振る舞い」は許されない。まず自分たちが襟を正してこそ。相手の信頼も得られるだろう。
そもそも、氷都市がフリズスキャルヴの運用で一番労力を割いているのは。自衛のための情報収集だ。勇者候補生の素行調査のために、対
調査の手間を省くため、初期段階ではすでに気心の知れた友人や知人で制度の試験運用をすると、一同には断っておいた。
「ご配慮に感謝いたします」
「それともう一つ。千里眼の秘宝フリズスキャルヴを地球人向けに『異世界テレビ』と呼ぶのはいかがでしょう?説明が楽になりますの」
異世界の映像を映し出す、テレビのようなもの。映っている対象とテレビ電話風の通話も行えるから、適切なネーミングだとリーフは理解を示してくれた。
「だんだん、RPGっぽくなってきましたね。地球製RPGで使われる仕組みを上手く利用すれば、勇者候補生さんたちも楽しんで上達してくれそうですし」
「異世界に行ったらゲームの中みたいだった…ではなくて。異世界側の管理運営上の工夫で、地球人向けにテーマパークのようなアトラクションを作ろうと思いますの」
その辺は、オグマに協力を頼んでヒャズニング練武場の改修をすればどうにかなりそうだった。オグマ本人もユッフィーから頼りにされて、満更でない様子だ。
「地球人相手には、地球の流儀でか」
「もちろん、どこかで現実には向き合って頂くことになるでしょう。それでも入口としては十分かと」
ここまで静かに話を聞いていたクワンダが、確認するように問いかけると。
中の人の経験も交えて、RPG風の導入であってもゲームとは別物だとユッフィーがきっぱり答えた。
これはゲームではない。誤解を恐れず言えば、本気の遊びだ。
「勇者候補生プログラムは、ただ単に氷都市の課題解決だけを目的としたものではありません。地球で居場所の無い人を氷都市に招き、この寒いけれど心温まる街で自己肯定感を育てて頂いて」
彼らが現代日本の「大いなる冬」を生き抜く助けになりたい。挫折した者に再起の場を与える街、氷都市。そのあり方は地球人相手でも、全く変わらなくていいと。
ユッフィーの姿で、イーノは聴衆に訴えた。
「その再起する人には、もちろん君自身も入っているのだろう?」
ここまでの話から、リリアナがイーノの熱意の源を言い当ててみせると。
「ええ。この話を元に小説を書いて、地球で一山当てたいと思いますの」
「ドワーフらしい貪欲さと、商人の才覚には恐れ入るよ」
オティス商会の実質的トップからの言葉としては、最大級の賛辞だろう。
「RPGについて、日本人には不思議なことがひとつあります」
ユッフィーがさらに、話を切り出す。
「現実を見れば、日本には男女間の差別も、障害者や外国人への差別も存在します。ですがRPGの世界に入ると…男女は平等で、異種族混成パーティが当たり前です」
わたくしの欲張りな夢は、勇者候補生プログラムで氷都市の抱える難題に取り組みつつも。日本の社会を「異種族混成が普通」に変えること。若者も氷河期世代も、健常者も発達障がい者も、難民やLGBTの人も等しく居場所のある国にする。
その過程でイーノ様も自分らしく輝きながら生活の糧を得られるようお助けする。氷都市を巣立った人たちが、日本を明るく楽しく元気にする未来をつくる。
誰かを糾弾するでもなく、危うい正義を唱えるでもない。そのスタンスが評議員たちにも伝わったようで、ユッフィーの語りにヤジを飛ばす者もいなかった。
「その鍵は、遊びこそ人類の営みの本質とする考えにあるでしょう」
全ての文化は、遊びに起源を持つ。誰に命じられずとも進んでやり、楽しんで夢中になり。そうした遊びの中から、多くのものが生まれた。人は世界の隅々までを踏破した。
かつて「強い国」を目指した日本の歩みは、太平洋戦争の終わりと共に頓挫した。その後、様々な条件が重なり奇跡の復興を遂げた日本だが、表面的な豊かさはバブル崩壊と共にまたも崩れ去った。日本には、就職氷河期という大いなる冬が訪れた。
そして奇しくも、今後の日本は「楽しい国」を目指せば良いと進路を示す人が現れた。堺屋太一氏の遺言は、人類の営みの根元への回帰なのかもしれない。
ただ単に、ゲーミフィケーションの一言で片付く話ではないだろう。遊びはただのゲームとも違うのだから。
「遊び気分を、けしからんと思うなら。バルハリアの古き神々が残した遺産にアバターボディがある理由をお考え下さい。神々のRPGで使われた、変身用のおもちゃ」
ギリシャ神話では、人や神々が実に様々なものに姿を変えた。インド神話の神々もまた、多種多様な化身となって人前に現れた。その変身物語の影にあったものは、もしかするとこの不思議な「異種族エミュレータ」かもしれない。
地球における世界各地の、神話や伝承が「異世界とつながっていた」頃の記憶なのだとしたら。
氷都市民としては、そこを突かれると正直ハッとするだろう。事実、そのような顔をしている者もいた。
語り終えたユッフィーを前に、会場が静まり返る。
たかだか地球人を氷都市に呼ぶ理由の説明に、ここまでの話をされるとは思ってなかったのだろうか。
ボルクスが一声鳴いて、ユッフィーの頰をなめた。
何か言葉を紡ぐには、まだ少しの沈黙を必要とするだろうが。大方の聴衆は、目の前にいる欲深なドワーフの娘を好意的に見ているようだった。
この小人は、溜め込んだ黄金を皆に分け与えようとしているのだと。
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