閑話1 不寛容な社会の優しさとRPG文化

 イーノが地球の自分の部屋で、ノートパソコンに向かっている。

 元はプログラミング用に一念発起して買ったものだが、一年近く経った今もエンジニアとしての職は得られていない。

 正確に言うと、私自身が拒否している。会社組織に馴染める気がしないからだ。


 自分の小説にレビューがついたので、どうしようか。

 イーノは対応を考えていた。


 そのレビューの見出しは、明らかに挑戦的なものだった。

 ADHDは障がい者ではないと。なかなか良い指摘である。

 それで、発達障がいへの理解を深めてもらうため。この話をすることになった。


 単なる嫌がらせで、こんなことをする人はいない。

 この人は、大人の発達障がいの当事者である私に貴重なネタをプレゼントしてくれたのだ。削除やブロックするなんて、とんでもない。


 これが現代日本の、不寛容な社会である。

 何かあれば自己責任論だの、社会の分断だのと。言うのは容易い。


 読者側にライバルがいる?そんなのとっくに想定内です。


 事実、だいぶ先の話ですが。この小説の作者である私イーノは、読者を名乗る正体不明の地球人から攻撃されたことがあります。

 敵も味方も読んでいる。世界の裏側を知る人の、異世界の現実リアルを伝えるメディア。私はそういうスタンスで「勇者になりきれ!」を書いてます。


 これは、毎晩異世界と地球を行き来している私が、自らの体験を元に書いた小説だ。


 結論から言おう。発達障害もADHDもアスペルガーも、本来「個性の違い」だ。

 その個性の偏り具合が「一般人」の範囲から大幅にはみ出していることで、日本では法律上「精神障がい者扱い」されているに過ぎない。


 RPGのキャラクターの能力値に例えて説明すると、分かりやすい。


 仮に日本人の平均的パラメータが、こうだったとする。

 冷静さ:20 協調性:20 好奇心:20


 ADHDの人には、こんな人がいるかもしれない(個人差があります)。

 冷静さ:1 協調性:1 好奇心:200


 法律とは、国家が国民に対して求める「理想の人物像」の具現化である。古代中国をテーマにした大ヒット漫画で、そんな名言があると最近知った。

 要するに日本という国家は、普通の人の範疇に収まる均一な人間を理想像としている。そのカテゴリーから逸脱する者は、障がい者だという解釈だ。


 発達障がいの人は、個性の偏り・能力値のアンバランスで、日常生活において大変な苦労を強いられている。だから障がい者扱いにすることでハンデを差し上げよう。

 もしかすると、日本国のそんな「優しさ」の表れかもしれない。


 ちなみに、この「200の好奇心」を一般人と違った個性=才能として認め、活用する社会がある。アメリカなどは特にそうだ。

 発達障がいの説明をRPG風にすると理解しやすいのは、RPGがそもそも個人の違いを当たり前とする文化の産物だからなのかもしれない。

 

 RPGの職業は基本、ひとつの分野の専門家だ。それ以外は、苦手な分野が必ずある。個性を持ったひとりひとりが、短所を補い合うことで各自の長所を最大限発揮できるようにする。万能型キャラは能力が中途半端だったり、成長が遅い。

 これこそ、RPGの力学。


 元祖RPG、ダンジョンズ&ドラゴンズは1974年にアメリカで初版発行された。その翌年、1975年に私は生まれた。私らは兄弟みたいなものだ。


 均一な人間を理想とする日本人に受け入れられた、外来文化としてのRPG。

 現代日本の「大いなる冬」を攻略する鍵は、そこにあるかもしれない。


 RPGパロディをモチーフとした小説を書いてる、そこのあなた。

 ボ〜っと生きてんじゃねぇよ。

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