第3話 悩めるおっさんは変わりたい

「やあ!氷都市へようこそ。歓迎するよ」


 アウロラの招待に応じて、私が氷都市へ到着すると。

 まるで白亜の神殿と空港が混ざったような不思議な入場ゲートの先で、ミハイルが出迎えてくれた。


「初めまして、ミハイルさん。『氷都の舞姫』の作者、イーノです」


 イーノが、丁寧にお辞儀をする。


 間違いなく、テレビやネットで見たことのある。あのオリンピック金メダリスト…凍土の皇帝、ミハイル・シモシェンコだ。

 間近で見ると、圧倒的な自信というか。スターのオーラを放っている。


「こうして会うのは初めてだけど。『偽神戦争マキナ』では、何度か話をしたよね」


 するとミハイルは、黒いサングラスを取り出してかけてみせる。


「グラサン大尉こと、ダグラス・サンダースのプレイヤーをやってるミハイルだよ。改めてよろしくね」

「ええっ!?」


 夢召喚された者はみんな身一つで氷都市へ来ているはずだから、こちらで特注したのだろうか。

 ミハイルは金髪なだけあって、元ネタになったキャラの再現度が高い。


 日本のゲームが好きとは聞いてたけど、オンライン専用のテーブルトークRPG亜種、プレイバイウェブP B Wなんてマニアックなものにまで手を出してたのか。

 しかも、イーノが長年どっぷり浸かっているミリタリー・パレードM P社のいわく付きタイトル。これまでに幾度もの「事件」があり、暴走を繰り返す「ビッグ社長」の率いる運営チームからは、オフ会で社長と十年来の付き合いがあったイーノも距離を置いていた。


 なお、イーノが小説書きになった理由は「運営もマスターも信頼できない」というものだ。

 PBWでは、プレイヤーの行動文章を元にゲームマスターが行為判定をして結果を「リプレイ小説」に書き起こすが。TRPGのような対面のコミュニケーションでないためプレイヤーとマスターの意思疎通に大きな問題があり、両者が協力して物語を紡いでいくのではなく。

 プレイヤーが、マスターの独裁に強制的に服従を強いられる。そんな歪んだ関係性になっていた。もちろん、プレイヤーがマスターを助けることもできない。


 そんな事情から、PBWはすでに絶滅寸前か形骸化しきった衰退ジャンルとなっており。専用SNSを用いた「なりきり交流」と、キャラクターイラストのオーダーメイドサービスだけが数少ない楽しみとなっていた。


「何度か、大手の『小隊掲示板』でお見かけしましたね。いろいろと不便も理不尽もある中、前向きにゲームを楽しもうとする姿勢が眩しかったです」

「そうそう、人生もゲームも楽しんでこそだよ」


 ふと、思い出したように付け加えるミハイル。


「中の人がぼくだってことは、内緒で頼むよ。騒ぎになっちゃいけないから」

「はい。男と男の約束です」


 同じゲームのプレイヤー同士、積もる話もあるが。

 ミハイルの隣に控えていたアウロラが、ここでイーノに声をかける。


「イーノ様、少しご説明をよろしいでしょうか」

「はい、お願いします」


 アウロラは、ヴェールを上げて素顔を見せていた。女神としての気品は感じられるが、どこか少女のようなあどけなさも感じられる。

 ただ、ロングウェーブの髪はオーロラを連想させるグラデーションになっており。かなり人目を引く姿になっていた。


「さきほど申し上げた通り。私がイーノ様にかけた『夢召喚』は、眠っている方の精神だけを異世界に呼び出す術です。そのままでは幽霊のような精神体となり、何かと行動に不便も生じるでしょう」

「でも、身体がありますよね?」


 私は、手で胸をポンポンと叩いてみる。確かな手応えがあり、足も地に付いてる。


「それが、アバターボディだよ。おかげさまで、ぼくはこの通り全盛期の身体さ」


 ミハイルが楽しそうに、その場でクルッと回ってみせる。言われてみると、少し若いような気もする。


「そういえば、地球でのミハイルさんは。現役時代ずいぶんご苦労されてましたね」

「うん。フィギュアスケーターは身体への負担が大変でね、ぼくはよく怪我や故障に泣かされたよ。最後には、背骨にボルトを入れるまでになったけど…とうとう限界を悟ってね」


 ミハイルが、昔を思い出すように天井を見上げる。


「引退後の今はコーチとして、後輩たちに無理のかからないスケーティングを教えているよ。ここ氷都市でも、コーチに招かれてね」

「それで私は、ミハイルさんの紹介で氷都市と縁がつながったんですね」


 何の特技も無い、一般人の自分が海外旅行のような異世界体験をできてることに。イーノは改めて、ミハイルに感謝の意を表明した。


「イーノ様も、はじめからアバターボディの中に精神を召喚しております。ご自分の身体と全く同様に、運動も食事も入浴も可能です。生体機能の全てを再現した、超高機能のサイボーグボディとお考えください」


 そういえば、眼鏡をかけてないのに良く見える。地球での私は、乱視の入った近眼だ。


「おっと、そろそろ時間かな」


 ミハイルが腕時計を見るように、左手の甲を見る。しかし、その手に腕時計は巻かれていない。

 不思議に思って手の甲を見ると、そこには光る紋章のようなものが浮かび上がっていた。中心に時計の文字盤らしきものが見える。


「便利だろう?君の手にも、標準装備されてるよ。それじゃあぼくは、教え子のミキちゃんのところに戻らないとね」

「はい、ありがとうございました」


 イーノが一礼すると。

 ミハイルは手を振って、神殿内の通路の奥へ消えていく。


 そう言えば。便利な機能の標準装備と聞いて、アウロラに確認してみたが。アバターボディには自動翻訳機能も完備だとか。道理で、ミハイルにもアウロラにも日本語が通じるわけだ。


「では、私たちも参りましょうか」

「はい」


 アウロラに案内されて。イーノもまた、神殿内の一室へと向かうのだった。


◇◆◇


 緑豊かな、女神の神殿の一室。

 そこは庭園の中のあずまやのような風情で、吹き抜けからは巨大なスタジアムの内部が見えた。古代ローマのコロッセオ風だが、中央に見えるのはフィギュアスケート用のリンクだった。


 遠く小さく、リンク上にミハイルの姿が見える。その周囲には、巫女たちの姿。

 ふと、イーノはその中に見覚えのある顔を見つけた。


 銀髪のサイドテールが揺れる、まるで雪女みたいに白い肌とは対照的な。明るく活発で、笑顔のまぶしい女性。


「彼女が『氷都の舞姫』のヒロイン、ミキさん…」


 自分が以前、クリスマスの夜の不思議な夢を元に書いた小説。その主人公とも呼べる旅芸人の娘が、そこにはいた。


「ええ、そうです。あなたが見た夢は、全て本当にあったことなのです」


 アウロラの促すような視線を感じ、イーノは真摯な表情で答えた。


「分かりました。小説に書いたことも、書かなかったことも。夢で見たことは全部、お話しします」


 すると、部屋に控えていた金髪の女性が。イーノとアウロラ、そして自分用にそれぞれハーブティを淹れてくれた。


「お茶をどぉぞぉ」


 彼女も、巫女のひとりだろうか。

 一本三つ編みに編んだ髪が、素朴な雰囲気をかもし出している。フィッシュボーンと呼ばれることもあるのは、文字通り編み目が魚の骨のように見えるからだ。


「いただきます」


 一言お礼を言って、カップを口につけると。青リンゴのような心安らぐ香りが鼻腔に抜けて、緊張をほぐしてくれる。


「エルルも、私と一緒に聞くといいでしょう。ベルフラウはあなたの親友でしたし、可愛い後輩のミキも、気にかかるのでしょう?」

「アウロラ様はぁ、何でもお見通しなのですぅ♪」


 エルルと呼ばれた、金髪の女性。おっとりした感じの、北欧系の雰囲気美人とでも言おうか。ワンショルダーのショートドレスは水色で、古代ギリシャ風の装いが素朴な愛らしさを引き立てていた。

 アウロラとエルルの関係は、女神と巫女というよりは仲の良い姉妹のようだった。


「私も何らかの形で、氷都市のみなさんのお役に立ちたいんです」


 あの夢が、事実と知った今。

 イーノは、映画でも見るような気分で無邪気に悲劇を眺めていた自分を責めていた。

 その態度は、衝撃的なラストで有名な、携帯ゲーム機初のカオスな世界観のRPGに出てきた「かみ」を自称する…ゲームマスター気取りで人の命を弄ぶ外道と変わらないものに思えたからだ。

 今風に言えば、プレイヤーをデスゲームに数年間閉じ込めた、とあるVRMMOの黒幕だ。


 その後悔と反省、悔悟の念は。イーノが夢で見た「勇者の落日」を語るにつれて、自然とアウロラとエルルのふたりに、痛いほど伝わっていた。

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