2.ミズナの過去
微かな少女の呟き――その言葉に驚いている間に、わらわは少女の記憶の渦に巻き込まれた。
ぐるぐると……ここに来るまでの少女の半生が視える。
母親が子守唄を歌っている。これはパラリュス語の……テスラの歌だ。
視えるのはこのテスラの民と思われる母親と二人でいる所ばかりだ。父親は……時々訪れるだけ。
やがて母が亡くなり……少女が泣いている。少女がパラリュス語で父に言う。
――お母さんに謝って! 独りにしてごめんって!
父親が弾かれたように居住まいを正し、土下座をする。少女の言葉通りに謝り……ハッと我に返って少女を見つめる。
その瞳には、恐怖の色が混じっている。
何を言われて何が起こったかはわからないが……娘の不思議な力に気づいたのだろう。
そうか、
その後の詳しい経緯は……少女の視点からではわからない。
父親が毎日少女の元へ帰ってくるようになった。
しかし……その幸せも長くは続かない。父親が徐々に荒れていく。少女に暴力を振るうようになる。
そして……少女は、ソータに出会った。
* * *
「ネイア様!」
神官の声で我に返る。
二人の神官が、わらわを少女から引き離していた。
「外部から来た人間はすぐに元の世界へ戻さなくては……それが、このヤハトラの決まりです!」
神官の中でもずっと……祖母の代からヤハトラの巫女に仕えていた古株の男性神官が、わらわを咎めるように言った。
「――どうやって?」
二人の腕を振り払い、わらわはじっと、その老齢の男性神官を睨みつけた。
「既にあの謎の切れ目は消えている。どうやって戻せと?」
「……それは……」
男性神官は口ごもった。
この少女の名は――ミズナ。
母が憶えておけと言っていた少女だ。ソータに関わる、大事な娘だ。
しかも、ひどく傷ついている。このまま何もなかったことにして帰す訳にはいかない。
しかし……神官の言う通り、外部の人間をジャスラに留めることは今までのしきたりに反する。
わらわも巫女になったばかり……ヤハトラの中で軋轢を生むのは本意ではない。
だが……。
「……この少女はテスラの血を引くフェルティガエのようだ。闇を祓う力を持っている」
「……何と……!」
「ひょっとしたら、闇を浄化できるかも知れん」
増え続ける闇をどうするべきか――それが、このヤハトラでは一番重要なことだった。
実際、一瞬見ただけではどれぐらいの力を持っているかはわからない。
しかし……神官たちを説得するには、これしかない。
「それと……十代目ヒコヤと旧知の仲のようだ。とりあえず、ヒコヤがこのヤハトラに来るまで保護する」
「……しかし……」
「部屋を与え、表には出さない。わらわが直接監視する。今この場にいる、三人の秘密でよい。すべての責任はわらわがとる」
わらわは神官たちに深く頭を下げた。
どうしても……ここはどうしても、引く訳にはいかなかった。
わらわしか知らぬ――母の遺言だ。
「この娘はヤハトラ――いや、この国ジャスラを救う救世主となるかもしれんのだ。何卒……よろしく頼む」
◆ ◆ ◆
「ねぇねぇ、母さま。ソータはわらわと遊んでくれるかの?」
セイラがわらわの手を引っ張る。その温かさで、ふと我に返った。
「ソータも言っていたであろう。ちゃんと言うことを聞いて勉強もしなければ駄目だぞ。そろそろ時間だ」
「……わかった」
セイラに勉強を教える神官が迎えに来る。
いつもならわらわに甘えてなかなか離れようとしないのだが、今日はソータに言われたせいもあって素直に神官に連れられて行った。
二人を見送ると……わらわは神殿の闇を見上げた。
「ミズナ……本当に救世主になるとは思わなかったぞ……」
* * *
ミズナはそのあと丸二日間、目を覚まさなかった。
ミズナがテスラの民の血をひいているということがわかり、わらわはある事を思い出した。
ヤハトラには外部の人間はいない。しかし昔、一度だけテスラのフェルティガエが紛れこんだことがある。
確か、そのときに話を聞いて書き記された書物があったはずだ。
わらわは必死になって調べた。
そして……ミズナは無意識にゲートを開いて、このヤハトラにやって来たのだということがわかった。
ゲートはミュービュリとパラリュスをつなぐ通路で、フェルティガエの中でもミュービュリの血を引く者しか渡れないという話だ。
ジャスラのフェルティガエでは、開くことはできても渡ることはできない。
だから、誰もそのフェルティガは知らなかったのだ。
だが……ミズナの過去を視て、確信した。これはゲートだと。
そして同時に……やはり、ミズナを帰す訳にはいかないと思った。
ミュービュリには、ミズナの居場所はない。ミズナはどこでもいいから逃げようとしていたのだ。
その後目を覚ましたミズナに、わらわはヤハトラの状況を説明した。
ミズナはパラリュス語を理解していたが、自らは決して喋ろうとはしなかった。自分のフェルティガをうまく操ることができず、暴走するのを防ぐためだった。
日本語で話しかければ日本語で答えるだろうか……そう思って少し覚えた。最初はそれでもあまり喋らなかったが……徐々に少しずつ、一言二言だが話すようになった。
わらわが何故こんなに必死になっているのか、神官たちも不思議だったようだ。
母の遺言ということもある。ミズナの境遇があまりにも不憫だったということもある。
でも、それ以上に――わらわは大事な人を失う淋しさに、共感したからかもしれない。
* * *
「ただいま、ネイア」
ラティブの旅を終えたソータが神殿に現れた。実年齢は33歳なのだが、体内にある勾玉の加護で22、3歳にしか見えない。
ミズナが20歳のまま時を止めているように……ソータの時も、ゆっくりと流れている。
――身体も、心も。
「ソータ……よく戻ったな」
「おう。あれ……レジェル?」
ソータはわらわの隣に居る碧がかった瞳の少女を驚いたように見た。
レジェルはヤハトラの巫女の血を引くフェルティガエで……言うなれば、わらわとは遠い親戚ということになる。
ジャスラでは唯一のミュービュリの血を引くフェルティガエであり、闇の浄化の力を持っていた。
5年前、ラティブの領主に捕らわれていたところをソータが保護し、現在はハールのレッカの城に預けられている。
最初は14歳とはとても思えないほど小さく、かなり弱っていたのだが、19歳となった今は、少し背も伸びてすっかり大人びている。
小柄なのは相変わらずだが、表情も明るく、足取りもしっかりとしていた。
「お久しぶりです、ソータさん」
「そうだな。……5年振りだもんな。元気になったみたいでよかった」
「もう少し前に来ようと思っていたのですが、ソータさんが戻られると聞いたので」
「一人で来たのか?」
「いいえ。エンカさんに、ミジェルと一緒に送ってもらいました」
ミジェルはレジェルの妹で、セイラと同じ7歳だ。
ヤハトラには小さい子は他にはいない故、良い友人になれば、と思っていた。
ミジェルも、ヤハトラの巫女とミュービュリの両方の血を引く人間だ。
二人の存在は当然、ジャスラにおいては禁忌だ。
しかし……それは彼女らのせいではない。わらわ達――ヤハトラの巫女が考えていけばいいことだ。
「あの……浄化、始めましょうか。ミズナさんに会いたいですよね?」
「えっ!」
レジェルの言葉に、ソータが顔がみるみる赤くなる。
多分、真っ直ぐ言われたので戸惑ってしまったのだろう。
「いや……あの……もう少し、落ち着いてからで」
「何故今さら誤魔化す必要が……」
わらわが思わず呟くと、ソータが「そういう問題じゃねぇ」と赤い顔のまま睨んだ。
ソータが今、旅をしているのは……他でもない、ミズナを救うためだ。
なのにソータは、相変わらず不器用に恋をしている。
――母さま。母さまの遺言はまだ実現できておらんが……とりあえずソータは、今、虚ろな瞳はしておらぬ。早く……良い報告ができるとよいのだがの……。
心の中で呟く。
知ってか知らずか……神殿の闇が、わらわの想いに答えるかのように、ゆらりと揺らいだ。
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