13.本当に……其処にいた

「ネイア……どうした? 何かあったのか?」

「……」


 ネイアは黙りこくったまま早足で廊下を歩く。ネイアの腕の中のセイラもそんなネイアが気になるのか、パチパチと何度もまばたきをしている。

 夢鏡ミラーでトーマ達の様子を見てから、どうも変だ。


「あの……トーマの友達、何かあるのか?」

「……後で話す。ここで待っていろ」


 ネイアは自分の私室の前に来ると、そう言い残して入って行ってしまった。

 仕方なく待っていると、やがて扉を開けて出てきた。セイラを寝かせてきたようだ。

 そして、手には何やら古びた紙切れを持っていた。


「何だ、ソレ?」

「とりあえず神殿に行くぞ」

「……ああ」


 ただならぬ様子だったので、俺は大人しくネイアについていった。


 神殿に着くと、ネイアは机の上に手に持っていた紙切れを広げた。

 地図のようだ。形は違うが同じぐらいの大きさの島が三つある。


「何だ? これ」

「大昔のパラリュスの地図だ。これが……ジャスラ。その北東にあるのがテスラ。二つの国の東にあるのがウルスラだ」

「え?」

 

 俺はちょっと驚いて、まじまじと地図を見つめた。

 三つの島は、寄り添うように描かれている。もしこの通りなら、ハールの海岸からはウルスラが見えるはずだ。

 だが……そんな場所に、島なんてない。ジャスラの周りは、見渡す限り海だ。


「三柱の女神……知の女神テスラ、美の女神ウルスラ、慈の女神ジャスラはこの地に降り立ち、それぞれが国を創った。訳あって三つの国は、今は遠く離れている。だが、ジャスラの周りに広がるこの海のどこかに、テスラとウルスラは在る」

「へぇ……」

「紫は……女神ウルスラの瞳の色だ」

「――えっ?」


 俺は驚いてネイアの顔をまじまじと見た。


「母親の瞳も紫がかっているとトーマが言っていたであろう。だから、ウルスラの女王の血筋ではないかと思うのだ」

「……ん?」


 ふと、ひっかかりを感じる。


「確かに珍しいけど……ミュービュリでも外国なら紫色の瞳の人間はいるぞ。どうしてウルスラの女王の血筋だってわかるんだ? それに、女王って女しか生まないんじゃなかったか?」

「ミュービュリに降り立ってから生まれた子なのかもしれぬ。女神の加護が及ばなくなるからの。わらわやセイラと違い、ミュービュリの血が混じったレジェルの瞳は碧と茶色が混じったような色をしているだろう?」

「……」

「それに……母親は神官の夢鏡ミラーを弾き返した。純粋なミュービュリの人間ができることではない」

「……ふうん……」


 トーマの傍にウルスラの女王の血を引く人間……か。

 ミュービュリの血が入っていない限り、ミュービュリに行くことはできないはずだ。


「……ということは、ウルスラにはミュービュリの人間がいる可能性がある。それはつまり、ミュービュリの血を引いたフェルティガエがいる可能性があるってことだよな」

「……!」


 ネイアがハッとしたように俺の顔を見た。


「レジェルっていう浄化者が見つかってよかったけど……でも、これでジャスラの闇の問題が本当に解決する訳ではないよな。だって、浄化する人間は不老不死ではない。いつかは二人ともいなくなる。そうすると……また闇が増えていく可能性があるんだろう? 何千年後かにはさ」

「……」

「つまり、もうジャスラだけで解決できることではないんだよな。そしたらこの機会に、他国と交流をもつことも考えてみればいいんじゃないかと思ってさ」

「……そうなのだが……」


 ネイアは深い溜息をついた。


「今は海を渡って他国に行く方法が全くない状態だ。どこにあるかもわからぬし、漁に出るような船で辿り着けるとも思えぬ」

「うーん……」

「でも……考えてはみようと思う」

「ん?」


 ネイアは地図から顔を上げ、その煌めく碧色の瞳で俺を見つめた。


「ソータはまた、ジャスラの涙の雫を集めるためにラティブとベレッドを旅するのだろう? その間、わらわは海を渡る方法を調べてみようと思う。普通の人間には無理でも、ソータになら可能な方法がきっとある」


 力強い口調。長い旅を続けてきた俺に……そしてこれからも続ける俺に、希望を捨てるな、と励ますように言葉を紡ぐ。


「何年かかるかはわからぬが……待っていてくれ」

「……ああ」


   * * *


 ふと目が覚める。地下だからよくわからないが、ヤハトラの中は寝静まっていた。きっとまだ、夜なんだろう。


 俺は起き上がって部屋を出ると、一番奥の場所に向かった。

 地下にあるヤハトラは基本的に窓がなく外が見えないのだが、端っこにあるこの部屋だけは、唯一窓があって海が見えるのだった。


 ――水那と、最後に過ごした部屋だった。


 この部屋は、今は誰も使っていない。ネイアも気を使ってくれて、掃除以外でこの部屋に誰かを立ち入らせることはなかった。


 扉を開け、中に入る。

 やっぱりまだ夜だった。藍色の空が広がっている。海と空の境目もよくわからないが、海の音だけは静かに聞こえてきた。


 この海の遥か先に……テスラとウルスラがあるのか。どんな国なのかな……。

 そう言えば、訳あって遠く離れたって言ったよな。女神ジャスラが闇と化したことと関係あるんだろうな……。


 そんなことを考えながらボーっと外を見ていると、やがて藍色の空がだんだん白くなり、昼になった。

 遠くから神官たちが起きだす音が聞こえる。


 ふと気配を感じて振り返ると、レジェルが開け放たれた扉の外からこちらを覗きこんでいた。


「あ……」


 そして申し訳なさそうに頭を下げる。


「おはようございます」

「……おはよ」


 思えば、レジェルから俺に話しかけるのは、ラティブを離れてから初めてな気がする。


「どうしたんだ?」

「目が覚めて……何となく歩いてて……」


 レジェルはもう一度頭を下げた。


「……ごめんなさい」

「いや、謝ることはないと思うけど」

「そうじゃなくて……今までソータさんに変な態度を取っていたから……ごめんなさい」


 ちょっと驚いたが、俺は


「それは気にするな。無理ないと思うから。……とりあえず出ようか」


とレジェルを促して部屋を出た。


「あの……神殿に行きたいんですが」

「いい……とは思うけど……」


 ちょっと戸惑いながらも「こっちだ」と手で指し示し、レジェルを案内する。

 どういう心境の変化だろう。昨日までは殆ど視線も合わさなかったのに。


 どう言葉をかけたらいいか分からず黙々と歩いていると、レジェルがおもむろに口を開いた。


「無知って……怖いですよね」

「……ん?」

「昨日、アズマさんとシズルさんが言ってたんです。外で、フェルティガエや闇のことを何も知らずに過ごしていたから……そのせいで、母さまや私やソータさんやミズナさんやネイア様や、たくさんの人に迷惑をかけたって。私も……そうだったんだなって」


 レジェルは自分の身体を見回した。


「私、自分のことをわかっていなかった。双子のお姉さんたちが私を見るなり泣き出してしまったんです。『すごく苦労したのね』って。私が、あまりにも小さかったから」

「……」

「ソータさんがあのとき私を止めるのも無理はないくらい、私の身体は小さくて、フェルティガも使いこなせなくて。ネイア様が私に『身体を治せ』って言った意味がわかったんです」

「ああ……うん」

「私では、あのとき母さまを助けることはできなかった。むしろ、母さまを悲しませてしまうだけだったんだなって……」

「……」


 それは確かにその通りだ。だけど、そうやって自分に言い聞かせるように話すレジェルに、俺は何て声をかければいいのかよく分からなかった。


 自分は無力だった。……そう自覚することは、非常に辛い。


 結局無言のまま歩き続け……ほどなく神殿の前に着く。神官が二人、扉の前に控えていた。


「レジェルが神殿に入りたいって言ってるんだけど、いいかな?」


 俺の問いに頷いた左側の神官が、中に入る。ネイアはすでに神殿にいたらしく、すっと扉が開いた。


「おはよう、ソータ、レジェル。どうしたのだ?」

「おはよう」

「おはようございます、ネイア様」


 レジェルがすっと前に出た。


「あの……私、レッカさんとキラミさんのところにお世話になろうと思います」

「そうか。ミジェルはまだ小さいし、それがよかろう」


 ネイアは特に驚きもせず、にっこりと微笑んだ。

 レジェルは珠を取り出してぎゅっと握りしめると、真っ直ぐにネイアを見た。


「その前に……一度、自分の力を試したいのです。浄化の力……今の私に、どれくらいできるのか。決して無理はしません。やらせてもらえませんか?」

「え、だけど……」

「構わぬぞ」


 ネイアが俺の言葉を遮った。


 大丈夫なのか? レジェルがさっき自分でも言っていたように、フェルティガエとしては身体と心のバランスが取れてないように思うのだが。


 俺はネイアの顔を見たが、ネイアはちらりと俺を見ると「案ずるな」とでも言うように頷き、レジェルに微笑みかけた。


「ただし、レジェルの身が危うくなる前に止めるからな」

「――はい!」


 レジェルはパッと顔を輝かせると、「ありがとうございます」と言ってお辞儀をした。


 無力だから。……だから、か。

 今の自分にできることは何か。これからの自分はどうすればいいのか。

 過去を糧に、現実を知り、未来に繋げようとしている。

 レジェルは逞しい、強い子だな。俺なんかとは、比べものにならないくらい。


 ネイアが手を差し伸べ、レジェルを神殿の前に促す。

 レジェルはゆっくりと跪くと、珠を握りしめて頭を垂れた。


 レジェルの中から何かが溢れているのがわかる。

 それに答えるように、神殿の闇が揺らめいた。

 少しずつ……正面の闇が薄らいでいく。

 そして……。


「――――ミズナ!」


 俺は思わず叫んだ。

 水那が、目を閉じたまま、両手を固く組んで祈っている。

 ずっと闇に覆われて見えなかったのに……。


 あのときのままだ。変わらない。

 本当にずっと……其処で浄化していたんだな。


「――そこまでだ」


 ネイアがレジェルの身体を抱きしめた。レジェルがハッとしたように目を見開く。額から、何筋もの汗が流れていく。

 神殿の闇が再び蠢き……水那の身体を覆った。


「あ……」


 再び、水那の姿が見えなくなる。


「ソータさん……ごめんなさい……私……」


 レジェルが荒い息をつきながら俺を見上げた。


「――いや」


 俺はちょっと微笑むと、蠢く闇を見上げた。


 ――ずっと、不安だった。確かに居るんだろうけど、姿が見えなくて。

 でも、確かに水那は其処に居た。ジャスラの闇をなくすために……浄化し続けていた。

 そのことが実感できただけで、俺は満足だった。


「姿が見れて……嬉しかった。ありがとう、レジェル」


 俺が言うと、レジェルは少し照れたように微笑んだ。


   * * *


 数日後。迎えに来たエンカと一緒に、レジェルとミジェルはハールのレッカの城に向かった。

 母親の形見であるジャスラの涙は、ヤハトラに置いていった。


 光の下で健康的な生活を送って年相応の元気な身体になったら、再び浄化するためにヤハトラに来ます、と力強く頷いていた。

 レジェルはベラが残した服を大事そうに抱えていた。キラミさんに習って自分で縫いますと言って、ちょっと笑った。


 アズマとシズルは、記憶が戻ってレジェル達にも会えたことで、だいぶん落ち着いたようだ。これからはヤハトラの神官として修業を積むらしい。



 そして俺は……再び旅に出た。

 ジャスラの涙の雫を集めて……水那の浄化を助けるために。

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