マリセルの秘密

冷門 風之助 

その1

 依頼人は俺の事務所オフィスに入ってくると、まず丁寧に頭を下げ、俺の勧めに応じ、きちんと膝を揃えてソファに腰を下ろした。


 彼の名前は森山直人もりやま・なおと、某私立高校の教頭をしている。


『来年の四月で定年なんです』と、名刺を出して几帳面な声で付け加えた。


 まあ、確かに教師だな。見かけも服装もそうとしか見えない。


 擦り切れたアナログレコードみたいで恐縮だが、俺はどうも教師せんこうって人種が苦手だ。


 別に偏見があるわけじゃないのだが、やっぱりガキの頃に受けたトラウマというものは、大人になっても簡単には拭いきれないものなんだろう。


 それ故、依頼人で”そう言った職業”の人間が現れると、どうしても身構えてしまう自分がどこかにある。


 しかし、この男性は、確かに見かけは”そのもの”なのだが、話してみると、そうそう悪い人物でもなさそうだ。


 それに、紹介してきたのが昔の勤務先・・・・陸自の後輩のB君だ。

”悪い人物”に見えなかったのは、そのせいもあるかもしれない。

(これも偏見だと言われれば、それまでだが)


『まず、ご依頼のむきをおうかがいしましょう。引き受けるか否かはそれからということでどうです?』


 俺は彼の前に、

『手盆で失礼』と断って、今日最初のれたてのコーヒーのカップを置いてやる。

『砂糖とミルクはありませんから、そのつもりで』


 彼は黙ってカップを取り上げ、一口啜ってから、

『いい味ですな』と感想を言い、脇に置いたバッグの中から、一冊のスクラップ・ブックを取り出し、俺の前に広げて見せた。


 その頁には今から50年以上前の日付の入った新聞の切り抜きが、丁寧に貼り付けられてある。


『マリセル、盗難』大見出しの活字でそうあった。


『東京国立美術館に展示中の、フランスのA美術館所蔵のフランス近代絵画の巨匠、トゥールーズ・ロートレック作の油彩画「マリセル」が、盗難に遭っていた。同作は「フランス近代美術展」の為に特別展示されていたものだったが、最終日前夜である昨夜のうちに盗まれたものと思われる』


 このニュースなら、何となくだが俺も記憶している。

 絵そのものは事件から10年ほど経過した後日本国内で発見され、フランスに無事無傷で返還された。

 

 何でもある中堅商事会社の重役が『自分の家の納戸の中で厳重に梱包されて保存していた』といって、警察に届けて来たのだという。


 その重役が警察に説明したところによれば、

『知り合いの男性から”中身は決して見ないでくれ”といわれて預かった。私はそれが”マリセル”であることは知らなかったし、預けた人は恩義

のある人物だから、名前などについては申し上げることは出来ない』と、それ以上の経緯いきさつについては証言をかたくなに拒否した。

警察としてももう既に公訴時効の期限が過ぎていたので、それ以上の追及は出来ずに終わり、絵はそのままフランスに返却された・・・・という訳である。



『で、私に何をしてくれとおっしゃるんです?まさか時効の過ぎた絵画盗難事件の謎を解いて、真犯人を見つけ出してくれとでも?』


『いえ、違います』


 彼は二口目のコーヒーを飲み、その記事の下に貼り付けてあった、小さな囲み記事を指で示した。


 そこには、

『美術館の守衛、自殺』と小さな見出しが付けてあり、続けて、


『事件当夜美術館の警備を担当していた守衛の森山仙蔵さん(50歳)は、警察から事情を聞かれて帰宅後、自宅近くの雑木林で縊死いししているのが発見された・・・・付近に争った形跡もないことから、警察は自殺と断定した。なお、遺書などは見つかっていない』

記事の端には事件翌日の日付が、几帳面な字で書きこまれてあった。


『その森山仙蔵という守衛が、私の父親なんです』

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