孤独死センサー

孤独死センサー

「終活サポート、戸川と申します。森屋様、この度は、ご相談ありがとうございます」

　戸川は四十代半ばくらい、中肉中背の背の高い男。肌はやや浅黒い。笑うと目尻に皺が浮かぶのが非常に愛嬌のある、担当営業者だった。

「どうぞ、あがってください」

「失礼いたします」

　森屋は戸川を、客間として設えたマンションの一室に案内した。テーブルを挟んでソファがあるだけの簡素な部屋だ。

　約束の時間ちょうど。電気ケトルがお湯を沸かし終えている。

「お茶とコーヒー、どちらがいいですか」

「いえ。どうぞお構いなく……」

「自分が飲みたいので、コーヒーでもいいでしょうか」

「大変恐縮です。御馳走になります」

「お掛けになっていてください」

　失礼いたします、と、戸川はソファに掛けて書類の準備を始めた。

　森屋が二人分のコーヒーを準備し終えるときには、テーブル上には小綺麗に資料が並んでいる。

「どうぞ」

「ありがとうございます。御馳走になります」

　戸川と対面するようにソファに掛けて、森屋はコーヒーを一口啜る。

「ご相談内容は、孤独死への対応、ですね」

「ええ」

　森屋は、ウェブエンジニアとして在宅で仕事をしている。先月まではオフィス勤めだったが、退職して、これからはフリーランスで活動することにした。森屋には伴侶はない。仕事への不安はなかったが、ふと、かつて向かいのアパートの独居老人が孤独死してすごい有様だった、という話を思い出してしまった。途端に、部屋の真ん中で倒れて動かなくなった自分の姿が脳裏に浮かんだ。

　友人はいるが、定期的に会うわけではない。顧客との連絡も電子メールやビデオ通話で行い、実際に会うことはほとんどない。仕事の最中に連絡が途絶えれば顧客は連絡を取ろうとするに違いないが、家の場所までは知らないから、やがて別のエンジニアと契約して諦めるのだろう。

　もしも森屋がこの部屋で急死した場合、それを誰が発見してくれるだろう。おそらく、ただの一人もいないのだ。

　孤独死した独居老人は、死後三ヶ月だったという。

　自分はどうなるのかという不安が、個人向け孤独死保険の資料請求へと走らせた。それから数度の問い合わせを経て、契約へ向けた話し合いを営業担当者の戸川と行うことになった。

「スタンダードなプランとしましては、こちらですね。主に死後のサポートになりますが、ご遺体の処理、ご遺族への引き渡し、ご契約者様のご希望に沿った身辺整理、持ち物の処分等をさせていただきます。特に多い依頼がハードディスクを初期化してほしいというものですね」

「ああ、それはお願いしようと思っていたんです」

「かしこまりました。このスタンダードプランでは、発見に関しては自然に任せる形になってしまうのですが、早期発見プランというのもございまして」

　戸川は写真を盛り込んだ多色に彩られたカタログを示す。大きな見出しで「早期発見プラン」と書かれたその下に、火災報知器のような丸形の機器の写真が載っていた。

「違いはこの機器です。此方は孤独死センサーといいまして、我々がメーカーと共同開発したものなのですが、異臭感知タイプと、行動不能感知タイプがあります。行動不能感知タイプだと、二日間同じ位置から動かない場合に機器が安否確認音声を放送します。全く反応がない場合には死亡と見なされます。どちらのタイプも作動後は此方が処理の手配を行い、医師が死亡診断書を作成するか、あるいは警察による検視が行われます。異臭感知タイプは季節によって腐敗の進行度が違いますが、どちらにせよ、傷みの少ない状態での発見が可能になります」

「それはいいですね。死んでるだけで迷惑を掛けるだろうに、その上傷みが酷いのでは、処理する人に申し訳ないですから。でも、それなりのお値段はするんでしょう」

「機器代金が異臭感知タイプ、行動不能感知タイプがそれぞれ三万円、両機能搭載タイプが五万円になりますが、基本的に分割払い、早期発見プランの月々のお支払いと合算した請求になります」

「ちなみに、実際に孤独死した場合、管理人さんへの弁償とかはどうなるんですか」

「管理者様からの請求が発生する場合、補償額は無制限となっております。此方の管理者様に問い合わせたところ、住宅保険として他社の孤独死保険に入られているそうですし、早期発見タイプのご契約であれば原状回復費用も少額で済むでしょうから、ご心配には及びません」

「ちょっと見てもいいですか」

「ええ、どうぞ」

　森屋はカタログへ手を伸ばす。

　カタログには機器の仕様、精度、そして死亡判断後の処理について絵図込みでの説明がされている。しばらく森屋がカタログを眺める間、戸川は静かにコーヒーを飲みながら、それを見守っていた。

「できればこの早期発見プランでの契約が望ましいのですが、近頃、フリーランスになったばかりで、収入が安定しないのでどうしようかと思って。これは一台このお値段なんですよね」

「二台目以降のご契約はお安くさせていただいております。部屋数的にはお風呂とトイレを数えて四つですか。人によっては玄関にも付ける方もいらっしゃいますし、部屋ごとに設置機器を変える方もいらっしゃいます」

「部屋によっておすすめのタイプとかもあるんですか？」

「そうですね、シンクやゴミ箱まわり、トイレ、風呂は異臭感知タイプが誤作動、あるいは作動しにくいという可能性があるので、行動不能感知タイプをおすすめしています。一方行動不能感知タイプはいろいろな条件で人体を判別しているのですが、冬場、厚手の布団を何枚も重ねて眠っていると、感知精度が下がりますから、異臭感知タイプをおすすめしています。森屋様のお宅でいえば、トイレ、風呂、ダイニングキッチンには行動不能感知タイプ、寝室には異臭感知タイプをお使いいただくのが良いかと思います。玄関への設置をお考えであれば、玄関は行動不能感知タイプが良いかと思います。どうしても両機能搭載タイプである必要はないかと。また、精度は落ちますが、一台の異臭感知タイプで数部屋分を兼ねたいという契約者様もいらっしゃいます。それでも勿論、ないよりは良いでしょう」

「その場合、やはり腐敗も結構進んでいるということですよね」

「そうなります。夏場はどちらにせよ腐敗が早いので発見日数にはあまり違いがないでしょうが、冬場だと少し差が出るかと思われます」

「うーん」

　唸って森屋はコーヒーに口を付けた。温もりは既に微々たるものだ。

「やはり、少し考えたいのですが……」

「ええ、構いません。此方からご連絡させていただいてよろしければ、また一月後、日程を調整してお伺いします。それでよろしいですか？」

「はい」

「それでは、わたしはこれでお暇しますが、他には何かご質問等はございませんか」

「ひとまず、大丈夫です」

　テーブルの上に広げた資料類を纏め、

「此方の資料を置いておきますね。ご参考になさってください。それからこれを」

　と、戸川はもう一部、見開き一面チェック項目で埋め尽くされた用紙を差し出した。

「これは？」

「死後の身辺整理に関するチェックリストですね。ハードディスク、書籍、書類、金品等、項目は多岐にわたります。契約時に記入をお願いしておりますので、お渡ししておきますね。また、裏面には法的に処分が出来ない場合等の事例を記載してありますので、一応目を通しておいてください」

「わかりました」

　戸川は破顔する。

　ソファから立ち上がり、頭を下げて言った。

「それではまた、よろしくお願いいたします」

　森屋は戸川を見送りに立ち上がり、辞する戸川に一つの質問をした。

「戸川さんは、自分が孤独死するかもしれないと思ったことはありますか」

　戸川は少し照れくさそうに、

「妻子がおりますので」

　と言った。

　彼を見送って、客間に戻って冷めたコーヒーを飲み干した。

　森屋がフリーランスになったのは、他人の干渉を嫌ったからだ。三十五歳、結婚していてもおかしくない歳ではあるが、きっとしないまま死んでいくという実感がある。この部屋の中に、日常的に他人が同居している状態を思い描くなど到底不可能だ。

　戸川にとってはきっと、妻子がある状態というのは、ごく当然のことなのだろう。

＊＊

「終活サポート、宇崎と申します。森屋様、本日はよろしくお願いいたします」

　宇崎というこの色白の若者は、諸事情により戸川から担当を引き継いだのだという。日程調整に電話でやりとりをしたときには、詳しいことは何も聞けなかった。

　彼を客間に通し、コーヒーを振る舞ってから、書類に触れる前に戸川はどうしたのか、と訪ねると、宇崎は困ったような顔をして言った。

「戸川は亡くなりました」

「えっ、あんなに元気だったのに。急なご病気ですか？」

「それが、急性アルコール中毒で」

　宇崎はそれから、訥々と戸川の最後について語った。

　結婚十五周年の祝いに、長期休暇を取って妻子を連れて旅行へ行く予定だったそうだ。ところが妻子が理由を告げずに家を出て、自棄になって休暇を酒浸りになって過ごしたのだろうという。

　休暇明けに戸川が無断欠勤した二日目、上司が彼を訪ねると、玄関からして異臭がする。居間に踏み込むと、ごろごろと転がる酒瓶と、目も当てられないような姿になった戸川がいたそうだ。

　妻子がおりますので、と、そう言った彼が。

「発見は、死後何日くらいだったんです？」

「二週間ほどでしょうか」

「そうでしたか」

　彼の家には、孤独死センサーは設置してなかったのだろう。

「あの、契約についてですが、早期発見プランで正式にお願いしたいと思います。機器タイプは、戸川さんと相談していたんですが――」

「はい、伺っております」

　契約用の書類を並べる宇崎の表情から、もう困惑と哀惜は読み取れない。営業用の笑顔が浮かんでいるばかりだった。