自分の障害を知らずに生きて来た

レイ

第1話 幼少期の不可解

私は、とあるバツイチ子持ちの母で、実家に住まわせてもらっています。

何故、この話しを書く事にしたのかですが、私と同じように、自分が障害者である事に気づく事なく、どうして自分は出来ないのだろう?どうして、自分は周りの人と、どこか違うのだろう?と、苦しんでいる方が、もしいたのなら、そういった人達にとって、1つの情報となり、自身のわからない苦しみを、わかるきっかけになればと思い、書いた次第です。

どこから話しに手をつけて良いのか、戸惑うところではありますが、思い出せる限りで、出来るだけ、わかりやすく伝えられるよう、書いていくつもりなので、このお話を読んでくださる皆様、どうかお付き合いの程、よろしくお願いします。

現在、私は36歳です。それまで、高校生の時に、1度、母に連れられ、心療内科で検査を受けた事はありましたが、最近よく耳にするかと思いますが、発達障害で、適応障害と注意欠陥多動性障害という事は、高校2年生から、知っていました。どういった経緯で、自分のはっきりとした障害を知る事になったのか、まずは、幼少期の話しから、ざっくりではありますが、したいと思います。

幼い頃から、母親にしか懐かず、周りの人は記憶を持つころからは、手当たり次第、とにかく嫌いで、触られようものなら、叩くは、蹴るは、寄るな触るな!といった感じで、誰のことも、受け付ける事が出来なかったほど。

幼稚園に入ると、幼稚園に行きたがらず、察する方もいらっしゃるかと思います、泣いて泣いて、とにかく行きたくないと、母を困らせていました。

幼稚園に通うようになって、程なく、同じ歳のS君から、いじめれるようになりました。

物を取られたり、仲間外れにされたり、わざと遊んでもらえない事がとにかく、日常茶飯事。

酷い目に遭ったのが、雲梯で遊んでいると、誰かに背後から突き落とされ、そのまま地面に落下し、気がついた時には、近くの医者のベッドの上でした。

そんなこんなで、私は、周りの子と関わる事が出来ず、1人遊びをしている方が楽しかったのです。

それは、いじめられたからといった事とは別で、元々、1人で遊んでいる事が、楽で楽しいというところもありました。人と関わる事が、あまり得意ではなく、当時、私の組の担任の先生が、とても優しく、話しやすい先生で、その先生のそばに居たいばかりでした。そんな事は、叶うわけもなく、先生もお仕事があったり、私だけを見ているわけにもいかないので、1人でも良いから、遊んでおいでと、外に出される始末でした。

人に合わせる事が、全くわからず、自分のやりたい遊びをする、たった1人で。

それが、毎日の、幼稚園での私の日常でした。

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