第一章:二人のスイーパー/06

 そのまま真っ直ぐに新宿の自宅マンションまで戻った瑛士は、地下駐車場にNSX‐Rを元通りに停め。そうすれば住処にしている二階フロア……ではなく、ひとつ上の三階フロアへとエレヴェーターで昇っていった。

 上昇するエレヴェーターで辿り着いた先、見えた三階フロアの扉を慣れた手つきでノックする。

 すると――――。

「どちら様で……っと、瑛士氏でござったか」

「おう、蒼真」

 開いた扉の向こう側から現れたのは……何というか、どうにも形容しがたいのだが。ステレオタイプにも程がある格好をした、そんなオタク男だった。

 ――――哀川あいかわ蒼真そうま

 またの名を、本人曰く『ソーマ・ザ・ウィザード』。もっと正しく表記するのならば、名前の前後に変な記号を付けて『†ソーマ・ザ・ウィザード†』というらしい。

 彼によると、本名は世を忍ぶ仮の名。こちらの方が文字通り魂の名、ソウルネームとのことだが……理由がちょっとあんまりにも意味が分からなさすぎるので、この名前で呼ぶ奴は瑛士を含め、彼の周りでは誰一人として存在していない。

 そんな蒼真だが、先に述べた通りステレオタイプなんて次元を越えた見た目のオタク男だ。

 というのも、上は肘下で袖を折り曲げた赤黒チェックのシャツで、ズボンの中にちゃんと裾を突っ込んだお行儀のいいシャツインスタイル。下はカーキ色のカーゴパンツに、履き物は履き古したダンロップのスニーカー。目元には黒縁の四角い眼鏡を掛けていて、額には赤のバンダナを巻き、極めつけが手には黒革の指ぬきグローブを嵌めているという始末だ。ちなみに腕時計は安価で質実剛健なカシオ製のF‐91W、デジタル式の奴を巻いている。

 更にこの身なりに、外出時には年代物のボロい黒色のリュックサックを背負うというのだから笑えない。

 前に瑛士も彼がリュックを背負っている姿……斜めに差したポスターがリュックの両側からはみ出している、所謂ビームサーベル・スタイルで歩く、紙袋を大量に抱えた彼を見たことがあるのだが。それはそれは……もう冗談抜きでザ・オタクとしか言いようのない光景だった。

 そんな、今時秋葉原でもまず見かけないような、それこそ九〇年代とか二〇〇〇年代初頭に見られていた、典型的にも程があるオタク・ファッションの男。それがこの哀川蒼真という一風変わったオタク男だった。

 まあ、変なのは身なりだけで、こんな見た目の割に服装以外はかなり小綺麗で清潔感がある。

 多少長めな黒い髪は……天然パーマ気味ではあるものの、別に数ヶ月洗っていないとかそういう感じではない。肌もやたら綺麗だし、小太りというワケでもない。格好の割に色々と身なりの手入れは欠かしていないようだ。そんなオタク・ファッションとのアンバランスさが、彼の奇妙さを更に演出しているとも言えるのだが。

 とにかく、そんな奇妙な男が扉の向こうから瑛士を出迎えたのだった。

「こんな朝早くから、一体何の用でござるか……?」

「いんや、この間お前に貸した映画あったろ? そろそろ観終わった頃だろうから、アレなら回収しようと思ってな」

「ああ、そういうことでござったか。しからば、立ち話も何でござるし、瑛士氏も中に入るでござるよ。多少散らかってはいるでござるが、足の踏み場はちゃんとあるでござるよ」

「んじゃあお言葉に甘えて」

 蒼真に手招きされるがまま、瑛士は玄関扉を潜り。履き慣らしたローカットのタクティカルシューズを玄関口で脱ぐと、蒼真の部屋にお邪魔することにする。

 そうしてお邪魔した蒼真の部屋は、遮光カーテンが閉め切られているからか、朝だというのに妙に薄暗かった。

 そんな薄暗い部屋の中、明かりらしい明かりはリビングルームにドカンと据えられた巨大なデスクトップPC、それに接続された六台ものモニタの光だけだ。

 モニタからの不健康な光に照らし出されている部屋の中、壁のあちこちにはアニメ作品の販促用ポスターが所狭しと貼られていて。そして部屋の至るところに据えられている棚には、大小様々な美少女フィギュアが鎮座している。

 それは小さなデフォルメサイズや六分の一サイズの可動式フィギュアから、四分の一サイズの大型スケールフィギュアまで。ジャンルを問わずに所狭しと並べられては、フィギュアたちは絶えることのない笑みをこの薄暗い部屋の中に振りまいていた。

 相変わらずの蒼真ルームだ。最初こそ面食らったものだが、今では瑛士ももう慣れきってしまっている。だから彼も、特にこれといった反応を見せることはない。慣れというのは怖いものだ、本当に。

「なんだよ蒼真、青い顔しやがって。また徹夜でもしたのか?」

「そうでござるよ。ちょっと仕事が立て込んでいたでござるからな」

 そんな蒼真ルームの中を歩きながら、瑛士が彼と他愛のない会話を交わす。

 ちなみに――――さっきからこの調子だが、蒼真はやたらと語尾に「ござる」を付けたがる変な喋り方をする。誰かを呼ぶときの二人称は決まって「~氏」だし、一人称は「拙者」。そして笑い方は「デュフフ」と、その身なり同様に喋り方もオールドファッションを通り越して化石並みに古くさくステレオタイプなのだ、蒼真は。

 だがまあ……これでいて、ハッカーとしての腕前はピカイチだったりする。

 哀川蒼真のハッカーとしての腕前は、まさにウィザード級。例え国家情報機関のデータベースにであろうと彼は容易く侵入し、痕跡を何ひとつ残さぬままに立ち去ることが出来るだろう。真の意味でのスーパーハッカーであり、そして瑛士にとっての頼れる情報屋。それが彼、哀川蒼真ことソーマ・ザ・ウィザードなのだ。

 …………まあ、だからこそ普段とのギャップというか、この奇妙奇天烈なナリが目立ってしまうのだが。

「えーっと……ああこれだ。瑛士氏、確か借りていたのはこれでござったな?」

「おう、まさにそこに置いてある連中だ。返すのは観た奴だけで大丈夫だぜ。延滞料金無料の出血大サービス中だからな」

「ご安心召されよ、既に全作視聴済みでござる」

「流石だぜ」

「流石でござろう?」

「んで、どうだったよ」

「うーむ、拙者的にはこの中だと『ローグ・アサシン』と『リターナー』が特に面白く感じたでござるな。前者はステイサム氏とジェット・リー氏の映画でござるから説明は不要として、後者は正直予想外でござったよ。いやはや、中には凄い邦画もあるのでござるなあ」

「だろ? 『リターナー』は俺もお気に入りなんだよ。だからお前にも貸してやったってワケ」

「分かるでござる。やはり瑛士氏の映画のセンスはピカイチでござるな」

「よせやい、褒めたって鉛玉しか出ねえぜ」

「おっと、瑛士氏の四五口径で拙者のキュートなお尻ちゃんを撃たれるのは勘弁でござるよ。拙者には生憎とソッチの気は皆無でござる故」

「そういう意味じゃねえ……」

「アッー! な展開は拙者も望まぬところでござる。拙者と瑛士氏、カップリング的には需要があるやも知れぬでござるが」

「需要なんてあってたまるかバカ野郎」

「とにかく、借りていたDVDは返すでござるよ。また何かオススメがあれば是非持ってきて欲しいでござる」

 取り留めのない、下らない会話をひとしきり交わした後で、蒼真が手渡してきたレジ袋。貸してやった十本ちょっとの映画DVDが収まったそれを受け取りながら、瑛士は蒼真の言葉に「勿論」と笑顔で返していた。

 ――――先に述べた通り、瑛士は重度のカー・マニアであると同時に映画マニアでもある。

 そういう関係で、瑛士の部屋にはとんでもない数の映画のDVDが転がっているのだ。

 とはいえ部屋の中で腐らせておくのもと思い、同じく映画趣味……といっても、瑛士ほどディープではない、どちらかといえば軽く楽しんでいるタイプの蒼真に押し付けては、よくこうしてオススメの映画を布教しているというワケだ。

 それに、このマンションで唯一の入居者である彼とのコミュニケーション・ツールという側面もある。

 …………まあ、入居者といっても蒼真の場合、瑛士が保護してこのマンションに住まわせてやっている、どちらかといえば居候と言った方が適切なのだが。

「ああ、そういえば瑛士氏。響子氏からの言伝ことづてを預かっているのでござった」

 そうして瑛士が訪問の目的であった返却DVDの受領を無事に終え、そのまま二階フロアの自宅に帰ろうとした矢先のことだった。蒼真がそう、ハッと思い出したように突拍子もないことを瑛士に告げてきたのは。

「ババアが? なんでお前に伝言なんか。どうして俺に直接連絡を寄越さない?」

「電話しても出なかったらしいでござるよ。故に、拙者のところに連絡が来たのでござるが」

「……あっ」

 連絡なら、わざわざ蒼真を経由しなくても直接自分に寄越せばいいのに。

 そう考え、怪訝に思った瑛士が問うてみたのだが。しかし蒼真に言われた直後に瑛士は……仕事用の古い折り畳み式の携帯電話を、家の自室に忘れてきてしまったことを今になって思い出していた。

 なるほど、手元に無いのであれば電話に出られるはずもない。確かにその通りだ。直接連絡も何も、肝心の瑛士に連絡が付かないのであれば、共通の知人であり同じマンションの住人である蒼真に伝言を頼むのが最も合理的だ。

「とにかく、また夕方にでも店に来て欲しいって言っていたでござるよ。なんでも、話があるとかなんだとか」

 瑛士がそう思っていると、蒼真が頼まれていた伝言の内容を簡潔に彼へと告げる。

「りょーかい。悪いな、要らねえ手間掛けさせちまって」

 それに瑛士は頷き返しつつ、礼と詫びの意を両方含めた一言を告げて。そしてそのまま、彼の部屋を後にしていく。

 蒼真の部屋を出た彼の足が向く先は勿論、ワンフロア下にある自宅だった。

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