第一章:二人のスイーパー/04

 玄関を出た二人が向かった先は、マンションの地下にある広大な駐車場だった。

 このマンション……実を言うと、ビル全体が瑛士の所有物だったりする。七階建てビルの上から下まで、全てが瑛士の所有物なのだ。

 だから、新宿の中心部から少しだけ離れた位置にあるこのビルの大家というのが、私立探偵と同じく瑛士の表向きの職業ということになっている。

 …………まあ、二階フロア丸ごとを占有している瑛士以外の住人といえば、三階フロアに住まわせてやっている一人しか存在しないのだが。それ以外で、このマンションに住人と呼べる入居者は一切存在していない。

 とにもかくにも、このマンションは全てが瑛士の所有物なのだ。だから――――。

「マスター、今日はどれを使うの」

「いつものだ」

「そう、分かった。いつもの、いつもの…………」

 ――――だから、この地下駐車場の全てが瑛士の為だけのスペース。此処に並べてある何十台もの車、その全てが瑛士のコレクションなのだ。

 瑛士が玲奈と横並びになって歩く地下駐車場。右を見ればヨーロッパ製の最新スーパー・スポーツ、左を見れば一九二〇年代のヴィンテージ・カー。国や年代を問わず、とんでもない数のカー・コレクションが……それこそ博物館のように整然と並べられている。

 幾つか例を挙げるとすれば、一九九二年式の白いフェラーリ・テスタロッサや、ガンメタリックのボディにマットブラックのレーシング・ストライプがよく似合う、一九六九年式の貴重なフォード・マスタングBOSS429。他には一九三七年式のシトロエン・11Bだとか、一九二八年式のフォード・モデルAなどの変わり種もある。

 …………とまあこのように、このマンションの地下駐車場は比喩でも何でもなく、まさに博物館の様相を見せているのだ。

 この地下駐車場がこんな超貴重なヴィンテージ・カーの宝庫と化した理由は単純で、瑛士が重度のカー・マニアであるからに他ならない。

 ちなみに、カー・マニアであると同時に映画マニアでもある。結構な大金がコンスタントに舞い込むスイーパーという仕事柄、金には困らないからと……主に古い映画に出てくる車種なんかを中心にやたらめったらに買い漁った結果が、この博物館めいた駐車場の様相というワケだ。

 この光景、見る者が見たら即座に泡を吹いて卒倒するだろう。この駐車場にある車だけで、総額で一体何十億になるのやら……想像すると精神衛生上あまりよろしくないので考えたことはないが、世にも恐ろしい額になること請け合いだ。

 ――――そんな膨大なカー・コレクションに目もくれず、瑛士は玲奈を連れて、ある一台の車の元へ真っ直ぐに歩いて行く。このとんでもないコレクションの中でも、彼にとって一番のお気に入りで……そして何よりも愛している、純白のスーパー・スポーツの元へと。

「さあてと、今日もよろしく頼むぜ」

 キーロックを解除しつつ、駐車場の片隅で静かに眠りに就いていたそのマシーンの白い肌を指先でそっと撫でながら、瑛士が微かな笑みと共に彼女・・へと静かに語り掛ける。

 ――――二〇〇五年式、ホンダ・NSX‐R。

 それが、瑛士が生涯で最も愛したマシーンの名。それが、今まさに目の前にある珠玉のスーパー・スポーツの名だった。

 日本車で唯一のスーパー・スポーツと言っても過言ではないホンダ・NSX。その後期型に当たるモデルの……特別チューニング仕様のモデルだ。前期型、パカパカ開くタイプの可動式ヘッドライト、所謂リトラクタブル・ヘッドライトを搭載していた頃には『NSX・タイプR』とされていた物だ。型式で表すのなら、LA‐NA2か。

 瑛士のそれは、タイプRから改められたNSX‐Rの名が示す通り、後期型ベースの車両。つまり可動式ヘッドライトではなく、よくある固定式の物に改められたタイプだ。可動式か固定式か、見た目の面で好みが分かれる部分ではあるが……少なくとも、瑛士は固定式ヘッドライトの後期型NSXの方が見た目は好きだった。

 車体中央……つまり殆どシートの真後ろみたいな位置にエンジンを搭載した、スーパー・スポーツらしいミッドシップ配置。極限まで突き詰められた運動性能は、まさに翼が生えたかのように軽やかな感覚を味合わせてくれる。風を切る流麗なボディラインは、見る者全てを釘付けにすること請け合いだ。鼻先に据えられた、タイプRの証明たる真っ赤なホンダのエンブレムは決して伊達ではない。

 そんな、ただでさえ凄まじいポテンシャルを秘めたNSX‐Rを……更に瑛士自身が手を入れることで、究極のマシーンへと仕立て上げたのが、今目の前にあるこの一台というワケだ。

 排気量三・二リッターのV6エンジン、可変バルタイ・システムのVTECブイテックを搭載したC32Bエンジンには徹底的なメカチューンを施し、それ以外に吸排気系やコンピュータなどにも徹底的なチューニングを施すことにより……とんでもないパワーを付与させてある。シャーシダイナモなんかで馬力を計測したことはないから、正確な数字は分からないが。大体四五〇馬力は間違いなく超えているだろうと思われる。いや……ひょっとしたらもっとかも知れない。

 外観の方は純正の美しさを維持したいから、ド派手なエアロキットなんかは組んでいないものの。しかしホイールは十八インチ径のRAYS・CE28SLに交換してあるし、ブレーキシステムもENDLESS製の……赤色の大きくド派手なキャリパーが目立つ強化仕様に換装してあった。フロントが対向六ポッド、リアが四ポッドの強力なレーシング・キャリパーで、前後ともに放熱性に優れた大型のスリットローターを装備している。

 それ以外に手を入れた点といえば……社外のスポーツ・サスペンションを装着したことぐらいか。その為、車高は純正状態から比較して前三センチ、後ろ二・五センチほど下がっている。

 後は内装のピラー部分なんかにDefi製の追加メーターを装着してあるのと、後付けでカーナビを増設したぐらいで、それ以外は全部純正そのままだ。元の素性が良いから、あまりド派手に弄る必要もなかったのだ。

 ――――閑話休題。

 あまりにも余談が過ぎてしまったが、とにもかくにも瑛士はそんなNSX‐Rのキーロックを解除すると、ドアを開けてキーを鍵穴に差し込み、前に捻ってイグニッション・スタート。背中に積んだ宝石のようなエンジンが暖まるまでの暫しの間、暖機運転の時間を玲奈とともにボーッとしつつ待った後で、二人してNSX‐Rに乗り込んでいく。

「……マスター、あまりゆっくりしていると、遅刻しちゃう」

「まだ余裕だろ? そう慌てんなよ。何事も急ぎすぎるとロクなことにならねえぜ?」

「……かも、知れないけれど」

「落ち着けよ、まだ時間はたっぷりあるさ」

 そんな会話を交わす二人、当然ながら瑛士が運転席で、玲奈がサイドシートにちょこんと腰掛けるといった配置だ。

 遅刻が嫌なのか、まだ時間に多少の余裕はあるというのに急かしてくる玲奈にやれやれと肩を竦めつつ、瑛士は水温・油温ともに適正値まで暖まったことを増設メーターで確認。他に油圧計やその他諸々にもサッと視線をやってチェックした後で……やっとこさ、サイドブレーキを解除する。

 そうしてから、クラッチを切りつつ六速のマニュアル・ギアボックスを一速へと突っ込む。

 この純白のNSX‐Rとの付き合いもそこそこ長いだけに、瑛士の手つきに淀みはない。瑛士はそのまま、乗り慣れた相棒をマニュアル式とは思えぬ、まるでオートマチックのような滑らかさでゆっくりと発進させた。

 C32Bエンジンの官能的なサウンドを惜しげも無く響かせつつ、マンションの地下駐車場を出た瑛士が向かう先は……当然、玲奈の通う学園である私立・白鷺学園だ。

 送っていってやると約束していたからには、ちゃんと送り届ける。勿論、遅刻はナシの方向だ。幸いにして時間にはまだまだ余裕があるから、飛ばさなくったって予定時刻には到着するだろう。

「マスター、はやく」

「急かすなよ、急いだって始まらねえぜ?」

 やたらと急かしてくる玲奈をあしらいつつ、瑛士は純白のNSX‐Rで早朝の新宿へと繰り出していく。

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