プロローグ:白銀の死神は闇夜に踊る/02

「――――玲奈、今日は珍しく詰めが甘いな」

 少女の立つ岸壁から遠く離れたガントリークレーン。普段は港にやってくるコンテナ船の積み荷の積み卸しで活躍している、港の象徴めいた紅白の巨大な構造物。そんなガントリークレーンの上、地上から四〇メートルの高さにある通路に伏せ、ボルト・アクション式の古風な狙撃ライフルを構える青年が、左耳のインカムを通して少女にそう囁き返していた。

 伏せる青年の背丈はそこそこで、大体一七五センチほど。年頃は……ティーン・エイジャーといった感じではない。二〇代前半か半ばか、それぐらいだろう。

 そんな彼の格好は、赤色がアクセントで入った白いパーカージャケットを上着として羽織り、その下には黒のTシャツを。後は履き古しのジーンズと、履き物はローカットのタクティカルシューズといった、物々しい狙撃ライフルを構えているにしては割にラフな感じの格好だった。

 パーマをかけたダークブラウンの、セミショート丈の髪が潮風で微かに揺れている。だが青年は肌を撫でつける潮風に構うことなく、猛禽類のように鋭い右眼で、ただ狙撃スコープの先にある景色を静かに見つめていた。

 ――――M24‐SWS。

 彼が構えている狙撃ライフルの名だ。レミントン社製の傑作ライフル・M700シリーズを対人狙撃に適した形に改修したもので、使い勝手が良いからと彼が愛用している物だった。

 元の性能が中々に良いから、特に目立つ改造はしていない。強いて純正状態との相違点を挙げるのなら……狙撃用スコープを純正のリューポルド社製マーク4‐M3から、彼お気に入りのナイトフォース社製NXS狙撃スコープ、倍率三・五倍から十五倍までの可変倍率スコープに変更していること。それ以外は銃全体に濃緑色を基調とした、スプレー缶での簡単な塗装を施していることぐらいだ。

『不覚。僕としたことが、あっちまで気が回ってなかった』

 そんな愛用の狙撃ライフルを構えながら、ガントリークレーンの通路上に伏せる彼の左耳。小型インカムのスピーカーから、少女の何処か無機質で抑揚の少ない、しかし多少しょんぼりしたようにも聞こえる声が聞こえてくる。

 彼女の姿は、今まさに青年が狙撃スコープで増幅された右眼で捉えている。ガントリークレーンの上に伏せっているこちらの方を見上げてくる彼女の、アメジストの瞳とスコープ越しに眼が合っているような、そんな錯覚を青年は覚えてしまっていた。

 …………いいや、きっと錯覚ではないだろう。彼女の視力は両眼ともに四・五と、常人のそれを軽く超えているのだから。故に錯覚ではなく、彼女は意図的に視線を合わせてきているに違いない。

「俺たちの目的は、あくまで例の神経ガス兵器の確保だ。肝心のブツを積んだままのアレに逃げられたんじゃあ、後々面倒なコトになる。……ま、これから気を付けることだ」

 遠く離れた岸壁から見上げてくる、銀髪を揺らす少女のアメジストめいた瞳。彼女と数百メートル越しに視線を交わし合いながら、青年はニヒルな笑みを湛えてインカム越しに彼女へと囁き返していた。

『分かったよ、マスター。精進する』

「ああ、精進するといいさ。……それと玲奈、マスターはやめろ」

 少女――――彼自身が玲奈と呼んだ彼女の口振りに、青年はやれやれと肩を竦めつつ。構えているライフルのボルトをおもむろに引いた。

 ボルトを引き、薬室を解放し。そうすればNATO規格の七・六二×五一ミリ、大口径ライフル弾の空薬莢が排莢口から蹴り出されてくる。青年は宙を舞う空薬莢を右手でキャッチし回収すると、それを何気なくパーカージャケットのポケットに収めた。

 そうしてから、青年は伏せていた格好から起き上がり。今まで構えていた愛用のM24‐SWSを、傍らに放っておいたナイロン製の柔らかいライフルケースの中に手早く仕舞い始める。神経ガス兵器と共に逃げようとしたモーターボートの動きも止めた以上、今日はこれ以上やることはない。もう店じまいの頃合いだ。

『でも、マスターはマスターだから』

「だから、その呼び方はやめてくれって何度も言ってるだろ? ……あんまり好きじゃないんだ、玲奈にそう呼ばれるのは」

『じゃあ、なんて呼べばいい?』

「マスター以外だったら、好きにしてくれ」

『…………だったら、エイジ』

「なんだ?」

『今日のお仕事は、これで終わり?』

「ああ。ババアから仰せつかってる仕事の範囲はここまでだ。後は俺たちじゃあない、他の誰かが例の神経ガスを回収して……ついでに死体処理もやっといてくれるだろうよ」

『…………そっか』

「玲奈、不満か?」

『違う。少し眠くなってきたから、早くお家に帰りたいなって。そう思ってた』

「眠いってのには同感だ、何せ草木も眠る丑三つ時って奴だからな。全く以てその通りだぜ。

 …………とにかく、俺たちの役目はこれで終わりだ。玲奈は先に車まで戻っててくれ。このドデカいクレーンを降りるにゃ、チョイとばかし時間が掛かりそうだ」

『……ん、分かった。マスターも早く戻ってきてね』

「ったく……だから、マスターはやめろっての」

 尚も自分のことを『マスター』と呼んでくる玲奈に対し、やれやれと肩を竦めつつ。M24を収めた黒いライフルケースを肩に担いで立ち上がると、白いパーカージャケットの青年は――――津雲つぐも瑛士えいじは、何気なく頭上の夜空を見上げてみた。

 真夜中の時刻だ。当然ながら頭上にあるのは真っ暗な夜空のキャンバスと、その中で僅かに瞬く一等星。他にあるのは月明かりぐらいなものだ。背にした東京の街、眠りを知らぬ不夜城の街明かりが眩しすぎて、綺麗な星海なんてとてもじゃあないが望めそうにない。

(これがスイーパーだ。誰かを殺して、その見返りに報酬をたんまりと頂戴する。これがスイーパーの生き方で……極々ありふれた、普段通りの日常なんだ)

 そんな夜空を眺めながら、瑛士はふと、何気なくそんなことを胸の内で思っていた。

「…………」

 胸の内でそんなことをひとりごちながら、瑛士は無言のまま、今度は眼下の埠頭に視線を落とした。

 遠くに見えるのは、ツーサイドアップの銀髪を揺らしながら、とぼとぼと岸壁を歩いて行く彼女の――――斑鳩いかるが玲奈れいなの小さな背中だ。

 遙か彼方に小さく見える、玲奈の後ろ姿を遠目に見下ろしながら……瑛士は同時に、こうも思っていた。

 ――――そしてそれは、俺と玲奈にとっても決して例外じゃない。だって俺たちもまた、日陰に生きるスイーパーなのだから。





(プロローグ『白銀の死神は闇夜に踊る』了)

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