グレナデンとエドマンド
「失礼いたします、我が君。オルドリッジ家の御子息がいらっしゃっていますが、どちらにお通ししましょうか」
書斎で書き物をしていたグレナデンは、従者から声をかけられ、『はて、
次いで、心が重くなる。
『ある目的』を胸に秘めてやってきた青年に対して、グレナデンは誠に遺憾な報告をせねばならないからだ。
――ハリー・スタインベックの住処を突き止め、
ハリーとの戦闘から五日経っていたが、その間、エドマンドがどのように覚悟を決め、どのように己を奮い立たせてきたのか考えるだけで、グレナデンの胸は痛いほど締め付けられる。
「
「……かしこまりました」
従者・モリィは、わずかな戸惑いの色を見せながら
モリィは優秀な従者だが、古参なだけあって、若いカルミラの民に対して冷淡な態度を取ることがあった。誰彼構わず
万感の思いを込めた息を吐いたあと、グレナデンは重い腰を上げ、エドマンドの元へ向かった。
***
「ハリー・スタインベックの追跡は失敗に終わった」
それを告げたとき、エドマンドが見せた表情を、グレナデンは生涯忘れないだろう。
銀髪の青年は、端正な顔にとびきりの絶望を浮かべたが、すぐにそれを引っ込めて、『仕方ない』というふうに微笑んで見せた。
激しく責め咎められるに違いないと思っていたグレナデンは、拍子抜けするとともに、より深い自責の念を感じた。失敗したのはフィリックスだが、指示したのはグレナデンだ。満身創痍のハリーを侮らず、共に追うべきだったのかもしれない。
「あなたのせいでも、フィリックス殿のせいでもありません。あいつが相当慎重だった、ということでしょう」
エドマンドの物言いは至極穏やかで、気品さえ感じられた。グレナデンが彼の立場だったら、決して同じようには振る舞えなかっただろう。
ずっと年下の青年に敬意を抱くとともに、よりいっそう居たたまれなくなった。
現に、会話が途切れた途端、エドマンドは生涯の目的を失ってしまったかのように呆然として、虚ろな目で応接間の外を眺め始めた。窓の向こうは裏庭で、純白の薔薇園が広がっているのだが、果たして、今の彼の目には美しき花々が映っているだろうか。
「エドマンド、身体の方は大丈夫か」
おずおずと尋ねると、青年は生気を取り戻したかのように明るい顔を見せた。
「ええ、おかげさまで。両脚に受けた傷も、すっかり癒えました。あなたがいなければ、未だ歩くことさえ叶わなかったでしょう」
「そうか……」
「ええ、ヴィーの従者の少女も、翌日には目を覚ましていました。本当に、感謝の言葉もありません」
彼の金色の瞳には真摯な感情が宿っていたが、同時に少し揺らいでいた。本当に大丈夫なのかと、見る者の不安をかき立てる。
「──ところでグレナデン殿。フィリックス殿のことなのですが」
不意に異なる話題を振られ、グレナデンは戸惑う。
「奴がどうした?」
「本日は、こちらにはいらっしゃらないのですか?」
「ああ、最後に会ったのは二日前だ」
「ええと、フィリックス殿からなにか聞いていませんか? その、
──慶び事だと?
予想外の言葉に、グレナデンは目を見開く。
「どういうことだ?」
「いえ、あの、なんでもありません……」
エドマンドは急におどおどし始めて、また窓の外を見てしまった。その横顔には動揺がありありと現れており、なにか隠していることは明白だった。強く追及して白状させてみようかと思ったが、尾行失敗の負い目があるため、今日のところは諦めよう。むしろ、フィリックスの方を問い詰めればよい。
「それで、ハリー・スタインベックの件だが」
「はい」
話題を戻すと、エドマンドは目の色を変えた。先ほどとは一転して、凛々しく引き締まった表情を見せる。呆然としたり、笑顔を見せたり、慌てたりと、百面相が
「セントグルゼンの街の殺人事件と同時進行で調査をしようと思う。以前も言ったが、ハリー・スタインベックこそが犯人であるという可能性を考慮してな。また、一部の同志には、他の街も探らせる。次は、慎重を期す」
「ありがとうございます」
「礼は不要だ。君のためだけではないのだから」
「理解しております。カルミラの民全体の規律のため、ですね」
「そうだ。――ああ、もちろん、君の私怨を否定するつもりは毛頭ない」
「ええ……」
エドマンドは恐縮したように笑ってから、また表情を真剣なものに変えた。
「ところでグレナデン殿。ぼくも、セントグルゼンの街の調査に参加してもよろしいでしょうか」
「また、どうして?」
意外な申し出に目を
「結果を黙して待っていられないのです。それに、お世話になった貴方に恩を返す機会が欲しい」
「それは不要だと――」
「そんなことおっしゃらないでください」
グレナデンの言葉を遮って発せられた声には焦燥が感じられたが、澄み渡っており、小気味が良かった。そこまで言うのなら、彼の希望を叶えてやろうと心から思えるほどに、グレナデンの胸を打った。
「では、君の気持ちはありがたく受け取ろう。協力してくれるか」
「はい、喜んで!」
エドマンドは顔を輝かせた。その若く眩しい笑顔は初夏の日差しのようで、グレナデンの心をじんわりと熱くさせる。
「しかし、ご両親は君が我々に協力することを快く思わないのでは? オルドリッジ家は、
「そうですね……。しかし、ぼくも
彼の目には、曇りも迷いもなかった。
「そうか、その通りだな。
「ありがとうございます」
青年が見せる笑みは相変わらず無垢だったが、よくよく観察してみれば、どこか危うさも感じられた。
年上の者として、支え、導いてやらねばと使命感に駆られるほどに。
***
以来、オルドリッジ家の末っ子は、
最初はやや他人行儀だったものの、徐々に
グレナデンの従者たちも、細やかな気遣いができるエドマンドをいたく気に入り、彼がやって来ると黄色い声を上げるようになった。
ことさら、グレナデンにはよく懐いてくれたように思う。まるで出来の良い弟を得たようで、共にいると心地が良く、鼻が高かった。
皆が、『本当の兄弟のようですね』なんてからかってくる。雰囲気が柔らかくなった、とまで言われた。
小恥ずかしいが、悪い気はしなかった。
だが、ハリー・スタインベックの調査も、殺人事件の捜査もまったく進展しなかった。石榴館の捜査の手を警戒したのか、てんで動きが無くなった。
焦燥を感じ始めたある日――その恐るべき情報がもたらされた。
「ああグレナデン、もう耐えられない。あんなに
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