幸福な日々の終わり

「今度さ、首筋以外から血を吸ったらダメか?」

「なんだと?」


 高揚した気分のまま尋ねると、ヴィオレットは思い切り眉をひそめた。しかし彼女が示しているのは怒りではなく、不可解のようだ。なぜいきなりそんなことを、と寝そべったまま首をかしげている。


「……どこから吸いたいというの?」

「ええと、そう言われると……」


 ラスティは悩みながらヴィオレットの肢体を撫で回した。太腿、腰、脇腹、二の腕。ほとんど無意識でやったことだが、ヴィオレットは悩ましげな声を上げて身を捩る。

 やがてくすぐったさが限界に達したらしく、這うように逃げていった。


「あ、すまない」

「どうして首筋以外から?」


 殴られるかと思ったが、ヴィオレットが機嫌を損ねた様子はない。ラスティから距離を取りつつ、理由次第ではやぶさかではない、という様子で真意を問うてくる。

 だからラスティは包み隠さず答えた。


「血を吸われているときの顔が見たいと思ってさ」


 喘いでいる最中のヴィオレットの表情を拝みたい。その願望の根幹に、ハリーへの対抗心や劣等感があることは認める。従者だった頃の彼のように、ラスティも前後不覚になったヴィオレットの姿を目に焼き付けたい。


 ヴィオレットは呆けたように目を丸くしていたが、やがてむくれたように口を尖らせ、ラスティから視線を逸らす。やはり言うべきではなかったか、とラスティは強く後悔し、うなだれた。


「すまない、俺、すごく失礼なことを言ったか?」

「失礼という程のことでもないが……その、あの」


 ヴィオレットは歯切れ悪く言ったあと、大きく息を吸い込んだ。


「普通に恥ずかしいから、嫌!」


 甲高い絶叫がラスティの耳を刺す。ヴィオレットは身にまとっていたショールを乱暴に引っ張ると、頭にかぶり、表情を隠してしまった。

 まるで年若い娘のように、初心うぶな反応。ラスティの胸にむず痒いものが広がる。


「は、恥ずかしいってどういうことだ」


 笑みをこらえながら追いすがると、ヴィオレットはショールの中で叫ぶ。


「不細工な顔になっているに違いないだろう!」

「そんなことない、そんなことないって」

「そんなことある!」

「じゃあシェリルの血を吸っているとき、彼女がとびきり不細工な顔になっていると思っているのか?」


 とっさに思い付いたことを投げ掛けると、ヴィオレットはぴたりと沈黙した。もごもごとした呻きのあと、きっぱりと答える。


「そんなことは、絶対にない」

「だろうとも。ヴィーもシェリルもとびきりの別嬪べっぴんだから、どんな顔をしてても綺麗なままに決まってる」


 決して調子のよいお世辞ではない。見目麗しい彼女たちが悦楽に夢中になっているとき、男心をかき立てるような魅惑的な表情をしているに違いない。


 ヴィオレットはショールの中で黙りこくっている。これは前向きに考えているな、と直感したラスティは、もう一押しを試みた。


「こういうのはどうだ。俺があの本を読み終えたら、血を吸われているときの顔を見せてくれ」


 自分で言っておきながら、さほど説得力のある提案ではない思った。ヴィオレットにこれっぽっちの得もない、馬鹿げた交渉だ。

 だが、駄目で元々だ、とラスティは固唾を飲んで女の返答を待った。


 ヴィオレットしばらくショールの中でうごめいていたが、やがてひょっこりと顔を出す。大きな目でラスティを真っ直ぐ見据えながら、そろそろと口を開いた。


「それなら、べつに――……」


 しかしヴィオレットはそこで言葉を止め、勢いよく身体を起こした。

 ノックの音が響いたからだ。


 せっかく良い雰囲気になっていたのに、それを邪魔したのは誰だ、と犯人捜しをするまでもない。間違いなく、ノックのぬしはシェリルだ。可愛いメイド相手に、ラスティもヴィオレットも恨み言をぶつけることなんてできはしない。


 ヴィオレットはショールを羽織り直して、寝台の端に腰掛けた。ラスティはなんとなく居住まいを正して、彼女の傍らに立つ。

 この配置では、今までなにをしていたか丸わかりだから、ちょっとまずかったかと思ったが、もう手遅れだ。


「どうしたのシェリル。入っておいで」


 ヴィオレットが柔らかい声を投げ掛けると、すかさず扉が開く。


「失礼いたします」


 入室してきたシェリルは、とても難しい顔をしていた。ラスティの胸いっぱいに嫌な予感が広がる。今までの穏やかで幸福な日々は、シェリルが口を開いた瞬間に終わりを迎えるに違いないと。


 シェリルは足早にヴィオレットの前へやって来ると、礼もそこそこに口を開いた。


「ギルマン伯爵ですが……お亡くなりになったそうです」

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