ここの家主はひねくれ者だが、悪い男じゃない

「ホレス様~」


 明るい声と共にフレデリカが駆けてきた。すでにラスティがいることも知っていたようで、無邪気な笑みを向けてくる。


「トム、元気そうでよかった!」

「フレデリカもな」


 しかし少女は不意に視線を逸らし、もじもじし始める。


「……?」


 ラスティは、今度こそ嘘をつくべきだと判断した。


「なにを?」


 首をかしげてとぼけると、フレデリカはほっと息を吐いて、えへへと笑った。先ほどまで濃艶のうえんな女の顔をしていたのが嘘のようだ。


「じゃあフレデリカ、私は帰るからね」

「はい、ホレス様。ありがとうございましたぁ」


 フレデリカは甘い声で主人に応える。青年――ホレスに頭を撫でられて、猫のように目を細めた。

 ひとしきり従者を愛でたホレスは、再びラスティへと向き直る。


「トムくん、ここの家主はひねくれ者だが、悪い男じゃない。ゆっくりしていくといい」

「……はぁ」


 曖昧に返事をしたラスティは、なんとなしに後頭部を掻いた。こんなふうに歓迎される形になって非常に助かったが、あまりに想定外だ。

 それに、『ひねくれ者の家主』が温かく出迎えてくれるかはまだ定かでない。


 ホレスは優雅な笑みを見せたあと霧になり、上空へと去って行く。白い塊が見えなくなるまで、フレデリカは愛おしそうに天を仰いでいた。

 カルミラの民と従者の絆を見ていると、とても心が温まる。ラスティは小さく笑みを浮かべて、ヴィオレットとシェリルのことを想った。


 見送りを終えると、フレデリカが誇らしげに言う。


「あれがあたしのご主人様よ。素敵な方でしょう」

「ああ、そうだな」


 やや変わり者のようだが、紳士的かつ友好的で、『悪い奴』には見えなかった。フレデリカのことも大切にしているようだし、きっと『いいご主人様』なのだろう。


「ねぇトム……」


 花のようにほころんでいたフレデリカの表情が硬くなっていく。不安げに寄せられた眉と、胸の前で組まれた手。揺れる瞳で、ラスティを真っ直ぐ見つめてくる。


「……あのひとに会いに来たのね」

「ああ」


 こくりと頷くと、フレデリカの瞳から涙がこぼれた。


「ありがとう、トム。来てくれて嬉しい」


 それは、ラスティとの再会を喜ぶ涙ではなく、『あのひと』――ハリーを案じる涙なのだろう。

 他人のために流された涙は清らかで美しく、ラスティは少女の優しさに敬意の念を抱いた。


 そのあと、フレデリカに水と焼き菓子ビスケットを恵んでもらった。

 空腹を感じているわけではなかったが、フレデリカは手製の菓子の出来を自慢したいようだったので、ありがたく頂戴することにした。

 シェリルの作ったものより美味だったことには驚いた。フレデリカいわく、庶民育ちで料理から裁縫までなんでもこなせるらしい。人は見かけによらないものだ。


「トム……じゃなくて、ハリーはどうしているんだ?」


 『ひねくれ者の家主』のことを尋ねると、フレデリカは悲痛そうに眉を歪めた。


「寝てると思うわ。すごく疲れてるみたい。……そんなことより、銀髪の御方とお姉さまの具合はどうなの?」

「エドマンド……銀髪の方は、元気そうだったな。シェリルも大丈夫だよ」

「そう」


 フレデリカは安心したように微笑んだが、まだ表情は暗い。


「銀髪の御方もお姉さまも、あのひとのことが大嫌い――いいえ、憎いのね」

「そう、みたいだな」

「あなたは、あのひとが憎くないの?」


 ひどく寂しそうに問われ、ラスティはたじろぐ。フレデリカの憂いを晴らすため、『憎くない』と答えようか迷った。

 だが小手先の嘘はやめて、正直な心の内を告げることにした。


「それはこれから決める。会って、話をしてからな。場合によっては、俺もハリーを憎むことになる」


 するとフレデリカはぎゅっと瞼を閉じてうつむいたが、すぐに決然とした様子で顔を上げる。


「うん、それはとても悲しいけれど、仕方がないわ。一度、彼の様子を見てくるわね」

「手間をかけて、すまない」


 年下の少女にあれこれ世話を焼かせてしまい、本当に申し訳なく思う。真摯しんしに謝罪すると、フレデリカは意外そうに目をぱちくりさせた。


「そんなふうに謝ることなんてないわ。あたし、あなたが来てくれて、本当に嬉しいの」

「そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」


 直実なフレデリカの物言いは、ラスティを自然と笑顔にさせた。彼女に任せておけば、万事が上手くいくのではないかと錯覚を抱かせる。


「じゃ、ちょっと待っててね」


 フレデリカは軽い足取りで屋敷の方へ去って行く。彼女は一体どこまで事情を知っているのだろう、とラスティは思案した。

 昨日の時点ではラスティと同様、なにも知らないようだったし、夜のうちにハリーからすべてを聞いたようにも見えなかった。


 それでも健気にハリーを想い、ラスティを歓迎してくれている。その天真爛漫な心が曇るような結果にならなければいいのだが……。


 ぼけっと庭を眺めていると、フレデリカが戻って来た。興奮したような様子で、表情にはわずかな険が出ている。きっと、ハリーとなにか言い争いをしたのだ。

 幸先さいさき不安だ、とラスティは小さく嘆息した。


「あのひと、起きてたわ。さっそく会いに行きましょ」

「俺が来てるって伝えたのか?」


 するとフレデリカは後ろめたそうに視線を泳がせてから、ゆっくり頭を横に振る。


「ううん。……犬を拾ったって言った」

「ど、どういうことだよ……」


 ますます心配になってきた。だがフレデリカはラスティの右腕をぎゅっと掴んで、問答無用でぐいぐいと引っ張る。

 踏ん張って抵抗してもよかったが、時間と体力の無駄だろう。


 ラスティは引き綱に引かれる犬の如く、少女に従った。

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