かつての友

「シェリル、落ち着け!」


 エドマンドは声を張り上げたが、怒りに我を忘れたシェリルには寸毫すんごうたりとも届かなかった。いや、むしろそれが起爆剤となったかもしれない。


「ハリぃぃぃぃぃっ!!」


 咆哮と共に、少女は地を蹴る。霧になることはなく、人外の脚力を以ってしての跳躍。眼前で涼しく笑う獲物の首をへし折るため、腕を高々と振り上げている。


 エドマンドには、少女の攻撃がやすやすと怨敵へ届くとは思えなかった。その男は無防備に立ち尽くしているが、青い瞳は鋭さを増している。


 シェリルの強襲を、ハリーはすんでのところで避けた。踊るようにひらりと身を翻し、空振りして地面に着地したシェリルの背後へ回り込む。

 ハリーの両腕が、肉食昆虫のあぎとのように広がった。シェリルを抱くようにほふろうとしている。


 エドマンドは霧となり、高速でシェリルへと向かった。体当たりをするように少女を攫い、男の魔の手から遠ざける。


「ああッ、放せぇっ!!」


 腕の中のシェリルが狂乱する。エドマンドではなく、ハリーに捕らえられたのだと勘違いしたらしい。怒り猛った少女の掌底が、エドマンドの顎を強かに打ち据えた。


「――ッ、落ち着いてくれ、シェリル……」


 口内に鉄の味が広がる。それでもエドマンドは、努めて平静に語り掛けた。ようやく、シェリルの瞳に理性の光が戻る。


「エドマンド様……!」


 シェリルは己の所業に悲痛な声を上げ、脱力した。エドマンドが腕を放すと、膝を折って地にへたり込む。

 安堵したエドマンドは、舌の上に溜まった血を嚥下した。自分の血ってどうしてこんなに不味いんだろう、と顔をしかめる。


 シェリルは小鹿のように震え、打ちひしがれていた。挙措きょそを失ってしまったことへの猛省に、術を連続使用したことによる疲労。しばらく立ち直ることはないだろう。

 彼女を案じつつも、エドマンドは顔を上げて、かつての友・・・・・を見た。

 ハリーもじっとこちらを見据えており、二人の視線が交わる。


「久しいね、我が友よ」


 ハリーは薫風くんぷうのように爽やかな笑みを見せた。かつてエドマンドはその笑顔を好いていた。だが今はもはや、嫌忌けんきと憎悪しか催さない。


「痴れ言を! お前など友ではない!」


 怒りを込めて叫ぶと、ハリーは目を細め、くちびるを歪めた。それは、まごうことなき嗤笑ししょう。湖のように穏やかな色をたたえた左目が、瞬く間に凍てつく。


「友ではない……か。そうだろうとも。君にとって、私はただの『プレゼント』だったのだろう?」

「なに……?」


 ハリーの言葉の意味が掴めず、眉をひそめる。そんなエドマンドに、ハリーは酷薄な声で告げた。


「君は私を差し出した。宵闇の女王へと、そのご機嫌取りのためにね」


 予期せぬ怨言えんげんに、エドマンドは言葉を喪失した。愕然と、頭を振る。


「ち、違う……」


 確かに、ヴィオレットとハリーを引き合わせたのはエドマンドだった。だがそれは、『最愛の幼馴染』に『かけがえのない親友』を紹介したかっただけ。


 ――けれど、薄々わかっていた。ヴィオレットはハリーを愛するだろうと。


 その愛が、一夜の火遊びで済むのか、数夜に渡るのか、はたまた生涯のものとなるのかまでは予測できなかった。


 結果として、ヴィオレットはハリーにを委ね、ハリーのすべてを我が物とした。

 ハリーを得たヴィオレットは、未だかつてないほどに幸福そうだった。ハリーだってそうだった。


 嫉妬の念を抱かなかったといえば嘘になるが、二人の笑顔を見ていたら心が温まり、醜い情念は溶けて消えていった。

 悠久のときを二人で幸せに生きてくれればそれでいいと、心から思っていた。


「ぼくは本当に、お前を友だと……親友だと思っていた」


 引き絞るように言うと、ハリーの目はますます凛冽りんれつなものとなった。


「笑わせるな」


 侮蔑混じりの声が、エドマンドを一刀両断した。


「ならば、なぜ告げなかった。『自分はカルミラの民という化け物だ』と」


 ――化け物……。

 酷烈な物言いに、エドマンドは息を呑んだ。

 ハリーは冷厳に続ける。


「エドマンド、お前は私を脆弱な人間だと侮っていた。対等な友ではなかった。信頼などなかった。それがあったのなら、お前は私に己の素性を告白したのではないか? すべてを告げた上で、あの女の『慰みもの』となる選択肢を与える、それが『友』としての責務ではなかったか?」


 ――ああ、とエドマンドは悩乱のうらんし、打ち震えた。

 ハリーの口から飛び出すすべての発言がエドマンドに悲哀と憤怒をもたらした。


 かつて、エドマンドはハリーに惹かれ、人間として彼に近付いた。親交を深め、互いに『友』と呼び合った。

 だがエドマンドの心には、人間であるハリーを侮る気持ちがあったのかもしれない。『親友』などとうそぶく前に、真実を明かしておくべきだったのかもしれない。


 けれど、ヴィオレットを『あの女』と呼ばわり、己の境遇を『慰みもの』と断じることは許し難かった。

 例え、今は憎しみしかないとしても、当時二人はあんなにも想い合っていたではないか。


「あの女もあの女だ。言葉を尽くして私へ愛を囁きながら、自分が化け物であることを一切明かさなかった。ある晩、ほんの気まぐれのように私の首へ牙を突き立ててきた。私の愛と献身を疑い、従属するだけの人形に仕立ててしまった」

「……化け物、と言うな」


 辛うじてそれだけ絞り出すと、ハリーも白熱する。眉間にしわを寄せ、憎しみを吐き散らかす。


「ならばなんだ、悪魔か、怪物か! どんなに取り繕おうと、貴様たちが魔魅まみのたぐいであることは変わらない!」

「……黙れ」


 か弱い声を発したのは、くずおれたままのシェリルだった。

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