幕間 過ぎ去りし日々 その2

宵闇の女王の涙 ~運命のひと~

 目が覚めたとき、真っ先に視界に収まったのは見知らぬ天井。

 自室ではないが……一体どこだろう。


 身を包むのは柔らかい寝具の感触。かすかに陽光の匂いがする。

 深く酩酊したときのように頭が回らず、肉体もまた非常にだるい。


 喉はカラカラに乾いて痛みを生じており、人を呼ぼうと思ったがとても億劫に感じた。

 しかし、召呼しょうこするまでもなく、傍らにいた何者かが悲鳴のような声を上げた。


「ヴィオレット様!!」


 次いで、慟哭が耳を刺す。誰かが自分に覆い被さるようにして泣き喚き始めた。

 ヴィオレットは鈍重な右手をのそのそと動かして、泣く者の頭を撫でた。視線は天を仰いだままで、それが何者なのかは未確認だが、ただそうしてやらねばと強く思ったのだ。


 手のひらに絡む細い髪は、ひどく乱れていた。手櫛でそれを解きほぐしてやると、泣き声がさらに大きくなった。

 だから、ヴィオレットはかすれた声で言ってやる。


「そんなに泣かないで、セーラ」


 胸元にすがり付くその娘の名を、ヴィオレットの魂がっている。

 同時に思い出した。なぜ、セーラがこんなにも泣いているのかを。

 ヴィオレットの目から、一筋の涙がこぼれる。


「生きていてくれてよかった、セーラ」


 優しく頬をさすってやると、少女は激しくしゃくりあげる。


「ああっ、ヴィオレット様、ヴィオレット様ぁっ!」


 ヴィオレットはすべてを悟った。もはや、己のもとにのこった愛しい従者はこの娘だけなのだと。

 うしなった従者の数だけ、胸に穴が空いているようだった。その空洞から冷たい空気が吹き込んできて、ヴィオレットの心身を凍てつかせる。

 しかし、ただ一つ残った炎が必死に足掻いていた。そのさまがあまりに健気で、ヴィオレットは気力を振り絞って極寒に耐えた。

 弱々しくも懸命に燃える炎に寄り添いながら、ヴィオレットはひときわ大きく空いた穴のことを想った。


 ――ハリー……。


 苦悩と憎悪をたっぷり吐き付けて去って行った、最愛の男。

 とめどなく涙がこぼれるが、どうしてだろう、濡れるのは左側ばかりだ。


***


 泣きながら眠り、また薄っすら目を覚ましたとき、傍らには銀髪の青年が座っていた。うつむいて一点だけを見据えている。とても、とても怖い顔をして。


 ──なんだ、この軟弱な優男も、こんな男らしい顔ができるじゃないか。


 くすりと笑うと、金色の瞳がこちらを向いた。すでに怒りは消失しており、泣き出しそうな子どものような表情をしている。


「ヴィー……! 大丈夫かい、なにか欲しいものは……」

「……うるさいわ、エド」


 小さくぼやくと、青年は慌ててくちびるを引き結んだ。忠犬のような姿は滑稽で、けれど愛おしかった。


「お前が助けてくれたのね」


 ぼんやりと思い出した。ハリーが去ってわずかのち、やって来たエドマンドがヴィオレットを抱き起こしたことを。

 ということは、ここはオルドリッジ邸か。


「……セーラを・・・・助けてくれてありがとう」


 率直な気持ちを告げると、エドマンドはひどく傷付いたような顔をした。まるで失恋でもしたかのように。

 そして、無理していることが丸わかりの笑みを作る。


「君の口から、そんな殊勝な言葉が聞ける日がくるとはね」


 それからまた、憤怒を浮かべて部屋を出て行った。


***


 どこかでセーラが泣いている。


 ――どうしたのセーラ、そんな悲しみに暮れてはだめ。

 起き上がることさえ難儀な今のヴィオレットでは、抱き締め慰めてやることができないのだから。


 すすり泣きはやがて、絶叫へと変化した。


「あああっ、エドマンド様! あの方は生きようとする気力を失っております。従者たるわたくしの心には、それがはっきりと伝わってきます!」

「落ち着いて、セーラ。血は飲んでくれたんだろう」

「口元に垂らせば、舐めとってくださいます。ですがあの方には、回復しようという意欲がございません!」


 セーラはすっかり半狂乱になっている。


 ヴィオレットはぼんやりと思った。

 ――回復しようという意欲がないなんて、とんでもないわ。早く元気になって、あなたを慰めたい……。本当よ。ほんとう……。


「従者になって日の浅いわたくしでは、十全を尽くせません! なぜ、ハリーはお姉さま方を! せめてわたくしから手に掛ければよかったのに! そうすれば、他のお姉さまが生き残って、ヴィオレット様を精一杯お慰めできたのに!」


 ――そんなこと言わないでセーラ。誰も彼も、等しく愛しい従者だった。古株のシルヴィアへも、新顔のセーラへも、向ける愛に差はなかった。


 ――いや、嘘だ。

 ハリーへの気持ちだけは、頭一つ抜けていた。


 だって、彼への気持ちは、『恋』だった。狂おしい恋。


 一目見たとき、運命だと思ったの。

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