「ほら、舐めなさい」
ラスティには、己の目が獣のようにギラついている自覚があった。
こんな不埒な視線を女性へ向けるのはよくない、と理性が訴えかけてきたが、それに応えることはできなかった。
けれどヴィオレットは不快感を示すどころか、さも愉快そうに赤いくちびるをつり上げるのみ。
「あら……やっぱりこれが欲しいのね」
その笑みはあまりに
「ほら、舐めなさい」
口元に指を突きつけられると、ラスティは寸分の逡巡もすることなく、ただ犬のように舌を伸ばして女の指先をひと舐めした。
そして――愕然と目を見開く。
舌先に付着した熱い液体は、まさに至高の甘露だった。
実際に『甘いか』と問われればそうではないし、
ただ、ひたすらに――うまい。
全身が震え、どくどくと胸が鳴った。
たったひと舐めで満足できるはずがない。強烈な渇望に突き動かされ、ラスティは細い指先を根元まで口に含むと、ぢゅるっ、と音を立ててしゃぶった。
口腔全体にとんでもない美味が広がり、理性が完全に
もっともっと欲しくなって、軽く甘噛みして肉から血を押し出す。舌で絡め取り、たっぷり染み出た唾液とともにごくりと嚥下した。
――次の瞬間、横面に衝撃。寝台へと倒れ込む。
「この大馬鹿者! 誰がそこまで許したかッ!!」
威厳と威勢を備えた女帝の如き怒声。
ヴィオレットはすっかり激高しており、激情のままに振るわれた拳は二度三度ラスティの顔面にめり込んだ。
鼻血が飛び散り、口内は切れ、大量の己の血を味わうことになったが、それはただの鉄の味。まったく美味しくなかった。
痺れるような痛みの中、このまま打ち殺されるかもしれないと恐怖に震えた。
だが、メイドの悲鳴が響き渡り、途端に殴打が止んだ。
「ヴィオレット様!」
「ああ……シェリル」
駆け寄ってきた少女に触れられた途端、ヴィオレットの声が平静に戻った。恐ろしいほどの切り替えの速さだ。
「この男が、無礼を働くから……」
「さ、左様でございますか……」
しかし、ラスティを見つめるシェリルの目に侮蔑の色はなかった。『不運でしたね』と言わんばかりの憐憫の念がたっぷりこもっている。
一方のヴィオレットも、『やりすぎた』という顔になっていた。謝りたいけれど謝れない、拗ねた子どものような表情。
ラスティは痛みに喘ぎながらも、かわいいな、と思ってしまった。
けれど結局、女は黙って去って行った。
「ああ、ヴィオレット様ったら……」
残ったシェリルが気にしているのは、ラスティの怪我の具合ではなく、寝具の血液汚れのようだった。ベッドや枕を
「拭くものと、替えをお持ちしますね」
いつものような笑みを見せるメイドに、ラスティは尋ねずにいられなかった。
「お、俺はどうなっちまったんだ? あのひとの血を見た瞬間、タガが外れたみたいになって……」
その台詞だけで、シェリルはなにがあったかを悟ったようだ。
「あの方から、血を頂いたのですね」
「ああ……」
「カルミラの民が人間の生き血を糧とするように、『超越者』はカルミラの民の血を糧とするそうです」
シェリルは同情の目を向けてきた。
「恐らくあなたは飢えているのでしょうね。だから、歯止めが効かなかった。カルミラの民の方でさえ、そういうときはいささか見苦しい様をさらしてしまうそうですよ」
「そう、なのか……」
その『見苦しい様』にヴィオレットは怒ったということか。確かに、我を忘れて女性の指をしゃぶったわけだから、数発
「ところで、俺の鼻、折れてないか?」
シェリルへ尋ねると、大きな瞳でまじまじと見つめられたあと、首を横に振った。
「大丈夫ですわ。それに、それくらいの怪我、すぐに治ってしまうでしょう。ほら、もう血が止まっています」
確かに、すでに鼻血は乾き始め、口内の血の味は消え失せていた。自分の治癒能力に感嘆していると、少女はくすりと笑って背を向けた。
「では、しばしお待ちを」
「ああ……」
一人残されたラスティは、しんとした部屋の中でシェリルの言葉を反芻していた。
「血を糧に――か」
改めて、自分が人外の存在になってしまったことを実感した。
まさに、民話に語られる『吸血鬼』というわけだ。しかも、カルミラの民の血を糧とするとは……。
だからこそ『超越者』という名称なのだ、とようやく理解した。
嫌悪を感じるわけではないが、今後の『食料調達』をどうしたらいいのか見当もつかない。
カルミラの民が人間を惑わし血を啜るというのなら、ラスティもカルミラの民を誘惑せねばならないのだろうか。
そんなこと、到底できるとは思えない。かといって、ヴィオレットの激怒ぶりからするともう二度と血を恵んではもらえないだろう。
やはり、自分は飢えて死んでいく運命なのかもしれない。
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