風呂で寝てはならぬ
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「賭けは私の勝ちのようだね」
金髪の男が典雅に微笑む。手を翻すと、数字の並んだカードがパラパラと机上に舞い落ちた。
対面に腰掛ける黒髪の男は震えていた。白い肌と尖った耳を持つ、カルミラの民だ。
だが、彼の背後に控える四人の従者たちは、さらに怯えて身を寄せ合っていた。
一様に美しい容姿の男女だったが、今は恐怖に顔を歪ませている。
金髪の男は三つ編みにした己の毛をもてあそびながら、四人の従者たちを順繰りに眺める。彼は、特徴からしてカルミラの民ではないようだ。だが、左目はありふれた碧眼なのに比べ、右目は深い深い闇色で、そこから人外の力を放っている。
「では、右端のお嬢さんをもらって行こうか」
指名された従者が小さく悲鳴を上げる。他の従者も声を上げて泣き出した。
「ほ、本当に連れて行く気か」
カルミラの民がか細い声をあげる。
「四人もいるのだから、一人減ったっていいだろう?」
「数が問題なのではないっ! 主人と従者は、魂で繋がっている。それを引き裂くのはあまりに残酷だ……!」
「敗北してから、賭けの条件に文句をつけるのは無粋だね」
金髪の男が笑みを濃くする。室内の空気が重くなったような錯覚と共に、カルミラの民は沈黙した。目を見開いてただ
「ほら、おいで」
男が手招きすると、右端にいた少女は数秒ためらってから、ふらふらと歩き出した。その瞳からは先ほどの恐怖が消えていたが、熱に浮かされたように焦点が定まっていない。
男は椅子から立ち上がり、少女の肩を優しく抱いた。
「これからよろしく」
耳元へ囁くと、少女がハッと意識を取り戻した。瞬く間に恐怖がその顔を席巻した。
「ホレス様、助けてください!」
悲痛な叫びを受けても、主人は立ち上がることすら出来ない。ただ膝の上で拳を握り締め、震えているだけだった。
「いやです、どうかお許しください、いや!」
逃げようとする少女の細い腕を、金髪の男は後ろに
「暴れると折れてしまうよ」
それでも少女は抵抗を止めない。あまりに哀れすぎる声で、嫌だ助けてと主人の名前を呼び続け、顔を濡らしていた。
ホレスは視線すら合わせない。その背後で従者たちが滂沱の涙を流していた。
カルミラの民と従者は、魂で繋がっている。その絆を引き裂かれることは、言語に絶するほどの精神的苦痛だった。
少女は腕をきつくねじられてもなお、そこから抜け出そうと尽力する。
金髪の男は小さく嘆息すると、少女へそっと耳打ちした。
「そんなにイヤならば、代わりを選ぶといい」
少女は硬直し、男を凝視した。一体なにを言っているのか、と。
男はとても穏やかな声で続ける。
「残りの三人のうち、君が指さした者を代わりにもらって行こう」
男が提案したのは、自分が助かるため、他に犠牲を強いる卑怯者の選択。
しかし、少女は迷いさえしなかった。濡れた瞳のまま、卑怯者はお前だと言わんばかりに男を睨み据える。
すると男は優美に笑んだ。少女の気高さを喜んだのか、はたまた別の理由からかは定かでない。
ただ、男の右目がギラリと光った。
途端、少女の瞳から光が失われ、細い身体がくずおれる。男は、それを荷物のように肩へ担ぎ上げた。
誘拐さながらに従者を連れ去られようとしているホレスは、男がこちらに背を向けたところでようやく顔を上げる。膝の上には、血と涙が点々と落ちていた。
金髪の男は、悠然と歩み去っていく。その背を、ホレスは瞳に『力』を込めて『視た』。
唐突に屋敷へやってきた、この得体の知れない男のことを、ホレスはなにも知らなかった。ただ右目から発せられる圧力に負けて、意に沿わぬ賭けをしてしまったのだ。
男が賭けたのは、その黒々とした右目だった。そんな薄気味悪いものなど、最愛の従者たちとは比ぶべくもないというのに。
だが、男の魂を『視認』したとき、ホレスは悲憤を忘れて驚愕に
「ヴィオレット・L・マクファーレン……? ──『
思わず叫ぶと、金髪の男が少しだけ振り返る。彼の闇色の右目は、真冬の大気のように冷えていた。
──殺される!
ホレスはそう直感して立ち上がった。手を広げ、背後の従者らを庇う。
「おっと、油断してしまった。ずいぶん深くまで『視られた』な」
ただそれだけつぶやくと、男は少女を抱えて立ち去って行った。
****
「ヴィオレット・L・マクファーレン……?」
誰かが己の名を呼んだ。聞いたことのない声だ。
「──『
黒髪の同胞が、驚愕の表情でこちらを『視て』いる。
「ヴィー!」
再度、誰かが名を呼んだ。聞き馴染みのある声だ。
「ヴィー! 風呂場で寝るな」
「あ……」
覚醒したヴィオレットは、何度も目を瞬かせた。気付けば、全裸で湯船に浸かっている。
「……また、五感が同調したのね」
小さくつぶやいて、己の右目を押さえた。奥の方がわずかに疼いている。そして、先ほど『見ていた』光景に思いを馳せた。
――他人の従者を奪うなんて、なんてむごいことを。
従者を失う辛苦がどれほどのものか、ヴィオレットはよく知っている。痛ましさと無力感に重い嘆息がこぼれた。
けれど、わずかな喜びも感じる。
――ハリー……。健勝そうで、よかった。
すぐさま、自己嫌悪に陥った。視界が赤く染まり、深くうつむいて奥歯を噛む。
「なんだ? 大丈夫か?」
優しく肩を掴まれたことで、傍らのラスティにようやく意識が向いた。ヴィオレットを心配そうに覗き込んできている。
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