(6)dreamer side
ソファーに放ったジャケットのポケットが膨らんでいることに気づいて、中身を取り出した。それは、俺がくしゃくしゃにしてしまったスケッチだった。
「ああ」
俺はなんてむごいことをしでかしたんだろう。斉木さんは、俺に何かしなければならない義務なんか一つも負っていない。純粋に、俺の犯人探しを手伝おうっていう厚意から夢視してくれたんだ。その厚意を……激情に任せて踏みにじってしまった。
激怒した斉木さんが俺を激しくなじったのは当然だ。俺だって、良かれと思って示した親切心を目の前で粗末に扱われたらひどく傷つくだろう。そんな当たり前のことにすら気づかなくなるくらい、私怨というのは始末に悪い。私怨が足かせになっている間、俺は地獄に堕ちて釜茹でにされてる亡者と何も変わらないんだ。釜から出ることしか考えない亡者と。
「俺は。やっぱり辞めた方がいいのかな」
悄然とスケッチを見下ろしていたら、突然脳内に閃光が走った。
「!!」
斉木さんが時間をかけて正確に描いてくれたスケッチ。プロの絵描きレベルではないと言っても、顔の特徴はとてもよく表現されている。四枚のスケッチの顔は、確かに全部違う。でも、俺の知っている現実のどの顔とも一致しない。それは……おかしくないか?
夢の中に出てくる顔は俺が作った? いや、それはありえないだろう。現実以上のものがほいほい現れるとはどうしても思えない。しかも四種類も。
「考えろ、考えろ、考えろ、考えろっ!」
空きっ腹に入れたビールでぼやけていた意識が、急激にぎりっと引き締まった。
「食いものを仕入れてこよう。ぐだってる場合じゃないっ!」
俺は財布を引っつかんで部屋を飛び出し、深夜営業のコンビニに向かって全力疾走した。
◇ ◇ ◇
「間違いない」
三つ目の握り飯が腹に治った時、俺は呻いていた。
「夢から現実を取り出すってのは……こういうことか」
十年以上前のかすかな記憶と言っても、俺にとっては鮮明な記憶。ほんの一瞬の目撃であってもだ。それがなぜ取り出せなかったか。俺に表現手段がなかったからだ。
両親と妹を突然失って、怒りと悲しみで何も考えられなかったガキの俺に、男の何が表現できただろう? 心が少し落ち着いてあの時のことをまともに思い返せるようになったのは、高校生になってからだ。その頃には男の顔を鮮明に思い出せなくなっていた。記憶を失ったわけじゃない。現実と絡まって原画がわからなくなったんだ。
斉木さんが言った、ほとんどの夢では直近のものしか出て来ないってこと。まさにそのものだった。あれは言い訳なんかじゃなく、たくさんの夢を視てきた斉木さんの実感なんだろう。
だが斉木さんは、俺に関わっている人物を誰も知らない。夢の描写に一切のバイアスがかからないから、スケッチは極めて正確なんだ。つまり。スケッチの顔から俺が夢に引っ張り込んじまってる現実要素を取り除けば、喉から手が出る欲しかった犯人像が取り出せるかもしれない。
スケッチ四枚ってことは、四人。俺が現在関わっているもしくは最近関わった重要事件の関係者を特定し、スケッチの顔から影響を切り離していく。四人の誰にも合致しない特徴を抽出して、慎重に繋ぎ合わせた。
「すげえ……」
それは、まさに夢のモンタージュ。残った特徴をパズルのピースのようにはめ合せると。浮かび上がってきた顔は、これまで夢に数限りなく出てきた男の一瞬の印象とぴったり一致していた。
俺は、書きなぐった絵を握りしめて署に走った。抽出された顔と、データベースにある前科者の顔写真とを照合するために。
◇ ◇ ◇
「で。とうとうたどり着いたってわけだな」
「はい」
「死んでただろ」
「確かめました。獄死だったんですね」
「そうだ」
「ハマさんは、知ってたんですか?」
「あたりはつけてた。窃盗常習犯の手口からな」
「……」
「だが探りを入れようと思った時には、そいつはもうあの世に行ってたんだよ」
俺に向かって男の写真が掲げられた。それは俺が探り当てたものと全く同じだった。ゆっくり顔を伏せたハマさんが、男の最期を放り出す。
「悪党にふさわしい、クソなくたばり方さ。頸部動脈瘤破裂。口と鼻から大量に血を吹き出し、個室を血塗れにしてのたうち回ったあげく、血の海の中でくたばった」
「個室……だったんですか?」
「そう。受刑態度が極めて不良で、独居房に一時移されてたそうだ。まさにクソだな」
犯人を火葬するかのように、細かく裂かれた写真が灰皿の中で焼き捨てられる。小さな炎をまとった写真はすぐに燃え尽き、ひとつまみの灰になった。
「くたばってる奴はそれで終わりさ。津村の時と同じだ」
灰皿の中を指でがさがさかき回したハマさんは、俺を容赦なく糾弾した。
「おまえも、そいつと変わらないクソだぞ。誠実に向き合ってくれた人の信頼を裏切るのは、人殺しとまるっきり同じ……いやそれ以上に極悪なんだよ」
「はい」
「昨日も言ったが、自分のケツは自分で拭け」
「……はい」
恨みと怒りの真上にずっと立っていた俺は……自分自身の腐臭にまるで気付いていなかった。どでかい盲点をずっと放置したままだったんだ。
俺は。どうしようもなく、クソだったな……。
【第九話 夢の盲点 了】
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