探しに来た鳥籠
西丘サキ
第1話
私のところにおいでよ、と鳥籠が笑う。
やっと見つけた、君みたいな人はもういないかと思い始めていたんだ、と聞いてもいない苦労を話す。心底どうでもいい。いきなり何ですか、余計なお世話です、と馴れ馴れしさを突き放すように返事をした。
どうして、なんて予想外のことで本当にわからない様子で鳥籠は問いかける。私のところにいれば君に不自由な思いはそうそうさせないよ、それに、ここはとても安全だから、なんなら君はここから大きく羽ばたくことだってできる。それだけのことはしてあげられるよ。そんな曖昧な利益を言い募る。結構です。私は自分で思うままにいきたいので。誰かに護り抜いてもらう義理も脆さもありませんから。
私のことを信じてくれないの、と悲しそうな雰囲気を出す。知ったことか。あなたがご自分をどうお考えか存じませんが、いきなり私の許に現れたあなたに信用も信頼もありません。
それは君の本心なの。鳥籠はまだ食い下がろうとする。当然です。互いに知り合い、身元を明らかにして、加えて誠実に接することのできる、常識外れのことをしない相手としか付き合っていくことなんてできません。
それが君の言う信用と信頼なら、私たちは今からわかり合えばいいじゃないか、なんなら私の仲間を紹介してあげる。みんな善良で素敵な鳥籠たちだよ。私を引っ張り上げるように空へ注意を向けさせ、みんな出てきてよ、と鳥籠はどこかに向かって声を張り上げた。
待ち構えていたように鳥籠たちが降りてきた。色とりどり、様々な姿形、飾りや囲いの幅さえ異なる、数えきれない鳥籠たち。籠の中には同じように色とりどり、様々な姿形、飾りの異なる多種多様な生きものが収まっていた。同じような表情をしているはずなのに、嬉しそうに笑っているようにも、生真面目に沈黙を守っているようにも、労苦にじっと耐え忍んでいるようにも、怒りを抑え込んでいるようにも、どうとでもとれるが判然としない。極楽にいるかのように幸せなのか、地獄にいるかのように不幸せなのか。
気づけば周りには老若男女を問わず集まってきていた。みんな、やっと見つけたよ、私の運命の人。みんなのおかげでここまでこれた。みんながいなければ出会うことなんてなかったし、感謝してもしきれないよ。本当にありがとう。人目などまったく意に介さず、鳥籠は話し続ける。
さあおいで、と鳥籠が言い始めたのを遮って、私には夢があります。やりたいこともたくさんあります。これからの私と言ってもいい。私の目指してきたものすべてを捨ててまでついて行きたくはありません。私は私の生き方を自由に選びます。私の夢を、希望を断ち切らせるような真似はお前たちにはさせないと、私は言葉を尽くした。
聞こえていた老婆が賛同の声を上げる。良かったと思う心はすぐに挫かれた。美しい少女になり代わりたいと願う人々は私を羨み、鳥籠の中に行ける好機をわざわざふいにすることをとがめた。青年期の男女はこの場に背を向け、どこにも行きつかない感想文を世界に差し出した。壮年の男たちはよくわからない紙束を掲げ、鳥籠の中が幸せなのだと説き聞かせる。その他、聞くに堪えない、値もしない短文が誰彼ともなく呟かれ、流れて消えていった。
君の夢、どうして私と一緒だと叶わないの。あくまで率直そうに、純粋そうに鳥籠は問いかける。さっきも言ったけど、君が不自由を感じることはほぼないよ。大抵のことはできるし、どこへだって行ける。得意でないことがあれば助けてあげることもできる。傷つかないように護ることも、傷ついた時に護ることもできる。君が自由に選べることを保証できるんだ。この自信はどこから来るのだろう。根拠の乏しい説得が続いた。押し黙ったままでいるとあの中に引きずり込まれてしまいそうで、私は声に出して断り続け、自分自身で選びとり、生きていくつもりだということを繰り返した。
私への賛同は少なくなっていった。周りは飽きたのだと思う。もうほとんど誰もいなかった。変わらず鳥籠が示す縮減されたくらしぶり、居住まい、どこにも光が当たるように作られ、望ましい色だけ重ね塗りした視界が、そこにどんな不満があるのと私に突きつける。そこには私以外の誰もいない。
もう今日は終わりにしよう、と突然鳥籠が言い出した。僕は鳥籠だから疲れることはないけど、君は今とても疲れた様子だね。自分の言葉を探すのもおっくうで、考えがあちこちに飛んでるようだ。こんな君から良い返事をもらっても嬉しくないし、僕の本意じゃない。答えはまた改めて聞きに来るから、その時にはちゃんと考えた君の返事を教えてね。私の考えも返事も変わらないと言いかけたが、それよりも先に、いきなり現れてごめんね、今日はもうゆっくり休んで、と鳥籠は去って行った。
あんなもの、もう来なくていい。
次の日も鳥籠はやってきた。その次の日も、その次の日も。毎回必ず私を見つけ出して、同じような調子で私を誘う。ただでさえ疲れているのに、断るのにも疲れた。どうして私なの、と気づいた時には敬語を使うのも忘れて問いかけていた。始めて自分から私に質問してくれたね、すごく嬉しい、と鳥籠はすぐに本当に嬉しそうな反応を見せる。すごく悔しい。もう初めて見た時からだね、他の人とは違う、君がたくさんいる中でひときわ際立って見えたんだ。もう君しかいない、君がずっと探していた人なんだって思ったよ。結局抽象的なことだ。それじゃあ、私は他の人と何が違います?何日も経っていて、私が運命の人だと本当に心から思っているなら、はっきり言えますよね。普通なら意地の悪い問いかけだけど、こんな鳥籠になら何の遠慮も起きないだろう。君が他の人とどう違うのかは、君が一番わかってることだよ。僕が付け加えることなんてないよ。何それ、わざわざ聞いているのに。お願いします、あなたの口から聞きたいんです。と言葉を押し込むように私に言った。うーんとね、と鳥籠は間を置いて、多面的だけど前を向いているところかなとまとめて、自分の軸って言うのかな、絶対的な自分っていうのを認めていて、認めさせようとしていて、でも夜な夜な周りの反応なんかを思い出して思い悩んでいて、そんな中でも声音も変えずに頼み込むような、自然に簡単に媚びずに甘えられるところを見て、すごく面白い人だって思ったんだ。それからね――
その時々の私を思い返して言っているような鳥籠を、私は畏れた。この鳥籠は私のことをどこまで知っているのだろう。私のことをどこまで見透かしているのだろう。周囲の視線が戻ってきた。私は辺りを見回す。
鳥籠たちが私の周りを取り囲み、すべてが私を向いていた。居並ぶ鳥籠と、鳥籠の中にいる生きものの、表情の読み取れない虚ろとも言える目。
私はすでに、くるまれている。
絡み取られていると言えるほど、鳥籠の世界に。
どうしたの、大丈夫?と私の目の前の鳥籠が心配そうに聞いてくる。今私の前には、この鳥籠しかいない。辺りに誰もいない以上、鳥籠とその中身しかいない以上、それは確定の事実だった。大丈夫、大丈夫だから、と思わずこぼすと、とても嬉しそうに、安心したように鳥籠は笑う。良かった、君に良くないことがあるなんて、私はつらくて考えたくないよ。
私のことを心配しているのは、私と会話を続けているのは、もうこの鳥籠しかいなかった。この鳥籠以外の誰が、私と関わってくれるのだろう。つながったままでいてくれるのだろう。
君の夢ややりたいことにどれだけの仲間が加わっているのか、私には正確にはわからないけど、夢ややりたいことを追いかける君自身を支えてくれる、護ってくれる人はどれだけいるの?もちろん何人かいるだろうけど、少なくとも私は君と一緒にいたいし、支えたいし、一緒にいることも支えることも、護ることもできるよ。
だから、おいで。
私は開かれた鳥籠の扉と、その扉の向こうをじっと見つめた。戻ることを除けば、私を支え、護るものは私以外に誰もいない。いや、もはや戻ることも許されてはいないかもしれない。少なくとも、この鳥籠は、私を支え護るつもりのようだ。信じていいのだろうか。
「おいで」
優しい声。そっと手を取り、ゆっくりと自分に引き寄せるような、力強さを透かし入れた優しい声。本当に、本当に私を護ってくれるとしたら、私もこの優しさを護りたいと思った。
「……ねえ、約束してくれる?」
問いかける私に鳥籠が微笑みかけて、私の言葉の続きをゆったりと待った。
「ずっとそばにいて、ずっと私を支えて、私の夢を、あなたの夢を、私たちの夢を一緒に叶えていくこと」
「もちろん」
すぐに聞こえてくる、同じ優しい声。
私は信じる。
私は鳥籠の中に入り、自ら扉を閉めた。
鳥籠の中からは、外は半透明の幕がかかっているとしか思えず、すべてが見えているようで何も見えない。
ここは快適で安心できる場所なのだろうと思う、おそらく。この中では私の存在はとても安定していて、私はすでに、ここに来てからの感情しか触れられなくなっていた。ここにあるのは、鳥籠の規格に合うものだけ。
この中でどんな風にふるまえば良いかわからず、私は辺りを見回した。鳥籠にどうしたらいいか聞いてみても、「好きにしていいよ」とだけ。ただ、その言葉には明らかな制約が私にのしかかっていることは理解できた。誰か他にいないだろうか。あれだけの鳥籠がいたのだから、きっとどれかが、その中にいる誰かが答えてくれる。そう思って耳を澄まし、目を凝らしてみたけれど、そもそも私を見ているとは思えなかった。よく見れば外とやりとりしているような鳥籠もいる。あの中からはきっと外が見えていて、声も明瞭に届き合うのだろう。ここから何も見えないのはこの鳥籠のせいか……いや私のこの目のせいか……ここにいてもわからない。とにかく、何も見えない。重苦しい自由があった。今も仲間が欲しくて、この状況をどううまくやればいいのか知りたくて他の鳥籠の中に呼びかけようとしたけれど、「踏み越えるのは良くないよ」という鳥籠の言葉を聞くよりも前に、自分自身が何かの道理を外れていくことを忌避している。
まるでここは、模様ばかり綺麗な鉄の檻。
自在に動くこともできるし、折に触れて私を慰撫してくれる。けれども厳然として私の行動を許さない。檻の外なら、鳥籠の外なら、自由だっただろうか。自走する檻の外は、今すべてを霞ませているこの幕のようなものがなければ見えただろうか。今の私の目で見えただろうか。願ったり、望んだりすることはできても、もはや私はそれを知らない。ここは頑強で護られていて、とにかく今は何も考えなくてもいいような空間が広がっている。私は何を求めていただろう。外に出ることばかり考えているけれど、もはや外に出た自分の姿を、外の世界を描くことはほとんどできなかった。
私は今どんな顔をしているのだろう。鏡が見たい……いや、見たくない。こんなところでどんな顔をしていても、そんなものを見たくなかった。きっと私は、笑っているとも神妙にしているとも耐えているとも怒っているとも見えるような、何かであり何でもない顔をしている。見た人間が自分の思考や感情を投影して好きなように捉えることができる顔をしている。
私自身の顔は、もはや存在しない。
探しに来た鳥籠 西丘サキ @sakyn
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