里 (1)





 手を引かれたまま、クローサーと歩いた。手を繋げる嬉しさもあったが、彼の足は少し早くて私は店先を覗けずせっかく手に入れた金で買い物が出来ずにいた。


 人混みの隙間から、チラリと洋服屋が見えて私はクローサーの手を引っ張った。


「服屋さんがあった、ピグミ見に行きたい」


「焦らなくてもこれからいっぱい吟味できる、今日買い物しないくていい」


「……なんで? しばらくここにいるの?」


 クローサーは私の質問に答えず真っ直ぐ前を向いたまま、先を歩いて私の手を引く。胸がザワついた。


 彼はどこに向かっているのだろう。高台に向かうと亜人の街並みが変わった。建物の数は減り、その代わりに緑が増え街路樹の向こうにポツンと白い屋敷が見える。子供の笑声が聞こえ、走り回る姿が遠く見える。


 黙ったままそこに向かおうとされて嫌な予感がした。その手を振りほどこうとしたが、強い力で引き戻された。



「ここはどこ? ピグミはクローサーと一緒だよね?」


「ここはこれからピグミが暮らす孤児院だ。俺は吟遊詩人だから、また放浪の旅に出る」


 強い力で握られた手を振りほどこうとしたが、引き寄せられ拘束された。前方の屋敷から牧師の格好をした大人が向かってくる。恐怖にも似た感情で顔を引きつらせ、クローサーの顔を見上げて懇願した。


「嫌だ……離れたくないよ、クローサー」


 大粒の涙が零れて地面に染み込んだ。それを踏みにじるようにクローサーはまた私の手を引く。土に紛れた涙が引きずられて消える。牧師はクローサーのすぐ後ろまで来ていた。


「吟遊詩人殿、手伝いましょうか?」


「あぁすまない、この子が保護した子だ……名は」


 クローサーが牧師を振り返ると、一瞬だけ手が緩んで私はすり抜けることができた。高い木に飛び移り、枝にしがみついてクローサー達を見下ろした。


 やはり私は孤児院に連れてこられたのか。確かに何の約束もしていないが、薄情だ。こんなに私は彼のことが……なにか、クローサーの様子がおかしい。牧師を見つめたまま、動かなくなっている。片方しか翼のない、眼鏡をかけた鳥の亜人だ。背は高く、真っ白な長髪は一つに括られている。


「クローサー、お前なのか……?」


「コウノ……」


 白い羽毛に黒い風切り羽の片翼の大きな翼を拡げると、クローサーを威嚇するように睨みつけた。私の兎の耳に聞こえる、クローサーの息が乱れている。コウノと呼ばれた鳥の亜人が樹上の私を見上げ、またクローサーに鋭い視線を送った。


「クローサー……噂には聞いていたが、本当に司祭から吟遊詩人になっただけだろうな? 動きやすい吟遊詩人に扮してるんじゃ」


「違う! 俺は……俺は一度だって自分を許せたことはない」


 何の話をしているのだろう。クローサーの肩が震えている。真っ黒な髪が俯いて、その表情は見えない。


 鳥の亜人は冷ややかな目でクローサーを見つめている。私を見上げると、威嚇していた翼を畳んでこちらに手を伸ばした。さっきの険しい顔からは想像もつかないような優しい笑みをしている。


「降りておいでお嬢ちゃん。私はこの孤児院の牧師、コウノだ。ここは絶対に安全だ、もう怖がることはない」


「嫌。あんたクローサーとピグミの前から消えて。ピグミはクローサーと一緒にいる」


 少し驚いた顔をして、その端正な顔立ちがまたクローサーに向かうと無表情になった。顔を彼に向けたまま、コウノは声を張り上げる。


「見ての通り、私の翼ではそこまで飛べない。君の耳の染色のように、私も昔奴隷の証として翼をもがれたんだ」


 痒いのか、クローサーの手が背中を掻きむしりだした。初めて見る彼の異様な光景に私が声を潜めていたら、コウノは続けた。


「亜人の強みはなくてね、もう一生空を飛べないんだ」


「知らなかったんだ……知らなかったんだ……」


 膝から崩れ落ちたクローサーの前に飛び降りた。コウノは私を見下ろし私は下から睨みつけた。


 彼は今私の後ろで泣いている。何故かは分からないが、自分の体を傷つけて深い闇の底にいる。私が泣いた時は彼が背中をポンポンしてくれた。大丈夫だと慰めてくれた。私だって、彼を守れるはずだ。


「やっと降りてきてくれたね。見ての通りコイツではもう君を守れない。罪の重さに耐えきれず死にきれん、役に立たない抜け殻の肉塊だ。信用してはいけない。さあ、私と行こう」


 跳躍してコウノの手を逃れ、クローサーの背後に飛び降り背中に抱きついた。意識がないのか、クローサーの爪が私の背中を引っ掻いた。


 立てた爪が深く刺さり、まっすぐに引き裂く。こんなに痛い事を、繰り返し、繰り返ししていたのか……同じ痛みを受け止めた。


 ビクッとして彼の体が硬直し、自傷していた手が止まった。私の重みで両手の掌は地面につき、馬乗りのような態勢のおかげで彼の腕は持ち上がらないようになった。


「ピグミは奴隷から生まれた奴隷、悲しい二人から生まれた。悲しい生まれ方をしたけど、行使するのは私だ。旦那くらい守れる。ピグミが傷を負ったときはクローサーがおんぶしてくれた。次はピグミがこの背中を守る」


「ピグミ……離れてくれ。もう、行ってくれ」


「黙っててクローサー。コウノ、ピグミは肉だけで生まれてきてない。彼の匂いを嗅ぎ分ける鼻もあるし、綺麗な景色をクローサーと見れる目もある。綺麗だねって言うクローサーの声を届けてくれる耳もある……コウノの翼はまだ、奴隷の証のままなの」


 コウノ何も言わない。ジッと私を見つめ、動かない。強い風がコウノの後方から吹いてきて、子供達の遊ぶ声が届く。彼の片翼の羽が一枚風に乗る。


「いや……この翼はもう奴隷の証ではない。片翼でも子供たちを強い風から防いでくれるし、眠る子供の暖にもなる。そうだな、もがれた翼はお前には生えてこない。単純な答えだ」


 そよ風の木立を見上げ、コウノは空を見上げた。優しい風がコウノの頬を撫でる。フウっとその風を吐き出すと、顔をこちらに向け穏やかな笑みをくれた。


 ゆっくりと顔を上げたクローサーがコウノを見ると、腕の力が抜け私の重みで地面に激突してしまった。顎を打ったのか、気絶している。


「あ……やってしまった」


「そいつを孤児院まで運ぼう、傷の手当もしてやらなくては」


「コウノ、ピグミは孤児院で過ごす気はない。クローサーと行く」


 気絶している彼を担ぐとコウノは私を振り返った。


「わかってる。けど今こうしてこいつを担げるのは私だ、それじゃまだまだ守られる立場だぞ」




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