街 (1)
街というものには驚いた。そこら中に人が溢れかえっていて、家が数えきれないほど立ち並んでいる。
首都のラグゥサだというこの街は、それぞれに区画された街にヒューマン、ドワーフ、エルフ、そして見たことのない身体的特徴に溢れた亜人達が暮らしている。
亜人街だというここは、石畳が引かれ馬車や魔物を使役して移動する人、そして私が何より目を引いたのが街行く人の戦闘服やオシャレに着飾る人々。
ガラス張りのショーウィンドウを構えた店というものにも何度も目を奪われた。マネキンに着せたあのヒラヒラの可愛いものは、風に吹かれると一体どう泳ぐのだろう。
「こら! 勝手に動き回るな」
店から店の窓へへばりつき、色々な商品を見て回った。冒険者アイテムに武器類、家具小物に生活用品から魔道具。そして食品。こんなに食べ物がそこら中にあるなんて驚いた。至る所から嗅いだことのないお腹を刺激する美味しそうな匂いがする。
興奮して歩き回る私に目を光らせ、牽制するクローサーは少し邪魔だ。
ドラゴンの看板の店から引き剥がそうとするクローサーだったが、私はショーウィンドウに顔面ごと張り付いて粘った。ここが一番いい匂いがするのだ。
匂いだけでも満足しそうな甘い香り、世の中のファンシーな色を全て閉じ込めたような店内はお菓子屋さんというのだそうだ。
中はカラフルな小さなパンのようなものが並んでいて、おとぎの国のように幻想的だ。
「クローサー、ピグミあれ食べたい」
「……ダメだ。私は金を持っていない。すまんが諦めてくれ」
舌打ちをすると頭を小突かれた。恨めしげに睨み合っていると扉の鐘が鳴り、中からひらひらしたエプロン姿の猫科の亜人が出てきた。店内からさらに腰が砕けそうな、いい匂いが一瞬漂った。
メス猫の亜人は丸みのあるボブヘアー、太陽の光が当たると光輪が見えた。毛並みのいい三角の耳と長い尻尾を持っていて、その可愛らしい顔を傾げた。
「どうかされましたか?」
「すみません、店の前で。すぐ立ち去ります」
「いーえー、まだ新規オープンしたばかりの暇な店ですからぁ」
「お腹がすいてるのに食べさせてくれないの」
彼を指先し女を見上げた。猫の亜人はあらあらと言い、私の耳を見て疑惑の目をクローサーに向けた。
「人聞きの悪いことを言うな、私は吟遊詩人だから金で物を買うことはできない」
そうだった、物が欲しい時はお金と交換しないといけないんだった。忘れていた。
クローサーは働いていない。何故だろうか知らないが、どこの村でも彼は断固として金は受け取ろうとしない。もどかしさに私はジト目でクローサーの足を踏んづけた。
「よかったら試食してくれないかしら、そのかわり一曲聞かせてください」
猫の亜人は一旦店に戻り、トレーにいくつかのお菓子を並べて持ってきてくれた。その色とりどりの可愛いものが食べ物だなんて一瞬信じられなかった。私はクローサーの制止も聞かずピンク色の丸い物体を掴むと、その柔らかさと儚さに感動していた。食べるのが勿体ないと思ったのは初めてだ。震える手でそれを口に運んだ。
「でらあま」
「あ? なんだピグミ」
「こんなのはじめて……」
私は両手でほっぺたを包んで腰をくねらせた。口の中が蕩ける。満たされる甘美な幸福感に体が弾み、跳躍して飛び跳ねた。クローサーは溜息をつきながら微笑み、店先で曲を披露した。
街自体がとても賑やかで、馬車の音や動物の泣き声も騒がしかったが彼の歌と演奏はかき消されることなくよく響いた。私は他のお菓子も夢中で試食し、歌と合わさり天にも登る気持ちでご機嫌で回転した。
彼の歌は万国共通だ。チラチラと振り返る人の足が止まり、気がついたら人だかりが出来ていて便乗して試食をする人もいた。一曲歌い終わると拍手喝采とアンコールをせがむ人々に囲まれていた。
「いーぞー! 嬢ちゃんも可愛かったぞ!」
「吟遊詩人さん、もう一曲お願い」
彼は照れて顔を赤くした。せがまれて、また曲を演奏してくれる。店内に試食をした人が流れていき、私は試食のトレーを受け取り、周りのみんなと分け合って食べた。体は自然と跳ねるが、トレーのお菓子は絶対落とさないよう細心のバランスを保つ。歓声はやんやと続いた。
***
「ありがとう、あなたの歌のおかげでオープン初めての大盛況だったわ。これ少ないけどお礼のお金」
「いや、私は金は受け取らない。ピグミにお菓子をたらふく食べさせてもらった。こちらこそありがとう」
私が腕を伸ばしたのをクローサーが頭を押さえつけてくる。しばらくまた二人で攻防した。
「ピグミは金ほしい、買いたいもの買いたい」
「ああ、それが正しいがピグミはお菓子という報酬をもう貰っている。働くか物を売って対価を得るんだ」
なるほど、と強烈に私の中で何かが嵌った。そうかお金とはそういうものかと。
ご飯を与えてもらうだけではない、命を必死に繋ぎ止めるだけの奴隷時代の労働とは違う。欲しいものを自分で選んで手にする。誰かに強制されて働かされて生かされるだけの対価しか得なかった私のなかで、人の営みは衝撃だった。
自分のために働けば、美味しいものも可愛いものも買えるのか。お金の使い方、惹きつける物を作る人の営みの素晴らしさだ。
横に突っ立っていた私はおもむろにクローサーのアイテムバックに腕を突っ込んだ。目当てのものを一つ、引っ張り出して見せた。
「ならこれ、お金に交換出来る?」
砂漠のオアシスで採取した貝子糸を、ドワーフの土魔法で染色し、エルフが状態魔法を付加してくれた絹だ。それを猫の亜人に広げて見せた。
「まぁ……なんて綺麗な布。美しい光沢と色彩豊かな模様」
彼女は息を飲んで恐る恐る触れた。
「こんな素晴らしい品、こんな少額で取引していいものじゃないわ。よかったら私の知り合いの店に行ってちょうだい、この街で装備品屋をしてるから素材なら買い取ってくれるわ」
女は目を細めて手を振ってくれた。甘い香りのするいい人だった。いつかまたあの香りに導かれてあの店で自由にお菓子を買いに行こう。きっと長い付き合いになる。
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