うさぎの少女と自傷癖のある青年。 ~ ピグミのうた ~
ソノ
ピグミの歌 (1)
新緑の草原を風が撫でる夕暮れ。私の頭から生えた兎の獣耳を揺らし、風の音が世界を支配した。昔のように指の節くれが痛むことはない。奴隷をしていた頃の労働で痛んだあの手は今やふっくらと肉を補充し、砂埃に目を際限なくこすらなくていい。お尻まで伸びた銀の髪は砂に絡まることもなく、彼が時間をかけてブラッシングしてくれるので伸ばしたまんまだ。昔のように風を憎む事がなくなった。
地平線に差し掛かった夕日を眺めていると、背後で歌が止んだので振り返った。
「ピグミ、夕日をあまり眺めすぎるな。夕焼けは空に住む女神が昼のベールを脱ぎ、着替えてる時間。逢魔が時……赤く染まった肌を見つめすぎると罰が与えられる」
岩に腰掛ける男は、獣の身体的特徴を持つ私と違うヒューマン族。魔力を多く溜め込むという黒髪を持つ彼が、前髪の隙間から私を覗く。星空を溜め込んだような瞳に私が映っている。ほころびのあるマントを纏うと彼がまた弦の張られた楽器を持ち直した。見た目に似合わぬ澄んだ声で彼は嘆くように歌を歌う。
「まだ、死にたい? クローサー」
私の質問に彼は顔を上げなかった。嘆くように歌を歌う。彼に近づき片方の足に抱きついて、目を閉じて私は獣の耳に流れ込んでくる歌を聞き入っていた。歌い終わり、クローサーが立ち上がると私も立ち上がり、頭二つ分上にある顔を見上げた。私は奴隷時代の影響から二十歳に近づいても身体はドワーフのように背が小さい。
「クローサー、結婚しよう」
何度目かの求婚か私は覚えていない。彼を知ってから、いく度となくこの言葉を口にした。一番最初はもう十年も前のことだと思う。クローサーはいつものように私の手を振りほどいて、先に歩み出す。いつものことだが私も同じようにいつものことをして返す。
「地面に寝っ転がるな。結婚はしない」
地べたで大の字になり、草の上で恥ずかしがり屋の女神の肌その空を見上げていると、しばらくすると彼が視界に割り込んでくる。私を地面から引っこ抜くと抱き上げてくれるのを知っている。赤ちゃんを抱っこするように私を包み込む背中に大きな手が周り、彼は私を抱えたまま連れ去ってくれる。彼はいつも前を向いて、私は彼の歩いてきた道を見る。胸板の心臓が、彼が生きていると教えてくれる。初めて会ったあの時のように。
「クローサー、結婚しよう……子供ができた」
本日二度目の求婚に、大地を踏みしめる振動が止まった。死に急ぐあなたの歩みが止まることを、お腹の子が引き止めてくれますように。どうか、どうか。
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