最終決戦編

第27話 黒猫VS百合

 今でも当時のことを思い出すと身震いがする、と店長は言っていた。

 店長と黒猫さんが一緒にアヤカシ堂を切り盛りしていた頃、店長はウルフェンにさらわれたことがあったらしい。

 当時のウルフェンはまだ人間だった。だが、頭がイカれていた――いわゆるマッドサイエンティストってやつだ。

 店長を麻酔無しで解剖してみたり、変な薬を投与してみたり――要は人体実験をされたのである。

「素晴らしい! 臓器を切除しても次の臓器が再生する! 素晴らしいですよ天馬さん! これで臓器売買を防ぎ臓器提供を待っている人たちを救える! あなたはまさに衆生しゅじょうを救う女神だ!」

 ウルフェン=リル=アルビノーはそう言って子供のようにきゃっきゃと笑うのである。

 毎日のように繰り返される苦痛と恐怖。あの店長が青ざめおびえるほどなのだから想像に尽くしがたい。

 しかしその恐怖の日々は終わりを迎えた。黒猫さんが助けに来てくれたのだ。

 研究員は全員怪異対策課に逮捕され、共同研究者だったピクシーは幽子とクラウドを連れて逃亡した。

 店長をひどい目に遭わせたウルフェンは、黒猫さんの怒りを買い――妖怪化する呪いの魔弾でアヤカシとなった。

「もうお前は表の世界を歩けない。そんなに不老不死になりたいなら永遠に闇の世界をさまようがいい」

 黒猫さんは冷たい声でそう宣告したという。

 その後、当時のウルフェンの研究所は破壊されたというが――ウルフェンはアヤカシとなってもなお、ラボを変えて不老不死の研究を続けていた。

 そして、黒猫さんの話ではウルフェンの新しいラボの場所を突き止めるため、アヤカシ堂を出て旅をしていた、ということだったが――。

「返り討ちにされてアンデッドに改造されてしまったんだろうな」

 店長は幽霊列車の座席に座り、淡々と話した。意識的に感情を殺しているように見えた。

「それってつまり、黒猫さんより強くてヤバい奴ってことっすか、ウルフェン……」

「さてな……私を拘束して拷問に近い人体実験をしていた人間だった頃から相当ヤバい奴だったが、妖怪化してどれほどの力を得たのか……」

 俺は、対峙たいじしたウルフェンの姿を思い出す。

 狼の生首だけが浮いて、身体のないマント姿。そばに浮かぶエネルギー体の両手。得体が知れない。

「まあ、まずは黒猫様をなんとかしなくてはいけないな。あんなむごい姿にされてしまっては、もう人間には戻せない。せめて私の手でほうむる」

 感情のない声。無表情。その裏に悲しみが隠れているのは俺にだってわかる。

 やがて列車は宝船駅に到着し、深夜の駅を出ると斬鬼ザキたちが出迎えてくれた。

「よっ、無事に天馬を連れてこれたみたいだな」

「斬鬼、そっちはどうだ?」

「とりあえず知り合いは全員集めてきたぜ」

 綿麻めんまさんに美濃みのさん、ピクシー、クラウド、幽子ゆうこ竜宮たつみや海人かいと乙姫おとひめ。チェシャ猫、増田ますだ穂村ほむら鬼怒川きぬがわ夜鷹よだか。イービルにルナール。メア率いる猫又族の精鋭までいた。

「メア、来てくれたのか」

「ふん、アンタのためなんだから泣いて感謝しなさいよね」

 ツンデレなのか何なのか。

「海人も、来てくれてありがとな」

「アヤカシ堂の一大事って聞いてさ。力になれるか分からないけど、協力はするよ」

「百合ちゃん、大丈夫か? すっかり顔色が悪いやないの」

「大丈夫……大丈夫だ」

 心配する幽子さんに、店長は力なく笑う。

「いや大丈夫なわけないやろ。これから恋人殺すっちゅう女が」

「恋人!?」

 クラウドとイービルがまっさきに反応した。

「こ、恋人じゃない、パートナーだ……」

 店長は否定するが、顔を赤らめているので惚れているのは明白であった。

「じゃあさっさとその黒猫とかいうやつブッ殺して、僕が店長さんの恋人にならなきゃね」

「お前ホント最低だな」

 好意を寄せていた相手をこれから殺さなければいけないというときに、イービルの発言は不用意過ぎる。妖怪に倫理観というものはないのか。

「なぜ俺まで駆り出されなければならないんだ。多分役不足だぞ俺は」

「怪異対策課も一応は動いておかないとマズイでしょう。どう考えても犯罪絡みなんですから」

 深夜ということで寝不足なのか、大きなあくびをする増田さんをとがめるように鬼怒川さんが説得する。

「チェシャ猫もいるということは、もうウルフェンのラボのありかもわかっているんだな?」

「もちろんだとも。対価はウルフェンを殺すこと、としようか。――奴は、子供も犠牲にしている」

「――!」

「僕は子供が好きなんだ。だから、奴の考えていることは分からないが絶対に許せない。必ず奴を殺処分しよう」

 チェシャ猫は珍しく怒っているようだった。

「では、ウルフェンのラボまで案内してくれ」

「ああ、行こう」

 そうして一行は、大人数で町を移動する。まるで百鬼夜行のようだ、と俺は思った。頭首は女神様だけど。

「番場くん、君に渡したいものがある」

 移動中、ピクシー博士が俺に話しかけた。

 渡されたのは、液体の入った小瓶。魔法薬のようだった。

「これは?」

「君の身体の吸血鬼成分を中和する薬。つまり、人間に戻れる薬だ」

「完成してたんですね!?」

 俺は驚きと歓喜の声を上げる。

「これだけは必ず持ち出さなくては、と思ってね。必死だったよ」

「……? どういう意味ですか?」

 なにか嫌な予感を感じながら、俺は訊ねる。

「僕らのんでいた稲荷いなり神社が、何者かに焼かれた」

「!?」

「おそらくは逃亡した僕への、ウルフェンの報復だ。地下にあった研究所も焼けてしまった。持ち出せたのは、その薬だけだ」

「博士……俺のために他の研究を捨ててまで……」

 胸が締め付けられる思いだった。

「それだけ百合には恩があるってことさ。幽子とも仲良くしてくれているし……無人の稲荷神社を紹介してくれたのも彼女だった。番場くん、この戦いが終わったら、その薬をぜひ使ってくれ」

「……はい!」

 俺は薬を胸ポケットにしまう。

 チェシャ猫に連れられてたどり着いた場所は、宝船市の真ん中を通る大きな動脈となる道路、そこに鎮座する大きな神社だった。

「まさか、奴も神社を根城に!?」

 店長は驚愕きょうがくした表情で言葉を詰まらせる。

「正確には神社の中に棲んでいるわけじゃなく、深夜の一定時間だけ神社の鳥居に異界ゲートを開いてそこから出入りしている。こんなにすぐ近くにあるのに、黒猫がなかなか気づかないわけだ」

 黒猫さんの何十年にも渡るウルフェンを探す旅は徒労だったというのか。いや、最終的には根城を見つけたから徒労ではなかったのか。

 しかし、ラボにたどり着いた黒猫さんは、結局ウルフェンに敗北した――。

「……行こう」

 店長は鳥居をくぐろうと歩を進める。俺たちも付き従うように歩調を合わせた。

 鳥居をくぐると、そこはもう神社ではなく、なにかの研究所のような灰色の無機質なコンクリートの建物内だった。

 何人もの人間の身体が、液体――ホルマリンなのか、それとも培養液か――のなかに漬けられている。

 その中には、異形へと変化している途中のものもあった。

「むごい……」

 俺は吐き気をこらえながら、最深部へと足を動かす。

「――おや? モルモットが戻ってくるとは。ネクロ、ちゃんと地獄に送ったのではないのですか?」

 ウルフェンはなにかを解剖しながらこちらを向く。身体は完全にこっちを向いているのに、エネルギー体の両手は身体から分離しているから、メスを持ったまま解剖を続けている。便利なものだ。

「貴様を殺すためなら、何度だって地獄から戻ってきてやる」

 店長は殺気立った表情で、ウルフェンをにらみつける。

「おお、怖い怖い。それではネクロはあまり意味はなさそうですね」

「そだねー。僕もさっき『善神を地獄に送りつけるとは何事だ!』なーんて閻魔えんま大王様に怒られちゃったし」

 ネクロは笑いながら肩をすくめる。

「――でも、他の妖怪ならまあ問題ないでしょ? 人の一人や二人殺してるだろうし」

「店長、ネクロは俺たちに任せて、黒猫さんを楽にしてあげてください」

「……ああ」

 黒猫さんは何も語らず、ただウルフェンのかたわらに立っているだけだった。

「シュヴァルツェ・カッツェ、起動。あなたの大切なパートナー、天馬百合を――そうですね、全身の骨でも折ってあげなさい。死なない程度に動けないようにすればいいでしょう」

「――」

 黒猫さんはカッと目を見開き、顔を上げると俊敏しゅんびんな動きで店長に迫った。

 しかし、黒猫さんの拳が届く前に、店長の御札が盾のように素早く展開され、打撃を弾く。

「黒猫様相手でしたら、本気でやっても構いませんね……?」

 店長の頬や手の甲に、蛇の鱗の模様が浮かび上がる。アレが蛇神としての本領なのだろう。俺も初めて見る。

「手加減は無用。すべての御札を使い切る覚悟でお相手いたしましょう……!」

 身体のどこにそんなに隠しているのか、本当に御札のストックをすべて使う勢いらしい。

「半妖くん、よそ見してると魂もらっちゃうよ?」

 俺には死神が迫ってくる。鎌が心臓を貫けば魂を奪われる。キン、キン、と鎌を如意棒で弾く。

 そのすきに綿麻がネクロの身体を拘束し、美濃が指を組んだ状態で思い切り腕を振り下ろす。

「グ……ッ!」

 ネクロは脳震盪のうしんとうを起こす寸前まで衝撃を受けたようであった。

 その衝撃でマントのフードが落ちる。

 ――今までフードの中はよく見えなかったが、その顔は骸骨がいこつであった。

「見たな……僕の顔を!」

「いや、死神なら顔がドクロなのは当たり前やん。読者も多分予想しとったと思うで?」

 幽子さんはメタ発言をしながら巨大な九尾の狐に変身し、ネクロをグシャッと踏み潰した。

 骨が砕ける音がした。おそらくネクロは即死である。

「店長! こっちは終わりました!」

「そうか」

 店長は感情の死んだ声でそれだけ答える。

「あかんわ、神格を上げすぎて人間としての感情が死にかけとる。百合ちゃん、気をしっかり持って気張りや!」

 店長は黒猫さんに魔銃を抜かせていた。パン、パンッ、と銃声が響き渡るが、御札がパヒュンと穴も開くこと無く受け止めてしまう。

「鈴、蔵を開いてくれ」

「……うん」

 鈴は店長の影に潜り、何かの柄が影から上ってくる。

 それは、死神の鎌だった。

「店長も鎌を!?」

「うんまあ、百合ちゃんちの蔵には何でもあるからなあ。そら死神の鎌くらいコレクションに入っとるやろ」

「なんでさっきからそんな冷静なんですか幽子さん」

「そんな冷静でもないで? 昔なじみが殺し合いしてるの見ることしかできんちゅうのは悲しいもんやわぁ……」

 幽子さんは相変わらず糸目にωオメガみたいな口で表情は読めなかったが、声音は本当に悲しそうだった。

「斬鬼! 力を貸してくれ!」

「あいよっ!」

 斬鬼が御札の中に吸い込まれ、その御札を死神の鎌に貼る。

「必殺必中・死神の風刃!」

 店長が鎌を一振りすると、無数の風刃が黒猫さんと、ついでにウルフェンを襲う。

「チッ……」

 ウルフェンはエネルギー体の手で風刃を相殺したが、風刃は黒猫さんの心臓を引き裂き、魂を刈り取った。

「黒猫様!」

 店長は仰向けに倒れた黒猫さんに駆け寄る。

「百合……ありがとう。地獄で、待ってる」

 黒猫さんの言葉に、店長は泣き出しそうな顔を浮かべる。

「そう……ですよね。ここまでした私達が、天国に行けるはずありませんよね……」

 そうして、事切れた黒猫さんを静かに横たえ、店長は立ち上がろうとするが――もう身体に力が入らないようだった。

「店長!」

「悔しいが……私はここまでだ。もう力を使い果たしてしまった」

「そんな……」

「それなら、早くその死体を持ってここから立ち去ってもらえませんかね? 研究の邪魔なんですが」

 ウルフェンは苛立いらだった様子でそうのたまう。まるで命なんて価値がないものであるかのように。

「ウルフェン……気になってたことがあるんだけど、質問に答えてくれるか?」

「手短にお願いしますよ」

 俺の言葉が聞こえているのかどうか。

「アンタは……一体何がしたいんだ? これだけの犠牲を払ってアンタの研究は何を生むんだ?」

「おやおやおや、聞きたいですか私の研究!」

 ウルフェンは一転して嬉々として俺の質問に答える。よほど話を聞いてくれる相手がいないのだろう。

「私はそこの裏切り者――ピクシーと『不老不死』の研究をしていましてね。不老不死、人類の永遠のテーマ! 誰もが若々しく老いず死なない世界! 素敵でしょう? そんな理想の世界をつくるために、私は日夜研究に明け暮れているんです!」

 ウルフェンは不気味なほどに目を輝かせている。

「不老不死になる方法はいくつかありますが、どれもとても難しい。人魚の肉を食べると不老不死になれますが、人魚はストレスに弱く養殖が難しい。ピクシーに若返りの魔法薬を作らせようとしましたがそれも失敗。あとは妖怪の遺伝子を人間に組み込む研究をしたり……そして、最終的に私はある結論に至りました」

 ウルフェンはエネルギー体の手をバッと広げ空を仰ぐ。芝居がかっている。

「――人類を全員アンデッドにすればいい。その尊い実験体として、黒猫を利用しました。結果はご覧の通り、何十年経っても若いまま。まあ、流石に死神の鎌で魂を刈り取られてしまってはどうしようもないのですが、とにかく寿命は伸びる。あとは死神を駆逐して、幸せな世界を創るだけ!」

「……アンタ、狂ってるよ」

 俺は静かにそう言った。

「妖怪化する前に、アンタは人としての道を踏み外しちまってたんだな」

 そして、俺は胸ポケットから小瓶を取り出す。

 ふたを開けて――魔法薬を飲んだ。

「虎吉くん、それは――」

 ピクシーさんは息を呑む。

「人の道を踏み外した奴には、勝たなきゃダメなんだ!」

 よかった。如意棒は軽いままだ。

「よく言った、虎吉。女神の加護はわずかだが、これを持っていけ」

 俺の周りを、店長の御札――残りのストックが囲む。

「じゃあうちは狐火を貸したるわ」

 幽子さんの言葉と同時に、青白い炎が鎧のように身を包む。

「行くぞ、ウルフェン=リル=アルビノー! 最終決戦だ!」


〈続く〉

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