地獄編

第25話 黒猫の帰還

 それは、何の変哲へんてつもない日常。

 相変わらず神社には客なんか来なくて、店長は「ひまだな」なんてこぼして。

 外は木枯らしが吹いているから、鈴は「さむーい」と震え上がって、俺がストーブの電源を入れたときだった。

 境内けいだいに誰かが入ってきた気配がした。参拝客だろうか、なんて思う。

賽銭さいせんくらいは落としていってくれるといいが」と店長が社務所の受付からその客と思しき人物を見たときだった。

「――黒猫、様?」

 後ろで一本結びにされた、美しい銀髪。

 ひと目で日本人ではないと分かる、灰色の目。

 首から下げられた十字架。

 真っ黒なロングコートに、黒いズボンと黒ずくめのその姿は。

 紛れもなく、俺が店長から何度も聞かされた、黒猫その人なのである。

「……百合か」

 黒猫さんは黒いマスク越しにくぐもった声で言葉を発した。

「はい、天馬てんま百合ゆりでございます。お久しゅうございます」

 俺が驚いたことに、天馬百合――弁財天という女神の一柱が、なんと黒猫さんに向かってうやうやしくひざまずいたのである。

「とにかく、お上がりください。なにか温かいものを用意させます」

「いや、食事はいい。腹は減っていないんだ」

 社務所の玄関に上がり、そこから様子を見ていた俺に、黒猫さんの視線が注がれる。

「……この少年は?」

「アルバイトで入った新人でございます」

「ば、番場ばんば虎吉とらきちです」

 半吸血鬼であることを自己紹介するのは自重しておいた。黒猫さんはヴァンパイアハンターだったと聞いている。下手に殺されたくない。

「……そうか」

 黒猫さんは大して興味を持っていないようだった。店長をともない、居間へと足を運ぶ。

 すれ違ったときに、俺はある違和感を覚えた。

「……鈴、なんか変なにおいしねえか?」

「匂い? 別に?」

「そっか……気のせいかな」

 俺は首をかしげながら、鈴とともに店長と黒猫の後を追って歩く。


 居間で、店長と黒猫さんは思い出話に花を咲かせた。その中には鈴が仲間に入った後の出来事もあったので、鈴も話に混じって盛り上がる。俺だけ蚊帳かやの外のような気がしたが、黙って聞いていた。

 次に、店長が黒猫さんのいない間のアヤカシ堂の様子を語る。黒猫さんのいないアヤカシ堂を鈴や使い魔たちとともに守り、俺が仲間に入ったり、イービルとかいう変なやつにつきまとわれたり、様々な妖怪を打ち倒したり、天界から弟が遊びに来てそのまま天界に連れ去られたり、話のネタは尽きない。

「……いいんじゃないか? そのイービルという者と付き合ってみれば」

「え……?」

 黒猫さんの言葉に、店長は目を見開く。

「し、しかしイービルは黒猫様の天敵である吸血鬼ですよ? しかもファッションセンスが皆無だし……」

「ファッションくらいお前が教えてやればいい。それに、俺はもうヴァンパイアハンターじゃない」

「……どういうことですか」

 店長は困惑した表情で黒猫さんに問う。

「俺はアヤカシ堂を捨てた。その時点で俺はアヤカシ堂の人間ではない。――俺は、店長の座を退く」

「――アヤカシ堂を、引退するということですか!? そんな……急に……」

「……少し、外を散歩しないか、百合」

 黒猫さんはゆっくりと椅子から立ち上がる。店長はおとなしく付き従った。

 その黒猫さんのコートがふわりと揺れる動きに合わせて、やはり妙な匂いがする。なぜかうちのおばあちゃんを思い出す、不思議な匂いだ。

「鈴、ちょっとのぞいてみるか」

「も~、お兄ちゃんはまたそういう出歯亀でばがめみたいなことする……」

 そう言いつつ、鈴はついてきてくれた。


 神社の裏。

 林に囲まれた鳳仙ほうせん神社の裏側は、一層木々が生い茂っている。

「百合、私がこのアヤカシ堂を離れて、何のために旅立ったか覚えているか」

「いえ……」

「もしかしたら話していなかったのかもしれないな。私は、ウルフェンの行方を追っていた」

「ウルフェンの?」

「アレは放置していいモノではない。一度は見逃したが、私はとどめを刺すためにウルフェンを探した」

 黒猫さんは店長と向かい合ってそう言いながら、何かを探している様子だった。

「しかし、私は……」

 不意に、黒猫さんは拳銃――店長が以前話していた魔銃というやつだろうか――をホルダーから抜いて、店長に銃口を向ける。

「黒猫様……?」

「動くな」

 パァン。

 俺が飛び出す間もなく、銃声が鳴り響く。

 しかし黒猫さんが撃ったものは店長ではなく――スズメバチだった。

 スズメバチの死骸が銃弾に穿うがたれ、そこに立っていた地蔵の頭を撃ち抜いていた。

 しかし、黒猫さんは銃を下ろさない。そのまま銃口を店長に向け続ける。

「――……どういうことですか、黒猫様。あなた自ら結界の要石を破壊するなど」

 あの地蔵が結界の要石だったらしい。俺も結界が消えたのを肌で感じた。

「フフフ、私から説明しましょうか?」

 突如、不気味な声があたりに響く。

 バシュン、と電撃のような瞬間移動で、妖怪――らしきものが現れる。

 白い狼のような頭。身体は浮いており、闇色のマントに包まれている。

 両腕はないらしく、代わりにエネルギー体の手のようなものが二つ浮かんでいる。

「――ウルフェン!」

 店長は顔を歪ませ叫ぶ。こいつが――ウルフェン。

 あまりに禍々まがまがしい妖気に、俺は覗くのを忘れ、如意棒を構えて店長の前にかばうように立っていた。

 鈴も店長の影に潜り込み、臨戦態勢を取っている。

「お久しぶりですね、私の可愛いモルモット」

 ウルフェンは店長を見て嬉しそうに目を細める。対照的に、店長の顔はみるみる青ざめていく。

「……ウルフェン。貴様、黒猫様に何をした?」

「店長、黒猫さんからは死臭がする」

 おばあちゃんの葬式のときに嗅いだ匂いだ。

「黒猫さんはおそらく――」

「さあ、黒猫。そのマスクを取って見せて差し上げなさい」

 ウルフェンの言葉に従い、黒猫さんは黒いマスクを外す。

「――アンデッドだ」

 醜く、おぞましい魔改造だった。

 黒猫さんの口は、俺を襲い、半吸血鬼に変えたあの化け物に酷似こくじしていた。そういえばあのイービルのペットを造ったのもウルフェンだったっけ。

 鋭い牙。長い舌。もはやそれは人間のものではなく。

 店長は今にも気絶しそうだった。

 しかし一転、気を持ち直したように怒りの表情を露わにする。

「お前が……黒猫様をこんなむごたらしい姿にしたのか! ウルフェン!」

「彼があまりにしつこくてねえ。とうとうラボまで見つけられてしまいましたし」

 白い狼は耳まで裂けそうな口でニヤリと笑う。

「しかし、彼は彼なりに役に立ってくれましたよ? イービル様へのペットを造る実験体としてね」

「貴様ァ!」

 怒りで我を忘れた店長は、無数の御札をウルフェンに飛ばす。

 しかし、黒猫さんの魔銃がすべてを撃ち抜いてしまう

「どうして――どうして邪魔するんですか、黒猫様ァ!」

「いくら吠えても無駄ですよ? 黒猫はすでに私の支配下にあります。私の命令に忠実なアンデッド。黒猫を倒さなければ私に攻撃は通用しません」

 黒猫さんを人質に取られている。

 そこへ、

「おいおい、何やってんだ? 騒がしいぞ」

 斬鬼ザキを始めとした、使い魔たちがわらわらと歩いてきた。

「――ッ、黒猫様!?」

「アレはもはや黒猫様ではない! 全員、ウルフェンを狙え! 綿麻はウルフェンを拘束しろ!」

 突然で頭が回らないまでも、使い魔たちは店長の指示に従う。

「オラッ!」

 斬鬼が風刃を飛ばすが、黒猫さんがウルフェンをかばって傷を負ってしまう。

「おいおい黒猫様よぉ、なんだってそんなやつかばうんだ? くそっ、やりにくいな……」

「百合様~、このウルフェンってやつ拘束できません~。こいつ、身体がない!」

「フフフ……」

 ウルフェンが闇色のマントを開くと、たしかにそこに身体はなく、――狼の首だけが浮かんでいるのである。

「貴様、自分の身体まで改造したのか!?」

「人類が進歩を望むのは当然でしょう?」

「何が進歩だ、化け物が! ネクロ、ネクロはいるか!?」

 店長は使い魔たちの中から死神ネクロを探す。

 アンデッドを倒すのに、死神の鎌は有効だ。

「いるよ」

 ネクロは百合の背後に立っており、――死神の鎌を百合に振り下ろしていた。

「なッ……!?」

 魂を刈り取られた百合は、目の光を失いその場に倒れ伏す。

「ネクロ!? てめぇ、何してんだ!?」

 斬鬼が驚いて叫ぶ。

「ネクロッ! てめぇ、裏切ったのか!」

 俺も同じく叫ぶ。

「僕は百合とウルフェン、二人と二重契約してたのさ」

 ネクロは余裕の笑みを浮かべる。

「つまりはスパイじゃねえか!」

「そゆこと。死者の名簿を調べることで百合の信頼を得て、結界の要石を探して……って見つからないように隠密おんみつ行動するの、結構大変だったんだよ? 死者の名簿を調べたって、アンデッドになった黒猫が載ってるわけないのにねえ? アッハハ」

「お前の苦労は聞いてねえ! 店長をどうするつもりだ!」

「私がほしいのは天馬百合――弁財天の肉体だけ。魂は……そうですね、地獄にでも落としておきましょうか」

 ウルフェンは悪い笑みを浮かべて、ネクロに指示する。

「おっけー」

 ネクロは地獄への異空間を開き、店長の魂を、まるでゴミをゴミ箱に捨てるようにポイッと投げ入れた。

「地獄に落ちるべきはお前らだ! この……この……ッ!」

 俺は怒りでわなわなと震える。それは武者震いだということにしておこう。ウルフェンに恐怖したなんて悔しすぎるから。

「フフフ、吠えますねえ。なら――私の玩具オモチャと戦ってみますか?」

 ウルフェンの言葉と同時に、黒猫さんの足は地を蹴っていた。

 銃すら使わない肉弾戦。俺の如意棒を手で受け流して、俺のみぞおちを的確に殴り打つ。

「が……ッ」

 流石にアヤカシ堂の店長をやっていただけのことはある。畜生、めちゃくちゃに強い。

「玩具にすら勝てないようでは、到底私には届きませんよ。では、目的のものはいただいたので、我々は帰りましょう」

「ま……待て……」

 俺の言葉は届かず、店長の身体を抱えて電撃のような瞬間移動でウルフェン、ネクロ、黒猫さんはその場から去ってしまった。

「虎吉! 大丈夫か!?」

 斬鬼が駆け寄ってくる。

「ちくしょう……悔しいけど、俺達だけじゃ勝てねえ……」

 みぞおちを思い切り殴られ、俺は虫の息である。

「黒猫様は百合お姉ちゃんと互角の強さだよ。せめて百合お姉ちゃんが生きていれば……」

 鈴は泣くのをこらえているようだった。

「……あいつら、店長の魂を地獄に落とすって言ってたな」

「! お、お兄ちゃん、まさか……」

 俺の言葉に、鈴はハッとした表情を浮かべる。

「俺たちは地獄への行き方は知ってる。またあの幽霊列車にお世話になるぞ……!」

 俺はみぞおちを押さえながらなんとか起き上がる。

「なら、俺は戦力をかき集めてくる。天馬のこと、頼んだぞ、虎吉」

 こうして、俺と鈴は幽霊列車に乗って冥界経由で地獄へと向かい、斬鬼は現世に残って戦力をかき集めることとなったのである。


〈続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る