Indian Mixing

エリー.ファー

Indian Mixing

 混ぜられ、中身をぶちまけてしまい。

 そうしているうちに、地球ができた。

 一応、神様という立場から言わせてもらえば、こんなことはいくらでもある、と言える。

 作ろうと思って、命は作ることができるわけではないし、逆に、作りたくない日に命が生まれてしまうことがある。

 命の受け皿というものがある。これは、精神的な社会的な受け皿を示しているのではなく、物理的な地球という意味での受け皿のことをさしている。

 神様をかなり長くやってきたことで、分かったのは、この部分だ。

 命よりも受け皿の方が重要だが、命の方が複雑怪奇である。

 これは揺るぎようのない事実である。

 新米の神様はこの部分が分からずに結構大変な思いをするそうである。人間をつくろうとして、そのすべてをすべて一つにまとめてしまったり。鳥を作ろうとしたのに、雪の中を自由に動き回る竜を作ってしまったり。果ては、その命の基礎となる要素を無くしたり、命の受け皿となるものを壊してしまったり。

 まぁ。

 こんなものはいくらでも生み出すことができるわけだが。

 神様という立場において、命の価値は著しく低い。というか、そもそも命の価値はこのようなものである、というのが事実なのだろう。

 命のあるものに、命の価値について語らせる機会を設ける、もしくはそこに議論の余地があると考えさせること自体がナンセンスである。そもそも、まともな結論などが出せる訳がないのだ。

 なにせ。

 当事者なのである。

 神様としての命に対する見解は一つである。

 何の意味もない。

 しかし。

 そこに可能性を感じる。

 それしかない。

 何か余裕のようなものが命にはある。

 その含み、と呼ばれる部分に関しては神の手も伸ばすことはできないのである。幾ら確立を変えても、幾ら事実を変えても、もしも、の部分に常に何か別のものが宿っている。

 これが、命のなせる技、ということなのだろう。

 なんでもできてしまう身分としては、このような予測できないものを観測することに無情の喜びを感じられるのである。


 地球は滅亡した。

 なんということのない、大した理由もなく滅亡した。

 別にこの地球だけが特別だった、ということではない。そのため、別に悲しくはない。そもそも、私は神であるし、めったなことで感情が揺れ動くこともないのである。

 久しぶりに。

 泣いてみようかと思った。

 自分の中にあるものをかき混ぜてみようかと思った。

 何か外部的な要因による現象ではなく、自己分析によって生まれる正解の中に埋もれていたい。

 よく、神は寂しがり屋である、という推測を聞く。

 かなり、的を射ていると思う。私以外の神がどうであるかは知らないが、少なくとも私は誰よりも寂しがり屋だ。

 切ない思いを何度も何度も経験している。

 けれど。

 直ぐに癒えてしまう。

 神だから。

 いや。

 神だからではない。

 私だからか。

 私は神ではあるが、だからといって、他の神のことまで知っている訳ではない。

 私の中にある感情を知っているのは私だけである。

 私以外は誰も知らない。

 神のみぞ知ることばかりだ。世界は。

 命あるもののみぞ知ることばかりである。世界は。

 私はまた新しく地球を作ってみようかと思う。けれど、なんとなく眠いのでそのまま布団に入った。

 枕の近くにムカデがいて、死ぬほどビビった。

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