【4巻発売記念公開】『百鬼夜行とご縁組』SS

『百鬼夜行とご縁組』サイドストーリー


恋人たちの聖地にて――宮城県仙台市太白区・磊々峡らいらいきょう



「ここが、『磊々峡』なんですね……なんて不思議な眺め」


 川沿いの切り立った奇岩を前に、はなかごあやねは感嘆の声を上げた。

『磊々峡』という、一見では読めない地名をあやねが知ったのは、まだ残暑厳しい九月の半ばのこと。

 仙台駅より車で三十分、奥州三名湯に数えられる秋保(あきう)温泉にある名勝で、名取なとりがわの流れの浸食により造り上げられた、巨大な奇岩が有名な渓谷だ。

 あやねはこの夏、仙台の一流ホテル・青葉グランドホテルの御曹司であり、その正体は大妖怪の高階たかしな太白たいはくと、思いがけない事件から〝契約結婚〟の運びとなった。

 契約と同時に青葉あおばグランドホテルに就職し、東京から仙台に越してきたあやねは、まだまだこの地に疎い。

 合間を見て宮城の土地について勉強中に、磊々峡を知ったのである。


「来週、秋保温泉の旅館組合と打ち合わせに行く予定です」


 いつか行きたい、と思っていたところに、太白から誘いがあった。


「あやねさんがよければ、一緒に行きませんか。日帰りですから、あまりゆっくりはできませんが」

「行きます!」


 ふたつ返事であやねは即答した。こうして念願の名勝・磊々峡を、あやねは太白とともに訪ねることとなったのだ。




「すごいですね、こんな光景初めてです」


 訪問着で川沿いの遊歩道を歩きつつ、あやねは目を輝かせる。

 遊歩道といっても、かなり起伏のある道だ。しかもあやねは、太白のパートナーとしての同行ということで、なんと訪問着。それでもせっかくの名景、近くで見ないのはもったいないと、あやねは歩きにくいのもかまわずやってきたのである。

 あらかじめもらった秋保のマップを見ながら、あやねはおそるおそる遊歩道の手すりから、深い渓谷をのぞき込む。奇岩は白に近い灰色、川の流れに削られた鋭さのある岩々が、積み重なるように川底からそびえている。

 威容さの一方、夏の名残の青々とした木々の緑に彩られ、荘厳で美しい光景でもあった。あやねは畏怖のような気持ちで見惚れてしまう。


「奇観といわれるのも納得です。迫力とだけいえない不思議さがあって。なんだかファンタジーな光景にも思えますね、太白さん……って」


 振り返ったあやねは、太白の姿がないことに気づいた。


「た、太白さん!? どこですか、まさか落ちた?」


 あわててあやねは遊歩道を逆戻りした。すると、遊歩道の途中でぐったり手すりにもたれかかっている太白を見つけた。


「だ、大丈夫、です。ちょっと、暑くて……」


 ふだんは洗練された、眼鏡のよく似合う大変な美形なのだが、残暑の厳しさで気分の悪そうないまは、せっかくのイケメンぶりが冴えない。服装も腕まくりした長袖シャツとスラックスで、この暑さには少々不向きだ。

 仙台は東北地方であっても、夏の気温は東京とあまり変わらない。九月の今日はよく晴れて、かなりの真夏日だ。

 太白の正体は強大な力を持つ鬼。人間とのダブルといういわゆる半妖で、人間社会で仕事をするために、恐ろしい鬼の力を抑えている。

 その反動でかなりの虚弱体質。瞬発力と怪力に恵まれていても、暑さに弱いし、持続力もない。特にこんな真夏日ではかなり厳しいにちがいない。


「歩けますか。お車で待っていてくださっていいんですよ」

「い、いいえ……なんとしても、あやねさんと一緒に行きます。遊歩道自体の長さは、一キロにも満たないので、なんとか、行けるはずです」


 あやねの気遣いを、太白はやけに強情に退けると立ち上がる。


「『磊々峡』という名は……夏目漱石の門人、で、東北大学名誉教授の文学者、小宮こみやとよたか氏が、名付けた……もの、です」


 歩きながら、弱々しい声で太白は磊々峡の説明をする。


「あの、白い岩肌は、秋保あきういしと呼ばれ……堅さと加工のしやすさで建築用素材にも使われてきました。その材質は石英せきえい安山岩あんざんがんしつぎょうかいがんかく礫岩れきがん……うっ、はあ、はあ」

「そんな、息も絶え絶えで解説してくださらなくていいんですよ!?」

「へ、平気、です。それより、着物で歩きにくくはないのですか」


 ぐったりしつつも、太白はあやねを気遣う。わたしのことよりご自分を大事にほしい、とあやねは心配でたまらない。


「せきえいあんざんとかぎょうかいがんかくとか、また涼しいところでゆっくりと。あとどれくらいで遊歩道の出口なんでしょう。出口は覗橋でしたっけ」


 手元のマップを確認したときだった。


「きゃあっ」


 遊歩道の急な階段に、あやねは足を滑らせる。

 転げ落ちる、とか、着物が汚れる、とか、着物の裾が乱れて太白さんにみっともないところを見せたら、などと走馬灯のように考えがよぎった。


「……え、あれ」


 しかし、落下の衝撃はいつまでもこない。


「た、太白さん!?」


 なんと太白が階段の下で、あやねを姫抱っこで受けとめている。さすが、虚弱体質でも瞬発力と怪力に優れた彼らしい早業だ。


「すみ、ません」


 だが、あやねを抱いたまま、太白はぐらりとよろけた。いつも端整な顔が真っ赤で、息も荒い。あやねは思わず身を乗り出す。


「太白さん、もしかして熱中症では? いま、運転手さんに連絡してきていただきます。遊歩道には東屋がありましたから、そこで待っていましょう」

「いや、ここで倒れては元も子もない」

「元も子もないって、どういう……」

「すみません、少々揺れます。僕の肩にしがみついていてください」


 というやいなや、太白はあやねを抱いたままいきなり走り出した。


「きゃあ、た、太白さ……っ!」


 あまりの速度と跳躍力に、あやねは太白の肩に抱きつく。

 太白はあやねの重さなどまったく気にした様子もなく、まるで羽でも抱いているかのような身軽さでたちまち遊歩道の出口の覗(のぞき)橋(ばし)までたどりつく。

 たんたん、と階段をジャンプして上ると、そこは川に突き出すようにして小さな石のベンチとテーブルが設置された橋。さほど広くはないが綺麗に舗装され、車も対面通行で渡れるようなっている、しっかりした造りだ。


「つ、着き、ました」


 といって太白はベンチの近くにあやねを下ろすと、ぐったり手すりにもたれる。あやねは思わずその肩を支えてのぞきこむ。


「大丈夫ですか、いま運転手さんに連絡して迎えにきてもらいますね」

「待ってください。そこを……見て、いただけますか」


 太白が指差すのは、橋の下。

 いったいなにが、とあやねは彼が指差す方角を見下ろす。


「〝硯橋ハート〟というそうです」


 川面近くの岩場のうえには、小さな愛らしいハート型のくぼみ。

 険しい奇岩とはギャップがあるが、だからこそ愛らしさが際立っている。


「恋人の聖地に、認定されている場所……なのですよ。その、僕たちはべつに、恋人同士ではないのですが、でも……あやねさんにお見せしたくて」


 ぐったりとしつつも、太白は恥ずかしそうにいった。


「契約結婚で見知らぬこの地に越してきたのに、僕たちの住む土地を理解しようと努めてくれるあやねさんのことが、嬉しくて……もう、だめだ」

「ああっ、た、太白さん!」

「夕方でなくて……残念、ですが」


 崩れ落ちる太白を支えつつ、あやねは慌てふためいて電話をかける。

 ロマンチックではない。まったく、ロマンチックではない。

 だが、太白が一生懸命になって、こんな愛らしいハートを見せたかったのかと思うと、そんな不器用さがほほ笑ましくてあやねは笑みがこみ上げる。


「ありがとうございます、太白さん」


 自分の肩にもたれる太白に、あやねはそっとささやきかける。


「でも、次はもう少し、無茶じゃないデートに……デートといっていいのか、わからないですけれど、お出かけをしましょうね」




 このハートに夕陽が差して紅く染まるときプロポーズをすると成功する、という都市伝説をあやねが知ったのは、もう少しあとになってからである。



~FIN~


《初出:二〇一九年十月 『百鬼夜行とご縁組~契約夫婦と謎めく陰陽師~』特典SS》

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『百鬼夜行とご縁組 ~あやかしホテルの契約夫婦~』 マサト真希/メディアワークス文庫 @mwbunko

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