4 ひともムジナもおなじ穴(11)
見ると、男の言葉どおり見覚えのある門柱がすぐそこにある。
「ええと、あの、あなた、本当に本当に、太郎さんじゃないのね」
「たしかに俺は太郎だが、おまえなんぞ知らん。さっさと行け」
男のすげない返事に、深雪はうつむく。
「そう、ごめんなさい。変なことをいって。とても似ていたから。でも、あなたじゃないわね。こんな出会いじゃなかったし、こんな会話もしなかった」
哀しげな表情でそうつぶやくと、深雪はほほ笑む。
「よくわからないけれど、ご親切にありがとう。それじゃあ」
深雪は品よく会釈して、きびすを返そうとした。だがそのとき、
「……ここにいる気はないか」
思いがけないことを男にいわれ、深雪は目をみはる。
「どういう……ことかしら」
「この結界のなかにいれば、おまえは歳を取らずに済む。いつまでも若い姿のままで過ごしていける。若いときからやり直すことだってできるぞ」
「いいえ」
深雪は即答した。
「わたくしは、長い年月を一緒に過ごしてきたあのひとが好きなの。そんな必要もないのに、歳をとっていくわたくしに合わせてくれる優しいあのひとが。そんなあのひとと過ごした時間を、なかったことになんてしたくないの」
「だが、おまえはそれを忘れてしまうじゃないか」
ふいに男は強い口調でいった。はっと深雪は声を吞む。
「俺と過ごした時間を忘れて、俺のことも忘れて、なにもかもみんな忘れたままいつか逝ってしまうんじゃないか」
「……あなた」
「……俺を、独り残して」
苦しげに男はいって、目をそむけた。
「ああ、そうだったの……」
納得したようにいって、深雪は一瞬目を閉じる。
「ここ最近の違和感は、それだったのね。聞いた覚えも、約束した覚えもないのに、いったはずだ、約束したはずだっていわれて、ずっと内心苛立っていたの。わかっていたのに、認めたくなかったんだわ」
深雪は目を開け、男を見上げて静かに答えた。
「いつかあなたを置いていくことを、ここで謝ってもいいけれど。でもそれはフェアじゃないわよね。お互い、わかっていて伴侶に選んだのだもの。謝るなら、わたくしが自分の不調が怖くて、目をそむけてきたことよ。ごめんなさいね」
「深雪……」
「あなたの生涯の終わりまで、ずっと寄り添っていられたなら……どんなにか、よかったのにねえ……」
染み入る声で深雪がいうと、男は耐えきれないようにうつむく。深雪は男の袖にそっと触れて、優しいまなざしていった。
「太郎さん。あなたの若い──いいえ、〝本当の姿〟をまた見られて嬉しかったわ。でも、帰るわね。わたくしとともに月日を重ねて、色んな光景を一緒に見てきてくれた、あなたのもとへ。なぜって、歳を取ってわかってきたから」
男の手を取り、深雪は優しいまなざしで告げる。
「戻らない歳月は、戻らずに重なるからこそ、
深雪は、ふふっといたずらっぽくほほ笑んだ。
「歳を取った自分も、そう悪くないと思っているのよ」
◆
「──深雪、おい、深雪」
「……え……あなた?」
ぐったりと椅子に沈み込んでいた深雪が、太郎の呼びかけで目を覚ます。見守っていたあやねと太白は、ほっと息を吐いた。
「あら、ここ……わたくし、外にいたはずじゃ」
「おまえが立ちくらみで倒れたとあやねさんから連絡があってな。それで、大学内の学生食堂に運んだんだ。この暑さなのに、無理をしすぎたんだろう」
太郎が気遣う顔でいうと、深雪は身を起こす。
「そうだったの。じゃあ、あれは……みんな夢だったのね」
深雪は辺りを見回した。ガラス張りの店内は夏の陽がいっぱいに差し込んで、胸が晴れるように明るい。深雪はまぶしげに目を細める。
「ねえ、あなた。ここは片平キャンパスよね」
「ああ、そうだが」
「それなら、魯迅の階段教室は近くでしょう。せっかくだから、ふたりきりで出会いの場所を見に行きましょう。あなたもそうしたかったんじゃないの」
「おまえ、体はだいじょうぶなのか。疲れているんじゃないのか」
「いいえ、元気、元気。少し寝たおかげかしらね」
あわてる太郎に、深雪はにっこりと笑った。
「ふたりで歩きながら、話したいことがあるのよ。これまでのこと、これからのこと。たくさん、たくさんね」
太郎の手に自分の手を重ね、深雪はしみじみと深い声でいった。
「仙台にきてよかった。始まりの場所から、また新たになにか始まる気がするの」
「……そうか、そうだな」
太郎は涙をごまかすように幾度か瞬くと、深雪の手を握り返す。
「わたしも、郷里に戻ってよかった。また、ともに歩み出そうな」
【次回更新は、2019年12月15日(日)予定!】
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