3 蛙の面に水より涙(2)

 まず入ってきたのは、黒い頭巾をかぶった紋付はかまの大柄な男性だった。

 がっしりした体つきだが、頭巾で頭と口元を隠しているので、どんな顔をしているのかわからない。唯一出ている目元も、頭巾で陰になってわからない。

 では、これが九戸家の長子か……とよくよく見れば、頭巾からのぞく、ぎょろりとした丸い目と真っ黒な瞳孔が異様だった。

 あきらかに人間の目ではない。

 震えがこみ上げるが、あやねは必死に目をつぶって会釈した。


「九戸さま、どうぞ太白さまの左隣へ。なんよう紅葉もみじさま、お見えです」


 再び、白木路の声が聞こえた。

 すると、艶やかな女房風の衣装を着た若い女性が、付き添いの女性たちに手を取られて、しずしずと入ってきた。

 大変な美女だった。

 あやねは思わず驚きでぽかんと口を開ける。

 色白でたおやかでれんはかなげ。長い黒髪をしとやかに結い上げ、花飾りで装い、それでも余る髪を長く背に流している。れたような黒髪が、華やかにまとう衣装の裾とともに、歩みに合わせて波打つのがえもいわれぬ眺めだった。

 彼女が南陽家の息女、紅葉なのか。仙女のようなこの美しさは人間離れしているけれど、やはりちっとも妖かしらしくない。

 と、思ったときに気づいた。

 彼女が引きずる上衣の裾の隙間から、なにか、見えて、いる……?

 あきらかに布ではない、うねうねとのたくり、粘液で光る……なんだろう、カタツムリか、なめくじの、足、みたい、な……。


「あやねさん!?」


 くらりと倒れそうになったあやねは、太白の声で我に返る。


「す、すみ、すみません。だいじょうぶ、だいじょうぶです」


 太白に応えて、あやねはにっこり笑った。

 直視と認識をやめよう。目線は胸から上。

 胸から上!

 下は見ない、ぜったいに!

 そういえば、九戸家の御曹司の目。あれはなんだったかと思ったら、たしかかえるなどの両生類の目だ。

 まさか、今日のお見合いは蛙と、なめ……?

 天敵同士では?

 蛇がいないだけましなのかもしれないけれど!?


「紅葉さま、奥さまの右隣へどうぞ」


 隣にきた紅葉に、あやねは青い顔ながら必死に笑みを作って会釈するが、紅葉は目を伏せたままだ。付添いの者たちは後方に控えるように並んで座る。


「皆さま、ようこそ『そうかいてい』へお越しくださいました」


 白木路が、下座で両手をついて頭を下げる。


「この亭の名は、まつしようの有名な句である〝あやめ草 足に結ばん草鞋の緒〟にちなみ、高階家頭領の啓明が名付けました。みやの歌枕を案内いたしました画工加右もんに、しようおきなが感謝の印かつせんべつとして送りました歌であり、この亭に立ち寄る皆様の旅路の息災を祈る意味がございます」


 愛らしい幼女声で、白木路はとうとうと語る。見た目の幼さとは裏腹に、流れるような口上だった。


「九戸家、南陽家、ご両家の旅路の繁栄にもつながるご縁組の場に、草鞋亭をお選びいただきましたこと、このうえない光栄に存じます。それでは、お食事でもお召し上がりになって、ごゆるりとご歓談を」


 白木路が手を叩くと、着物姿の女性たちが盆を持って現れる。しずしずと歩んでくる彼女らはみな、とがった狐耳とふさふさ尻尾付き。

 高階の屋敷と同じく、ここでも狐さんたちが幅を利かせている。

 ということは……もしかして、白木路も狐ということ?


「九戸公孫樹さん、南陽紅葉さん。ここでご紹介させていただきます」


 混乱ばかりのあやねを落ち着かせるように、太白が穏やかな声で話し出した。


「このたび僕の結婚が決まりまして、内々ではありますが、懇意にしておりますご両家へ真っ先にご報告も兼ねまして、今回のご縁組の立会人を務めさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」


 しん、と場は静まっている。

 公孫樹も紅葉も、どちらも顔を伏せて沈黙し、目礼すらしない。これには意外すぎて、あやねと太白は困惑気味に目を合わせる。


「あの、花籠あやねと申します」


 いたたまれず、あやねは口を挟んだ。太白からの紹介もなしに無礼だと思われるかもしれないが、それよりなんとかふたりから反応を引き出したい。


「ご縁あって太白さんと結婚する運びになりました。ただの人間ですので、わからない点が山ほどありますが、その、どうかご指導ごべんたつを!」


 といって頭を下げる。

 だが、またもやまさかのノーリアクション。ふたりとも、ぴくりともせずに顔を伏せて、卓に置かれた皿を見つめているばかり。

 滑った!?

 そんな!?

 とあやねは血の気が引いたり、その引いた血が顔に集まって真っ赤になったりと忙しい。しかしここまで無反応なんてどうもおかしい。


「なんて初々しい奥さまですこと」


 白木路もあわてたのか、取り繕うようにいった。


「太白さま、いったいどちらでお知り合いに? 公孫樹さまや紅葉さまと同じく、お見合いですかしら。人間界では婚活が流行はやってらっしゃいますものねえ」

「いや、僕が彼女の資質に惹かれ、一緒になってくれと頼んだのです」

「まあ、資質ですの。てっきり、なにもできないところがいいのかと思いましたわ。なお嬢さまを好まれる殿方は、珍しくありませんからね」


 白木路の微妙な物言いに、あやねのこめかみがぴくぴく引きつってくる。


「いえ、あやねさんは知性にあふれた素晴らしいひとです。観察眼にも優れて機転も利き、僕はパートナーとしてこれ以上なく頼りにしています」


 褒めすぎですよ、太白さん!

 あやねは嬉しさ半分照れくささ半分。しかしそのいい方では、結婚相手というより仕事仲間への褒め言葉で、不審に思われないかいささか心配にもなる。


「まあまあ、今回は奥さまのお披露目でなく、公孫樹さまと紅葉さまのお見合いでございますのよ。なのにそんなに惚気のろけるなんて、ほんとにぞっこんでございますのね。どう思われます、公孫樹さま、紅葉さま」


 白木路は茶化すように、公孫樹と紅葉に話を振った。しかし、


「……はい」「……ええ」


 どちらも言葉少なにつぶやくだけ。話がはずまないこと、このうえない。

 いったい何事だろう。

 さすがにおかしい。

 これは家同士の大事なお見合いではないのか。双方の家のためにも、お互い少しは愛想よくするものではないのか。

 これでは立会人を務める高階の面子メンツにもかかわる。それとも、もしやそれが目的? 高階の面子をつぶすことが?


「まあ、公孫樹さまも紅葉さまも奥ゆかしいですわね。それとも、恥ずかしがっていらっしゃる? 紅葉さまは、今日は一段とお美しいですものね。そのお召し物は、わざわざ今日のためにあつらえたものでございましょう?」

「……大事な日でございますから」


 紅葉はちらと公孫樹を見るが、彼が顔も上げない様子にまた目を伏せる。


「いかがです、公孫樹さま。今日公孫樹さまにお会いするためにこんなにお美しく装われたなんて、嬉しいお話ではございませんこと」


 おもねる白木路の言葉に、しかし公孫樹はそっけなく答えた。


「無駄なことです」



【次回更新は、2019年11月6日(水)予定!】

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