3 蛙の面に水より涙

3 蛙の面に水より涙(1)

 青葉グランドホテル二十四階、ガーデンラウンジ。

 ラウンジというくらいだから、一階のロビーラウンジと同じく、カフェかレストランだろうと考えていた。だが、そうではなかった。

 なんと目の前に広がるのは、広大な日本風庭園。

 振り返ると、いま出てきたエレベーターの扉は、景観にむ和風の四阿あずまやに変わっている。どう見ても、エレベーターにつながっているようには思えない。


「ここは、青葉グランドホテル内の結界空間です」


 呆然としていると、隣から太白が応える。


「特別なお客さまのみを招く場です。外界から閉ざされていますから、高階の者が招かないかぎり、だれも足を踏み入れられません」

「そ、そう、なんですか。高階のお屋敷と同じわけですね」


 あやねは無理やり答える。

 やっぱりファンタジーだ、ファンタジーの世界だ!

 混乱をなだめつつ、太白とともに玉砂利が敷かれた小道を進む。

 綺麗に刈り込まれた植木のあいだを抜けて、池のほとりに出ると、行く手に和風建築の屋敷が見えてきた。屋内に池。屋内にさらに建物。

 いくら妖かしがかかわる非現実空間だとわかっていても、呆気に取られるばかりだ。


「お待ちしておりました。太白さま、あやねさま」


 建物の前で出迎えた相手を見て、あやねはまた肝を抜かれた。

 それは華やかな振り袖を着た、六歳くらいの愛くるしい女の子。

 とせあめを持たせたらもう七五三だ。女の子は太白に向かって丁寧に一礼した。


「ご結婚なさるとうかがいましたわ。おめでとうございます」

「ありがとう。正式なお披露目はまだ先なので、内密に」

「よ、よろしく、お願いいたします。花籠あやねです」


 もたもたとあやねが頭を下げると、太白がいった。


「彼女はこの庭の管理人、しらです。このホテルは前身が旅館でしたが、戦後建て替えられて以来七十年、この結界と庭を維持管理してくれているのです」


 七十年。

 こんな幼女なのに七十年。単位もなにもかもおかしい。


「白木路でございます。どうぞ、お見知りおきを。人間とうかがっておりますが、まだこのような場には慣れていらっしゃらないようですわね」


 いたずらっぽく笑う白木路に、太白は眼鏡のブリッジを押さえていった。


「あまり彼女をからかわないでください。お願いします」

「あらあら、過保護ですこと。それでは、こちらへ」


 白木路に案内されてあやねたちは屋敷内へ入る。だが慣れた足取りの太白と違い、あやねは草履を脱ぐのも上手うまくできない。


「手伝います。僕の肩に手を置いてください」


 もたもたしていると、また太白が身をかがめて脱がしてくれた。すると白木路がそれを見てくすりと笑う。


「お可愛らしい。赤ちゃんのようですわ」


 見た目が幼い彼女に可愛いとからかわれ、あやねは恥ずかしさで真っ赤になる。太白は白木路に向かって、冷ややかにいった。


「白木路。からかうのはやめてくださいとお願いしましたが」

「はい、はい。申し訳ございません」


 あやねは内心落ち込んだ。太白にかばわれてばかりで情けない。


(こんなありさまで、ちゃんと立会人なんてできるのかな)


 白木路に案内されて、あやねたちは歩き出す。

 屋敷内は古い旅館のような趣だった。

 長い廊下は磨き込まれてあめいろに輝き、びを感じる陰影が生まれている。この感じだと、お見合いの場所は和室だろう。

 慣れない着物に慣れない正座、なかなかハードモードだと、あやねは身構える。

 通されたのは、緑にこけむす庭と池を望むテラスとえんに面した和室。

 四人掛けの大きな卓には、食事のセッティングもされていた。


「間もなく、九戸家と南陽家のおふたりがお見えです」


 白木路が一礼して去ったあと、あやねはそっと太白に尋ねた。


「あの……太白さんは、こういう場は得意なんですか」

「そう……見えますか」


 真顔で訊き返されて、とっさに言葉が出ない。

 こんなときにごまかしをいわない正直さは好ましいが、なにもわからないあやねと、真面目で場を持たせる会話が苦手そうな太白とのコンビでは、果たしてどうなるか。


「ですが、あやねさんのためにも力は尽くします」

「いえ、わたしこそ、尽力します。がんばります!」


 ふたりは励まし合うが、微妙に不安な空気がただよう。そこに廊下をやってくる足音が響いた。あやねたちはふすまへ向き直る。


ここの公孫樹いちようさま、お見えです」


 白木路の声が聞こえて、すうっと襖が開く。

 あやねはぐっと奥歯をみしめ、緊張の面持ちで出迎える。果たして、どんな妖かしが──?



【次回更新は、2019年11月3日(日)予定!】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る