1 仇も情けも我が身から(6)
「こちらのお客さまが、会場でひとを探していらっしゃるとか」
「ここでとある男と顔を合わせる予定なのだが、相手が見当たらなくてな」
中年の男性が、ずいと割り込んでくる。あやねは丁重に答えた。
「それではお名前を。アナウンスでお呼び出しいたします」
「いや、それは困る。おおっぴらに会っていたと知られたくない。容姿を伝えるから、会場内から探してくれ。こちらも電話でしか話したことがないのだが」
男性は自分の頰をつんつんとつついて、焦ったようにいい募る。
「髪が長い。年の頃は三十前半。頰に目立つホクロがある……と、本人はいっていた。急いでくれ。会が終わるまでに、五分でいいから会いたい」
「では、スタッフで手分けしてお探し……」
「ひとに知られたくないといっただろう。あんたらふたりで頼む」
「わ、わかりました」
男性に強く押し切られ、あやねはレセプタントと一緒に、会場内を歩き出す。それらしいひとを見つけたら引き止めて、インカムで連絡し合う手はずだ。
だが、そんな特徴のある人物はいなかった。広い会場に二百人程度いるとはいえ、一箇所に集まっているからすぐに見つかると思ったのに。
客の邪魔にならぬように動きつつ、あやねは考える。
髪が長い三十前半の男性。
そういえば、あのパンツスーツの女性の連れも、髪を縛った男性だ。ホクロがあったか記憶にないが、八番テーブルに行ってみようか。
だが八番テーブルは、すっかり座がばらけていた。会が進み、酒も入って、客は自分の席と関係なく、あちこちに勝手に座り、立ち話もしている。
パンツスーツの女性も、髪を縛った若い男もいない。さっき一周したときは、あの目立つふたりは見かけなかった。八番テーブルで歓談する客に、男性の居場所を尋ねようと思ったが、内密にという言葉を思い出してやめる。
洗面所にでも行ったのだろうか。だったら少し待てば帰るだろうか。
『あの、まったく見つかりません……あっ』
レセプタントからインカムで連絡が入ったかと思うと、男性の声が割り込む。
『まだか。会が終わるまであと三十分ほどだぞ』
『申し訳ありません。会場内のどこにもいらっしゃらないようで』
『どうにか見つけてくれ。俺自身は下手にうろついて目立つわけにはいかん。あんたらだけが頼りなんだ』
威圧したかと思えば腰が低い。よほど焦っているらしい。
でも、目当ての人物はどこにもいないのだ。男性が相手の特徴を思い間違っているのでは。
それとも、あやねが着替えに出たときに男は出ていったのか。
ふ、とあやねは違和感に気づく。
着替えのため場を外したのは、せいぜい五分、長くて十分。
そのあいだ料理はほぼ減っていなかった。客の食べる速度が落ち着いたのかと思っていたけれど、でも自分が出る直前まで、あの女性は旺盛な食欲を見せていたのに……。
「あの、部長、花籠です。いまちょっとよろしいですか」
騒がしい会場を出て、あやねはインカムで高階に連絡する。
『どうしましたか、あわてているようですが』
「土門氏のスピーチが始まる前まで、高階さんが話していらしたパンツスーツの女性と、お連れの髪を縛った男性の方。いま、どこにいらっしゃるかご存知ですか。もしかしたら、スピーチの前に会場を出ていきませんでしたか」
『なぜ、彼女たちを探しているのです』
冷静に問われて、あやねは言葉に詰まる。口止めはされたが、仮とはいえ上司の立場の相手に黙っているのはやはりまずい。トラブルを起こしたくない、と高階はいっていた。それなら、客の不利になるようなことはしないだろう。
手短に状況を説明すると、高階はふむ、とうなった。
『たしかに、ふたりはスピーチが始まる直前にグラスを持って出ていきました。彼女が歳星のスピーチなど聞いていられない、といいましたので』
「やっぱり。料理が減ってなかったので、そう思いました。ではロビーで休んでいるか、お手洗いでしょうか。まだ戻ってらっしゃらないみたいですが」
『僕も一緒に探しましょう』
「いいんですか。大事な立場なのに」
『もうあいさつは充分以上に済ませました』
苦笑気味に高階は答える。
『座もばらけていますし、僕ひとりがいなくてもかまいません。それに、もし男性トイレに入っていたなら花籠さんは入れませんから。急ぎましょう』
「はい、お願いします。会場はひと通り見たので、わたしはロビーを見ます」
頼もしいな、と通話を切ってあやねは感嘆する。
話も行動も速い、一緒に仕事をする立場としてはこのうえなく心強い。なんの不足があって次期総支配人になれないのか、まったく理解できない。
あやねは会場外に出る。
場内の空気に疲れた客が、ロビーで一服するのはよくあることだ。しかし会も終わりに近づいたせいか、ロビーは閑散としていた。
置きっぱなしのグラスだけがロビーのテーブルに残り、客の姿はない。まずはこのグラスを片付けなければ、とあやねは手に取った。
いくつものグラスに、かすかに口紅がついている。
やはり、あの女性はロビーで飲んでいたのかな、と思った瞬間、はたとある可能性に思い当たった。
「すみません、高階さん」
グラスをそのままに、あやねはインカムで話しつつ急ぎ足で歩き出す。
「わたし、女子トイレを見に行ってきます」
『なぜです。探している相手は男性ではありませんか』
「お客さまは、電話でしか話したことがない、とおっしゃっていました。そして向こうが告げた容姿は、髪が長くて頰にホクロがある、と」
あやねは廊下の奥まった場所にある女子トイレまでたどり着く。
「あのパンツスーツの女性の方は、声がかなり低いですよね。しゃべり方も荒っぽい。電話を通したら判別が難しいかもしれません。お客さまは電話の声だけで〝男性〟だと思ったのでは。それに、あの女性は長い髪が頰にかかっていました。だからホクロも隠れていて、わたしは気づかなかったのかも」
『そうか。〝男〟との情報で僕も混乱していたかもしれません。たしかに彼女がその目的の人物だという可能性はあります』
「ですよね。いま、女子トイレに入ってみま……」
あやねの声が止まる。広いレストルームの奥から、男の声が聞こえたのだ。
「くそ、あれだけ飲ませて薬も入れて、ようやく潰れやがった。パーティが終わるまでここで寝ててくれよ……」
急いであやねは走り、個室の並ぶ通路へ入る。
すると、いましも髪を縛った若い男が、パンツスーツの女性の両脇を抱えて、奥の個室へ引きずり込もうとしているところだった。
「そこでなにをしているんですか!」
あやねが大声で叫ぶと、男は
男の手が離れ、ごちん、と派手な音がして女性の頭が床に落ちた。と思いきや、ふいに男はあやねに向かって走ってきて勢いよく突き飛ばす。
「わひゃあっ」
そのあいだにバタバタという足音が外へ出ていく。あやねは、いてて、とふらつきながら立ち上がった。男の行方が気になるが、それより頭を打ったらしい女性のほうが心配だ。
個室からスラックスを履いた長い脚をはみ出させ、女性はうつ伏せに床に倒れている。あやねは駆け寄ってその体を揺さぶった。
「だっ、だいじょうぶですか、あの……って」
ぐらぐらと女性の体が揺れて、後頭部の長い髪がするりと流れて割れる。とたん、あやねは凍りついた。なんと、髪が割れて現れた女性の後頭部には、
──もうひとつ、顔が、あった。
こちらの顔には、頰骨のいちばん高い部分に目立つホクロがある。気絶か熟睡しているようで、ぽかんと口を開けてよだれを垂らしていびきをかいていた。
そっか、ふたつ口があったのかあ。
だからあんなにいっぱい、お肉食べていたのかな。
だけど、口がふたつだからって胃袋もふたつなのかなあ。
などと思いながら、ぺたん、と尻をつくと、
「……ひ、ひっぇっえええっ!」
またしても可愛げのない悲鳴を響かせ、あやねは超高速であとずさりした。
「なっ、なにっ、なにこれ、なにこれぇええ、顔がっ、ふた、ふたつぅ!?」
どういうこと、どういうこと?
もしかして特殊メイク?
ホテル丸ごと映画のロケ?
季節外れのハロウィンマスク?
あるいはパーティの余興とか?
どうにかして現実的な落とし所がないか、混乱する頭であやねは考える。というより、目の前の現実を否定したい。いや、逃げたい、目の前の夢なのか現実なのかわからない光景から逃げたい。逃げなきゃ、逃げ……。
「ひぃっ」
突然肩をつかまれて、あやねは尻をついた姿勢で飛び上がった。
「……花籠さん、こちらへ」
「たっ、高階さっ!?」
振り仰ぐと、しっ、と高階は形のいい唇に人差し指を当てる。
「やはり、あなたは〝こちら側の人間〟ではありませんでしたね」
こちら側。
その言葉を聞くのは二回目だった、だけどなんのことだろう。こちらとかあちらとか、どちらのお話なんだろう。
あやねは高階が差し伸べる手につかまり、わななく足で立ち上がった。
【次回更新は、2019年10月23日(水)予定!】
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