ヤクザとは

 悪夢のような出来事から数日が過ぎ、幸は悩んでいた。


「閑古鳥……ってか閉店ガラガラ……」


 あれから嘘のように今まで来院していた患者たちがパタリと来なくなった。問い合わせの電話はあるのだが、なぜかドタキャンしたりキャンセルが相次ぐ……。

 まさか、あの組長が冗談ではなくヤクザ専門の院にしようとしているのでは?いや、でもあんな一方的な口約束世間に通用するわけない。もちろん百万円の札束は封筒に入れ、いつでも突き返せるように玄関に置いてある。早く来やがれ、組長。


 嫌な考えを振り切るように気分転換にコーヒーを飲もうとするとインスタントの粉が切れていたことに気づく。出不精の困ったところだ、限界になるまで待つからこんなことになる。幸は白衣を脱ぐと財布を持ち玄関を出た──。正確に言うと出ようとしたが足が止まった。


 ドアを開けるとなぜか壁にもたれかかっている男がいる。キツネみたいな顔したひょろ長い男がこちらを見ると「どうもー」と満面の笑みでこちらの顔を覗き見る。通路の先を見ると数日前にやってきた町田という男がブロック塀でできた花壇に腰掛けて缶コーヒーを啜っている。これは守られているというか……軟禁?


「先生、どちらに?」


 キツネさんが固まる幸に声をかける。こんな状況でも人間は返事ができるのだと感心する。


「インスタントコーヒー、買いに行こうかなって……」


 言い終わる前にキツネさんが開いたドアに手をやると幸が外に出れないように立ちはだかる。腕捲りした紫のサテンシャツの隙間から赤やら紺やらの模様が見える。こいつもあの組長の回し者か。

 ってか、数日誰も来てないのってもしかしてっていうか絶対コイツらのせいだ。こんな男どもがいる建物に入ってこられる人間なんていない。だが、こちらも負けてはいられない平穏な生活を奪われてたまるか。


「どいて、コーヒー飲まなきゃ死んじゃう」


「先生がお望みやったら、ブラジルから豆ごと取り寄せますけど。電話一本で」


 キツネも負けていない。どうやら一歩も院から出すなと言われているのだろう。憎らしい、お前のことはもうキツネと呼ぼう。


「いいからどいて」


「──ッテ」



 幸がキツネの手首を掴むとキツネが一瞬怯み苦悶の表情になった。すぐにまたポーカーフェイスになるがその変化を幸は見逃さなかった。

 キツネさんの腕を掴むと何も言わずに部屋へとひっぱりこんだ。外にいる町田の焦る声がドア越しに聞こえた。


「ちょ、先生どないしはったんです?バレたら組長にしばかれ──」


「黙ってなさい。いいからここに座って」


 有無を言わさずベッドに腰掛けるとシャツを捲る。手首がひどく腫れている。これでは使い物にならなかっただろう。


「なぜ治療しなかったの?ここまで放っておくなんて」


「こんなん怪我のうちに入らへ──アイタタタ!痛いやん!」


 キツネはそっぽを向き強がるが、幸が手首の真ん中を押すと驚いたように痛がった。


「ほら、ね?いいからじっとして」


 幸が手首を冷やし、その間に腕に数本鍼をしてやる。初めて鍼を受けるようで最初は鍼が入る瞬間を視界に入らぬよう顔を背けていたが、思いの外痛くなかったようで、それからは興味津々で刺さっている部分を食い入るように見つめていた。その顔は少年のように幼く見える。腫れた部分にも鍼をするとさすがに響くようで眉間にしわを寄せていたが終わると手首の痛みが引き、驚いたように手首を動かしていた。


「先生ぇ、すごいです、ほんまに……」


 本当に感動しているようだ。喜んでもらえてうれしくて、ついでに家でできるストレッチの指導をしようと向かいのベッドに座りキツネの手に触れ手首のストレッチを指導していた。


 ガチャ


 ドアが開く音が聞こえて振り返ると組長と後ろで小さくなっている町田の姿があった。組長は黒のストライプのスーツだが、髪型がオールバックになっている。前回と比べてマジ感がすごい。全身から、僕尖ってますオーラが半端ない。


「仲、良さそうだな……」


 キツネが慌てて繋がっていた手を離しそのままベッドから立ち上がる。見るからに顔色が悪い。よく見ると組長の後ろにいる町田さんはなぜか頭に幾つも小さな楕円形の跡がある。組長が白いハンカチで手を拭いているところから、指の跡かもしれない。なんか頭の形変わってない?とんがってない?なんか宇宙人みたいな感じじゃない?


「く、組長……あの、俺──」


「キツネさんは悪くないわ。私が部屋に引き込んだの」


 キツネの前に幸が出ると組長の眉尻がピクリと動く。「先生!だめですって」後ろでキツネが小声で幸を止めようとする。


「組員の健康も守れない組長はどうかと思うけど?──とにかく、これからも私は自由に患者さんを──」


「……いいぞ、ヤクザであろうが診たいんだろ?」


「へ?いいの?本当にいいの?」


 あまりに拍子抜けだ、てっきり猛反対されるとばかり思っていたのに。


「いいスタートだ。もう先生はヤクザ#だけを__・__#診たいとおっしゃった……こんなに喜ばしいことはない。なぁ町田……」


「そうですね」


 言いました?いや、言ってないよね?脳の変換器壊れちまってますよ、組長。


 同意を求められた後ろに突っ立っている宇宙人……もとい町田の表情は固く、声に抑揚がない。ちらりと幸を見る目に同情の色が見える。


 よくよく見ると組長の手にはいつのまにか音声レコーダーがあった。ピッという音声と共にレコーダーを再生する。あたかも私がヤクザの治療をしたいような所のみ録音されていた。文句を言う気が失せてそのままベッドに座り込むと、組長はニヤリと片方の口角を上げた。その微笑みを見た二人の舎弟は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

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