虚弱なヤクザの駆け込み寺
菅井群青
第一部
厄日
「うーん……さて、頑張りますか」
幸は椅子に引っ掛けてあった長い白白衣を羽織ると淡く染めた髪の毛を一つにまとめた。
都心のとある駅から徒歩十五分にある薄いピンクのアパートの一室に私の城はある。
青野鍼灸院
これがわたしの城だ。ピンクの建物なのに青野だからみんなにややこしいと言われてしまうことも多い。常連さんにはピンクの鍼灸院に改名しろと言われることもしばしば……そんな屋号に変えてしまえば間違いなく風俗の店と間違えてとんでもない内容の問い合わせが来るだろう。
私は青野 幸三十二才の鍼灸師だ。亡くなった父親の青野鍼灸院を継ぎここの院長をしている。
この辺りは商店街も離れており、中小企業や住宅街ばかりなので人通りも少ない。なのでいつも閑古鳥が鳴いているが受付や助手もいないので一人生活していくには困らない程だ。気楽に過ごせているので逆に居心地がよく、幸は気に入っていた。院の奥に一部屋あり、そこで生活しているので院から全く出ない日もある。予約制ではあるが突然患者が来院することもあるのでそれも影響しているだろう。
午後三時から午後診察が始まる。コーヒーを飲み気合いが入ったところで院のドアが激しく叩かれた。この慌て具合は急患かもしれない……。慌ててドアを開けると幸は無反応のまますぐさまドアをバタンと閉める。
なんだろう、なんなんだろう。すごく至近距離でエグいものを見た気がする──
すぐさま再度ドアが叩かれる音がする。先ほどより力強いが叩くスピードがゆっくりなのが逆に怖い。幸は恐る恐るドアを開けるとドアの隙間から先ほどの人物の顔が現れた。
「おぉ、先生……いらっしゃってよかったです。もう少しでドアを蹴破りそうでした」
「すみません……」
絶対冗談ではない。本気だ、本気で潰す気だった。目の前の男は身長はそこまで高くないものの、筋肉が服の上からもわかるぐらいガタイがいい。スキンヘッドでツルツルした素材の紺色のシャツに黒のズボンに首元に光る金色のネックレス……間違いなくヤクザだ。その男の肩を借りて辛うじて立っている長身の黒髪の男は話すのも嫌なのかぐったりとしている。隣の男に比べ黒のスーツの男は清潔感がある。苦しんでいる顔をしているのでどこかを痛めているのだろう。
「こちらに運んでください」
幸の言葉にスキンヘッドは男をベッドに連れて行くと男は腰が痛いのだろう……すっかり腰が引けて座るのもやっとだ。
「けがをさせたんでしょう?何をしたんです?」
幸が問診票に症状を書き込みながら非難の目をスキンヘッドの男に向ける。黒のスーツの男は何も言わないがスキンヘッドの男は申し訳なさそうな目を男に向けていた。
「えぇ!? 俺は何もしてないですよ!」
「若い会社員からお金を巻き上げようとしたんですか?そんなことするぐらいなら首から提げてるものを売ればいいでしょう」
幸は昔から正義感が強かった。今でもその癖は治りきっておらずつい言ってしまう。二人のやりとりを黙って聞いていた黒のスーツの男が突然ククッと笑い出すと「あー響く」と言い腰を押さえる。
「町田、笑わせるな。黙ってろ」
「すみません組長……」
ん?組長?組長って……。この若い被害者っぽい子が組長?まさか……こっちかーい!
「先生……とりあえず今すぐ立てるようにしろ。さもなくば──」
「脅してる場合じゃないですよね?とりあえず脱いで」
産まれたての子鹿並みに立てないくせに一丁前なことを言う男の脅しなど怖くもなんともない。女一人で院を守っているのだ、なめてもらっちゃ困る……。
幸が脅しに屈せず淡々と答えると、組長が黙ってシャツを脱ぎ出す。脱ぐとやはりというべきか均整のとれた体に腕から背中にかけて龍が彫られていた。背中で体をくねらすように彫られた龍は今にも動きそうだ。腰の筋肉が随分と硬い……この硬さなら昔から腰痛があっただろう。
「今まで鍼をされたことがありますか?」
「ある。あんまり効かなかったからそれ以来受けてはいない」
鍼治療が効かないと思いながらもここへ来たということはそれほど切羽詰まっているということか。なるほど、やるっきゃないな。
「では──始めますね」
幸は静かに治療開始した。腰痛の原因は腰だけではない。もっと深くにある筋肉が原因だ。それに伴い股関節や大臀筋など多くの筋肉の緊張を取る必要があった。鍼の重い痛みに時折苦しそうな顔をするが決して組長は声を出さなかった。ヤクザとしての沽券だろう。
久々に真剣に治療をした。自分のできる最大限仕事に集中していた。時間にして三十分ぐらいだろうか、全ての鍼を抜き、組長に声をかける。
「さ、もう起きていいですよ。たぶんもう立てるはずですから」
幸の言葉に疑いの目を向けていたがゆっくりと男は立ち上がった。表情がみるみるかわり、歩いてみたり屈伸してみたり様々な動作をしてみる。抱えられてきた事が嘘のように動けているようだ。
幸はこの瞬間が何よりも好きだった。大好きな鍼で痛みに苦しむ患者さんが痛みに解放され嬉しそうな表情を浮かべる時が何よりも幸せだ。
幸がにっこりと微笑むと組長が真剣な顔でこちらに近づき幸の肩に手を置く。
「今までこんなに良くなったことはない……。先生の腕は確かだな」
「ありがとうございます」
うん、いや、ありがとう。だから早く上の服を着てください。色気すげぇよ、ムンムンだよこの人……。
「先生、俺の、体のかかりつけ医になってくれ」
幸は自分の間違いに気づく。かなり実力発揮し過ぎてしまった。すっかり気に入られてしまった。ただしっかり診ないといけないと思っただけなのだが、思いの外組長との治療の相性が良かったらしい。どうやって断ろうか悩んでいると組長が町田を呼ぶ。
「町田、今からこの院はウチの専属だ……他のモンは入らせるな」
え?なにそのハイジャック的な発言。いま、専属って言った?さっきはかかりつけ医だったけど、この数秒で専属の院にまで上り詰めちゃったけど!?みんなの院から自分の院になっちゃいましたけど!?
「ちょっと……!困ります!やくざ専門なんて私生活できませんよ!」
幸の言葉にケロっとした様子で「問題ない」と言い話を聞こうとしない。町田が胸ポケットから帯のついた札束を出すとベッドの上に置く。
「月百万だ、これなら文句あるまい。先生、よろしくな」
幸はがっくりと肩を落とした。この男には到底敵いそうもない。冒頭説明した私の城はあっけなく奪われ、青野鍼灸院はヤクザ専門の院になってしまった。
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