第2話 天は晴れているか①

 私たち二人は親友、というわけではないが何かと波長の合うことが間々あり、気の置けない仲であることはそれなりに確かだ。だからお互いに気を使ってついに苦しい沈黙を破ったわけではなく、ふと考え付いた不毛な疑問をこうして投げかけることが私にとっては自然で、それを受け取る彼もまた自然体なのだ。


慎太郎「『教科書』ってあるだろ?」


慎太郎の問いにニヤッとした笑みを浮かべて達也が応じる。


達也「あるな。」


慎太郎「『それはもう教科書ではないだろ!!』ってときあるだろ?」


達也「ないが。」


慎太郎「あるだろ!」


達也「ええ……?『教科書の角を思い切り人に向かって振り下ろす場合』。」


慎太郎「『それはもう教科書ではなくそこそこの凶器だろ!!』」


達也「こういうこと?」


慎太郎「違います。」


達也「一段と話が見えないな。」


慎太郎「いいか、科目を教える書、是即これすなわち教科書、だろ?」


達也「うん。」


慎太郎「『教える』ということは、そこに教師の存在がある前提に基づいて教科書は作られるわけだ。」


達也「そうだな。」


慎太郎「ここがいけない。」


達也「え?いやいや、何も間違ってはいないと思うが。」


慎太郎「『名は体を表す』という言葉があるだろ。物事につけられた名前ってのは必ず本質を表しているものなんだ。どれ、試しに世界史の教科書を開いてみろ。」


達也「ああ、ほれ開いたぞ」


慎太郎「試しに目に入った単語を読んでみろ。」


達也「えーっと、『マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝』。」


慎太郎「今お前は教師に教わったか?」


達也「……ああ~、確かに。そういうことね。でもその理屈はちょっとひねくれすぎだろ~。『青龍刀』だって床の間に飾れば刀じゃなく美術品だ。が、本質はやはり刀だ。【その本質が失われて初めて刀ではない】と言うことができるんじゃないか?」


慎太郎「確かに、今のが屁理屈だということは甘んじて認める。いやだがしかし、まさしくお前の言う本質が失われるということが現に起こっているんだ。」


達也「ほう、聞かせてくれよ」


慎太郎「小学生の『教科書』は正しい。だが、中・高と学年が上がるにつれ、俺たちはさぼり方を身に着け始める。机に向かっていても上の空で別のことを考えていれば、それもまたさぼりだ。このぐらいなら誰でもやっていたことだろう。」


慎太郎「さぼる時間が長くなるにつれ、『教える→教わる』という構図は成立しなくなる。こうなると学生にとって最も問題になってくるのがテスト勉強だ。サボりのツケが回ってきたんだ。デッドラインを踏み越えないようクラス中が大騒ぎさ。本来教わるための書が、いつの間にか自主学習の頼れるお供に早変わりってわけだ。」


慎太郎「だから、それはもはや教科書ではないだろう。中高生は一律『参考書』でまとめてしまうべきだ。達也、俺は何か間違っているだろうか?」


達也「なるほどな。そりゃお前が正しいよ。確かに俺たちはまともに授業なんざ聞いた試しがないもんな。」


 

太陽の紅く染まる頃、グラウンドでは野球部のほかはすっかり帰ってしまって、キャッチボールの音と掛け声が、二人のいる教室にやけに心地よく響いていた。


ふと、蛍光灯がチラチラと表情を変え始めたので達也が「付け直すよ」と席を立った。スイッチを切り替えてやるといつもの明るさを取り戻した。のだが、席に戻った達也が何か言いたげに、考え込み始めた。



達也「……」


慎太郎「なんだよ、急にふさぎ込んじまって」


達也「教科書は『教える→教わる』であればいいんだろ?」


慎太郎「そうだな。」


達也「教師が教えるから問題なんだよな?」


慎太郎「?あぁ、そうだな。」


達也「教師じゃないとしたらどうだろう。」


慎太郎「なに?達也、お前は教師以外に教わることなんてあるか?『自分に教わっている』とか哲学的なことか?」


達也「いやいやそういうわけじゃない。」


慎太郎「家庭教師を雇っているとか?」


達也「そんな一部の人を例にとったわけじゃない。慎太郎、さっき世界史の教科書を読んだとき、俺は『教師には教わっていない』こう言ったよな?しかしそれは間違いだった。」


達也「俺たちは等しく【書】に教わっているだろう。」



グラウンドの方から今日一番に気持ちのいい音が聞こえる。どうやら鋭いストレートがミットに納まったらしい。何とも言えぬすっきりとした笑顔だ。


太陽はあと少しで沈んでしまうだろう、というところに少々の雲がかかり始めたが、「さほど気にすることもあるまい」と構わずキャッチャーミットにボールを放った。

……?ボールは少々湿っているようだ。降り始めてきたのだろうか?



慎太郎「なるほど。書そのものならば自学も授業も関係あるまい。」


達也「だろう?俺たちは書から学ぶとき、一時的に書に隷属しているからな。」


慎太郎「隷属?」


達也「そう、だって普段は無理やりカバンに押し込めたり、ドブに落としたり、時には燃やしたりすることもあるわけだろう。良いようにこき使ってきた奴らがいざとなると手のひらを返して教えを乞うてくる。そこで主導権を握るわけだ。俺が『書』ならそれこそいいように使ってやるがね。」


慎太郎「……それで隷属ってことか?しかし、俺たちはあくまで教科書から能動的に学んでいるだろう。主導権はどうやっても『人間→書』であることに変わりはない。」


達也「……いやいや、さっきは書に教わるってことで同意したじゃんか。」


慎太郎「それは言葉の綾であって、本当に教わるわけではないだろう。」


達也「いやだから言ったじゃん!!」


慎太郎「何をだよ!!」


達也「『書に教わった』ってさ!!!」


慎太郎「堂々巡りだな!!もういい!!」


 

「はぁ……。」と、慎太郎が一つため息をこぼした。こんなことは初めてだ。私たち二人が喧嘩することなど滅多になかった。いや、未然にそうならぬよう避けていた。私にとって、こんなに気の合う友人ができたのは初めてのことであったし、何より雑多なことでも気軽に話せるというのはこれ以上ない癒しだったのだ。


だからこの空間を壊すわけには絶対にいかぬ、と心の内に決めていた。が、今日に限っては偶々たまたま気が立ってしまって怒鳴ってしまった。こうして背中を向き合わせるのはきっとお互いにとって不本意であることは確かで、特段私のほうが友人を失いたくないために和解を切り出すのはそう遅くはなかった。



慎太郎「なあ、今日はもう帰ろう。雨もチラついてきそうだし、学校に籠りっきりはあまり趣味じゃない。達也だって門限があったり、親が心配したりするだろう。」


達也はうつむいたまま慎太郎の方を振り返ったが、数瞬後、少し引き攣った笑みを浮かべて応じた。


達也「……そうだな。お互いここにいてもしょうがないもんな。さっさと帰ろう。」



湿ったままのボールをつかむのはそんなに苦ではない。しかし、何球、何十球と受け止めるごとに滑って取りこぼしそうになる。


暗雲が立ち込めてきた。雲間からわずかばかり差し込んでいた西日がそろそろ潰えようとしている。



慎太郎「……教科書は置いていかないのか?」


達也「あぁ、今日は持って帰らなきゃいけないんだ。」


慎太郎「……そうか。」


達也「……なぁ。」


慎太郎「なんだ?」


達也「俺はやっぱり変か?」


慎太郎「」


達也「変わってるとは言われるんだ。ちょっと会話のかみ合わないことが多くて、初めのうちはみんなが合わせてくれるんだけど、だんだんと疲れてきてどこかに行ってしまうんだ。……慎太郎も内心そんな俺にイライラしてるんじゃないか?」


慎太郎「ああ、してるさ。」



耳をつんざく雷鳴とともに白光が訪れる。相当近くに落ちたらしい。


天を覆う暗雲が漆黒の世界を作り出した。信じられないほどの土砂降りだ。



慎太郎「お前の言うことは時折意味が分からない。そのせいで空気が悪くなることも、話が終わることもある。これを耐え忍ぶのは時につらいこともある。でも、」


一拍置いて声を絞り出した。


慎太郎「でもそんなのは俺も同じだ。西に気に入らぬ女子あれば『ブス』と言い、東にわめく男子あれば「猿」となじる、スレスレで人の心を保っているそんな人間に、お前はいつも笑顔で話を聞いてくれる。俺はお前といると心から楽しいし、救われるんだ。友達とは人と人との間とは欠点を許し合うこと、認め合うことだと俺は思う。欠点があるのは確かで、我慢することもある。しかしそれ以上に一緒にいて楽しい。それが友達なんじゃないか。」


慎太郎「……さっきはすまなかった。いきなり怒鳴ってしまって。」


達也の顔がパァっと晴れた。


達也「いいんだ、もういいんだ。ありがとう。すごく嬉しかった。それと俺も悪かったよ。」


慎太郎「悪いって……何がだよ」


達也「『書に教わる』っていうのをさ、しつこく言い過ぎた」


慎太郎「いいんだよ、謝るな。そういうわからんところも含めて達也なんだからさ。」


達也「慎太郎……。」



いつの間にかすっかりと暗雲は消え去ってしまっていた。



達也「そうだ。教科書を置いてこなきゃね。」


慎太郎「?さっき持ち帰らなきゃって言ってなかったか?」


達也「いいんだ。さぁ早く帰ろう。」



達也のやつは本当によくわからんが、まぁこいつのそういうところも理解できる日がいつか来るのだろう。




その夜の報道番組は不可解な雷雲の話題で持ちきりだった。何やらD高校上空に突如出現した雷雲は一切の兆候がなく、衛星での観測さえ不可能だったというのだ。


きっかけは同高校野球部員によりSNSに投稿された動画である。



FUJIWARA@一球入魂

「すっげぇ嵐。雷やばすぎて死ぬかも」

添付動画(猛烈な嵐が校舎を襲う様子)


1.5万RT 3万いいね


↪前沢美紀さんの返信

「え?どういうこと?何ともないけど……」

添付画像(雲一つない晴天の校舎)



返信者は同高校の女子生徒。動画を見て外の様子を確認したところ、異変に気付いて校舎の撮影に向かったそうだ。そして彼女と時を同じくして数人の生徒がほぼ同時刻に撮影した写真がリプライツリーに送られた。


当初は野球部員のいたずらということで決着がつこうとしていたのだが、野球部員がSNS上でライブ配信を行い、現に起こっていることだとわかるや否や、尋常ならざる事態だという認識に改まった。


しかし、騒動からわずか数分後、事態は急変する。ちょうど野次馬が校舎周辺に集まり始めたころ、二人組の男子生徒が校門から出てきたのが目撃された。何を隠そう、その二人というのが件の野球部員だったのだ。


命に別状はなく、意識もはっきりとしていて、とても先ほどまで大嵐にあおられていたようには見えなかった。それもそのはず、本人たち曰く、「嵐など起こっていなかった」のだから。野球部員の二人は、まるで何かに引っ張られるかのように同じ方角を目指した。彼らの家はそちらではないのに。




達也「ただいま帰りました。暴君の器たるこの身が。」


男は……達也は身の丈の5倍はあろうかという大きな窯の前にひれ伏した。おもむろに懐から取り出した二冊の黒い書物。中央のページを開いて閉じないように抑えながら、口を開いた。



【ウー ヌゲ エウズ サーマ イウユ】



唱えましょう唱えましょう呪われしイマジュの魔に


捧げましょう捧げましょう統べるものたるイマジュの魔に


交わしましょう交わしましょう輪廻でさえ解けぬ血の契約


来たれ来たれ来たれ17の命を捧げし我が元へ。


来たれ。



【ウー ヌゲ エウズ サーマ イウユ】



生気を感じさせぬ目でおぼつかない足取りを窯に運ぶ。この二人は確かグラウンドにいた……。


達也「見ていてね、慎太郎。君には俺のすべてを理解してもらいたいんだ。大丈夫、怖くないよ。君は主君の生贄じゃない。君はイマジュ様の信者となるんだ。」



私は……何一つ理解していてなどいなかった。達也のことなど何も。同じ人間かどうかさえも。



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名は体を表すので自分で付けさせて下さい HiDe @hide4410

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