スマホを落としただけの話

 ある河川関連の環境調査で、中部地方の内陸部を訪れていた。


 こういう河川の中・上流域およびダム関連の仕事は、地図に道がほとんど載っていないところの方が多い。

 地図アプリでもいいので、山地の川を見ていただければわかるだろう。

 まともな道は普通は川に沿って1本、大きめの川だと両岸にあることもある。そんな道も川に沿って上流側へ進めば、舗装されていなかったり、車のすれ違いが困難なほど狭くなったりする。

 たいてい地図の道はそれだけで、周りの山林に分け入る道はまず載っていない。場所により登山道のようなものもある。


 とはいえ、全く通れる道がないわけでもなく、送電線を張る鉄塔の管理道とか、スギ・ヒノキ植林の管理のための道とか、その土地の持ち主が利用するような道があり、それを使わせてもらうことが多い。もちろん、道なき斜面を上り下りすることもある。


 また前置きが長くなったが、要はダムや河川上流の現場では人の通らない谷の斜面の道を通るということである。


    ◆


 谷川沿いの狭い道路の幅が広くなっている部分に、すれ違いの邪魔にならないように車を止める。

 そこから少し歩いて、指定された調査範囲に入った。

 残念ながら、都合よく目的地に車を止めやすい場所があるとは限らない。

 午後の調査を開始。目印のテープが木に巻いてあるところから、植林用の管理道を登り始める。


 その日は午前中から小雨が降ったり止んだりしていたので、いつもの作業服の上からレインコートを羽織っていた。

 ただしその原因となった雨は、調査開始後しばらくして止み、結果としてその後は降ることはなかったのだが、そんなことは知る由もない。いつまた降り出すかわからない雨に備え、レインコートはずっと着たままだった。

 多分これが敗因その1。ただし雨が止んだのは不幸中の幸いだったのだろう。


 現場中でも、電話やメールなどの連絡は来る。仕事に関係ない私的な連絡や単なる広告もあるが、仕事の依頼も来る。特に現場の打診は早めに返答しないと他の人にまわってしまう。


 その時は関係のない話で、操作が終われば次にスマホを出しやすいように、レインコートのズボンのポケットに入れた。

 ここでいつもと違うところに入れたのが、多分敗因その2。


 その後斜面を上ったり下りたりしているうちに、いつの間にかスマホが滑り落ちたのだろう。それでも落ちた音とか衝撃は全く感じなかった。


 その後は着信音も全くしなかったので、昆虫調査に集中していてスマホのことはすっかり忘れていた。 

 なかったのは連絡ではなくスマホそのものだとは思ってもみなかった。


 結局スマホの紛失に気付いたのは調査終了して車に戻ってきた時。もはや探しに行く時間はない。その場所には他に人がいなかったので連絡手段もない。

 集合場所まで車で移動し、調査内容と共にスマホ紛失を報告した。


 場所は山中のスギ植林内で、一般人の通るところではない。

 だから、見付けてもらえるのは他の調査員か、土地の持ち主だけだ。その場所の調査は今季はほぼ終わり、秋の調査だったので次もない。もしかしたら冬季調査があるかもしれないが、その時にはもはや手遅れだ。


 そのまま土に埋もれて朽ち果てるか、土砂崩れなどに巻き込まれ川まで落ちてゆくか。


 ただ逆に、そこから個人情報を抜かれたり、ウィルスの発信源に使われたりということもない。それだけは幸いかもしれない。


    ◆


 そんな事を考えていても仕方ないので、ホテルにいったん戻った後、近くの携帯ショップに相談に行くことにした。翌日も調査があるので、そのままにはできない。


 ノートパソコンから調べた結果、近くのショッピングモールに店があることがわかった。

 行ってみたのだが、携帯更新は5時までと言われた。はて、昼間仕事している人はいつ行くのだろう、などと思ったが、そんなことを行っても始まらない。GPS機能を使って探す方法を聞いて、ホテルに引き上げることにした。 


 余談であるが、ショッピングモールついでに、その後近くにあったラーメン屋に夕食を取りに行った。

 そこのラーメンはスープに出汁が効いておらず、醬油とコショウの味しかしなかった。

 ビジネスホテルは夕食が付いていないことも多く――ただし夕食費は別途出る――各地でいろいろなものを食べたのだが、それはワースト3に入るものであった。

 後にして思えば、不安とストレスで味覚がおかしくなっていた可能性も否定できない。


    ◆


 ホテルの部屋に戻り、GPSによる位置追跡を試してみた。

 登録をすればスマホの現在位置などがわかる。

 最近、娘のスマホがラブホテルにあるのがわかって警察沙汰になったというようなニュースがあった。

 家族の安全確認の他に、外での紛失時にも使える。一つ間違えたらトラブルになりそうだが。

 いや今は他人のトラブルなど気にしている場合ではない。

 調べた結果、確かに筆者のスマホは例の山の斜面、今日通った場所に今もあるらしい。


    ◆


 さて翌日、責任者の許可を取り、調査ついでに追跡機能が示した場所に行った。そこに行くにはGPS……スマホではなく現場の移動ルートなどを記録するのに使うGPS専用のものを使った。そので周りを見回せば、あっさりと道の端に転がっていたスマホが見付かった。スマホのGPS機能は正確であった。

 昨日の雨が早々に止んでくれたおかげで、壊れずにすんだのも幸いであった。


 確認のため少し操作をして、関係者にスマホが見つかった連絡とお詫びをして、紛失騒ぎは1日足らずで無事終了した。


 その後、万一の時のために備えて、スマホにパスワードをかけるようにした。ちょっと面倒だけど。

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