夏が終わる

そばあきな

夏が終わる


「じゃあ、明日の七時に駅前で」


 なるべくそっけなく書こうとして送ったメッセージは、送信ボタンを押した瞬間に相手からの既読がついて、あまりの反応の速さに思わず笑みが漏れてしまった。その後、妙にリアルな猫が「OK」と笑っているスタンプが送られてきたのを確認して、メッセージアプリを閉じる。


 彼から旅行に行こうと誘われたのが、ちょうど一週間前。その時は準備までにまだ余裕があるなと思っていたが、忙しく日々を送っている内に、気付けばもう旅行の前日になっていた。小学生の時と比べて、明らかに時間の流れが速くなったように思う。ついさっき荷物をまとめた――といっても、財布などの貴重品を入れただけだが――リュックを見ながら、物思いにふける。


 どこに行こうという話題になった時、まっさきに彼が言ったのが「海の綺麗な場所」だった。おそらく土曜の午前中に見ていた旅番組の影響だろう。隣で見ていたから覚えている。確かに綺麗だと思ったし、向こうの要望を特に拒む理由もなかったから、目的地はそのまま海が綺麗な場所ということになった。


 ――明日、天気に恵まれたらいいけれど。


 そう思いながら床に就く。普段より早いアラームで起こされるまで、何か夢を見ていた気がしたけれど、どんな内容だったか思い出すことはできなかった。


 朝食を食べ、もう一度荷物の確認をしてからリュックを背負って七時十分前に駅前に着いてみると、彼はすでにいてスマートフォンを操作しながら、柱に背をあずけて待っていた。どうやら向こうはウエストポーチらしい。肩にかけている姿が様になっていて一瞬声を掛けるのがためらわれた。


 それでも勇気を振り絞って声を掛けると、彼はこちらに気付き「早く着きすぎちゃった」と若干照れたように笑っていた。どう反応していいか分からず、一言「そう」とだけ言っておいた。

「じゃあ行こっか」と差し出された手をひらりとかわして改札をくぐる。

 互いに少なすぎる荷物で旅立ったのは、夏も終わりかけの、暑い日のことだった。



 高校時代に使っていた電車とは逆方向の電車に乗り、何度か乗り換えて辿り着いた場所は、世界の端だと説明されても納得できるほど、果てしなく水平線が広がっていた。ガランとした駅の構内を歩いて外に出ると、さっそく道案内の看板が目に入った。旅行の目的である、駅から海へ降りる道も看板で示されていたもの、身体が空腹を訴えているせいで、正直今から向かおうという気持ちにはなれなかった。


 時刻は既にお昼時だった。昼食は特に用意せずして来ていたから、どうしようかと彼の方を見ると、どこか自慢気な表情をした彼と目が合った。


「さっき調べておいたんだよね」

 どうやら駅で待っていた際、駅付近の店をスマートフォンで調べていたらしい。


「調べた限りだと、駅から少し歩いたところに食堂があるみたいだよ」

 彼の言葉に手を引かれるようにしばらく歩いていくと、食堂らしきのれんのついた建物はすぐに見つかった。のれんをくぐって中に入ると、人の良さそうな二十代半ばくらいの女性に笑顔で迎え入れられる。平日の昼間だからか、店にはその女性以外には、老夫婦が一組いるだけで、店中は随分とガランとしていた。空いていた窓際のテーブル席に腰かけて、メニューを開く。「これにしようかな」とくるくる指で丸を描く彼に「私も決めた」と告げると、呼ぶスイッチはなかったので、彼は片手をあげて店員を呼んでメニューを伝えた。手慣れた様子で注文を聞いた店員の女性が、厨房に料理を伝え終えると、手持無沙汰なのかこちらの席に寄ってきて、声をかけてきた。いや、多分彼に向けてだった。視線がなんとなく、そう見えた。


「二人は大学生?」

 そんな言葉から始められ、メニューを注文してからテーブルに運ばれるまで、女性からいくつかの質問をされた。


「そうです。今はちょうど大学が休みで、いい機会だから彼女と電車で旅をしてみようと思って」


 こちらが答えるよりも先に、正面に座る彼が笑顔で応対した。よくそれだけすらすらと言葉が出てくるなとか、さりげなく彼女と嘘をついたなあとか、顔のいい彼が受け答えしてくれたから、相手の女性も嬉しいだろうなとか、相変わらずコミュ力高いなとか、その他色々思うことはあったけれど、そのどれもを口にすることなく、黙って二人の会話を眺めていた。


「何にもないところだけど、ゆっくりしていってね」

「そんなことないですよ。だいぶ前なんですけど、テレビでこの場所を見たんです。海が綺麗で、とてもいい場所だと思います」


 彼の言葉に、店員の女性が嬉しそうに顔をほころばせる。地元を褒められるというのは嬉しいものなのだろう。その後、焼き魚定食と生姜焼き定食がテーブルに運ばれてきたのでそれぞれ口に運んだ。


 会計をして帰る時に、店員の女性がこちらに向かって微笑んで送り出してくれた。

「機会があれば、また来てね」

「……はい」


 ほとんど彼と同時に頭を下げて食堂を後にし、来た道をもう一度引き返す。空腹を満たしたことで、今度こそ海へ向かおうという気になれた。


 流れる景色を見ながら、ぼんやりと考える。

 ……あの人は、また来てねと言ってくれたけれど。

 また来れるのかな、と隣の彼を見ながら思う。

 次また来れるかは、きっと彼次第だ。

 これからの行動で、全て決まってしまうのだろう。


 そう思いながらも、それを表情に出さず、隣の彼と共に目的地である海へと足を進めていった。



 *



 おそらく、最初からこの旅行は存在してはいけない類のものだったのだろう。

 本当は断るべきだった。何言ってんのアンタはって、小さい頃みたいにふざけた調子で馬鹿にして笑うべきだった。少なくとも、頷いて賛同してしまうよりは。


「――いいよ」

「…………え」


 提案してきたのはそっちだというのに、了承したらしたで、彼は明らかに戸惑った表情を浮かべていた。


「……本当に?」

 そう口にした彼の言葉も、若干震えていたような気がした。首を少し動かし、彼の目を正面から覗きこんで笑みを浮かべる。


「だから、いいよ。付き合ってあげる」

 再度口にすると、彼は何とも言えない目でこちらの顔を見てから「ありがとう」と笑った。


「優しいよね」と彼は言った。昔から君は、ずっと優しいね、と。

 そうかな、と思った。そっちの方がよっぽど優しいと思うけど。でも、どちらも口にはしなかった。言ってしまったら、夜に思い出して絶対後悔してしまうと思ったから。

 彼は最後まで、逃げ道を残してくれたのだと思う。でも、それらを無視して言ったのだ。いいよ、と。


 多分彼は今でも迷っている。巻き込んでいいのだろうかと。そして、どこかの折で引き留めようとしてくれている。


 多分それは、ずっと昔から持っていた、分かりにくい、彼の優しさだった。



 *



 しばらく歩いて行くと、降りてきた駅が再び見えてきたので、今度は看板通り海へと続く道へと向かっていく。海への道はすぐに途切れて、足元は砂浜へと変わっていた。電車の窓から、もしくは駅から見ていたよりも、視界いっぱいに海が広がっていて、空も海も青く澄んでいた。


「海、綺麗だね」

「……うん、そうだね」


 声をかけると、彼は若干言葉を詰まらせながらも、同意を示してくれた。

 その横顔を見れば分かる。彼に迷いがあることを。それで分かるくらい、長く一緒にいた。幼馴染と言っても差し支えないくらい、隣にいた。想いが一緒になることだけは、最後まで叶わなかったけれど。


 どうしようもなく切なくなる。その思いを断ち切るくらい速く、私は彼を置いて海へと駆けていった。



「同じクラスのあの子が好き」と告白されたのは、高校生のいつのことだっただろう。それを聞いた時、どんな表情をしていたのだろう。


 そうなんだ、とか頑張って、とかそんな月並みな言葉の前に、なんで、って言葉が口をついていた。


 なんでわざわざ報告してきたの、と。

「一番頼りになるから」と、彼は言った。その眼はまっすぐで、本心から言っていることはすぐに分かった。


 だから言えなかった。

 ずっと好きだったことなんて。


 その後何か月か付き合って別れたらしいけど、あんまり見ないようにしていたから何をしていたのか正直知らない。思えばその時期から、だんだんと疎遠になっていった気がする。彼に抱いていた淡い感情も、少しずつ薄れて無くなったと、あの日再会する前までは思っていた。



 彼を追い越し、そのままの勢いで海へと近づいていく。後ろで何か言っているような気がしたけど、波の音で聞こえづらいことを言い訳にして、そのまま波の方へと足を進めていった。


 足先から、少しずつ身体が塩水に浸されていく。冷えていてとても気持ちがいい。膝あたりまで海に浸かったところで、「ねえ」とまだ砂浜にいるであろう彼に向かって声を張り上げた。


「――ねえ、早く来なよ。それとも何、今さら怖気づいちゃった? そうだよね、アンタは昔から臆病だった。今でこそ、かっこいいなんてもてはやされているけど、本当は臆病なことを知っている。だから」


「――――――――ねえっ」

 焦ったような彼の声で、後ろを振り返る。その表情が、小さい頃の彼の泣きそうな表情と重なった。


「…………やっぱりやめない?」

 予想通りの泣き言に、思わず笑みがこぼれる。


「アンタが言い出したんでしょ、ねえ――――」

 随分情けない顔をしている彼に、あの日言われたその言葉を唱えた。



「――――一緒に死んでほしい、って」



 *



 およそ一週間前、彼にそれを言われた時のことを、今でもはっきり覚えている。お盆だからと高校卒業ぶりに帰省した地元で、私は高校卒業ぶりに幼馴染の彼と再会した。


 私はキャリーケースを持っていたけれど、彼の方はジーパンのポケットに長財布をさしているというラフな格好だったから、すでに帰省してどこかへ出かけた帰りだったのだろう。


 元気だったとか、学校はどうとか、そんな他愛ない話を日陰に場所を移してしばらく楽しく話をしていた。そんな折に言われたのだ。一緒に死んでほしいと。


「――は?」

 第一声は、たった一文字しか口に出なかった。


 耳には届いた。頭にだって、ちゃんと入ったはずだった。でも、頭に入ったはずなのに、言葉の処理が追い付かなかった。頭が、脳が、目の前の彼の言葉を、拒否しようとしていたんだ。聞き間違いであれと、もう一度彼に尋ねる。


「今、なんて」

「だから、一緒に死んでほしいって」


 ……聞き間違いでは、なかったらしい。

 頭が痛くなってきた。急速に、頭がグラグラと回っていく。

 ――どうして、こうなったんだろう。


 そこでなぜか思い出したのは、目の前にいる彼に好きな子がいる告白された日のことだった。



「さっきまで、お墓参り、言ってたんだ」

 知らなかった。彼の兄がこの春に亡くなっていたこと。何度か遊んだこともあるあの人が、今はもういない事実が、一瞬受け止められなかった。


「俺には何も言ってくれなかった。病気だったことも、もう先が短いことも。大学で頑張っている俺の邪魔したくないって。兄に止められていたから、親も俺に言えなかったみたい。でも、知らせて欲しかったな。そうしたら、こんなに後悔がなかったはずなのに」


 一度顔を俯かせた彼が、どこか悲しそうな笑みを浮かべ、こちらに顔を向ける。


「……一緒に死んでほしい、は言い過ぎた。でも、死ぬ覚悟で旅行に行ったら、兄の気持ちが少しくらい分かる気がしたんだ。……だから、ふりだけでいい。学校もちょうど休みでしょ? 久しぶりに会っておかしな提案だけど、君さえよければ、一緒に来てくれないかな?」


 言葉だけ聞けば、彼はその旅行で兄との思い出に区切りをつけるつもりなのだろう。でも、私には分かった。放っておいたらどうなるかも、なんとなく想像ができてしまった。

 だから、言ったのだ。いいよ、と。そうじゃなきゃ、一生後悔することになると思ったから。

 私の答えを待っている間の彼は、ずっと穏やかな笑みを浮かべていた。

 そのくせに目は、陸に打ち上げられて数日放置された魚のように濁っていたのが、ひどく印象に残っていた。



 *



 つまりこれは、心中旅行だ。

 彼は私を心中相手に選んだ。

 そして私はそれを了承して一緒についてきた。

 いけなかったのは、どちらだろう。

 ……きっとどちらもだ。

 提案してきた彼も、それを受け入れてしまった私も。

 初めからきっと、この旅行自体が成立した時点で、間違っていたのだろう。



 *



 私の言葉で、彼の表情が歪んだ。あの日の再現。違うのは、それを発した人物と場所くらいだ。私たちはきっと、長く一緒にいすぎた。互いの本心が、なんとなく分かってしまうくらいには。


 だから、これから起こるであろうことも予想できる。

 もう、全て終わりにしてもいい頃合いだろう。

 条件はすべて揃っている。あとはどちらかが手を引くだけだ。


 ……どちらに? 願わくば、こちらの望んでいる方向ならいい。


 彼の手が、私の元に伸ばされる。結末を見たくなくて、反射的に私は目を閉じた。



 もしかしたら、目の前の彼はと考える。

 あの時。「一緒に死んでほしい」と言った時。

 本当は「やめなよ」と、腕を引いてほしかったのかもしれない。そして「ここにいてもいいよ」と言われたことをもっともらしい理由にして、「そうだよね」と言って、何とか思いとどまろうとしていたのかもしれない。でも、彼の予想に反して、私が「いいけど」とうなずいてしまったから。引くに引けなくなって、ここまで来てしまったのかもしれない。


 腕を引いて、引き止めてくれるような相手。その役割を担う人間として、白羽の矢が立ったのが私だったのは、どう考えても人選ミスだとは思う。彼の話を聞いて客観的な判断ができる人が選ばれるべきだった。でも、彼にそれを言ってもきっと仕方ないことだ。今だってきっと知らないから。自分の恋に精一杯だった彼が、気付いているわけなんて、ないのだから。


 ただ、こんな私でも相手として不足ないらしい。

 こちらに向かって走ってきた彼が、その勢いで私の身体を痛いほどに抱きしめる。圧迫されて、息が苦しくなって、呼吸もままならなくなって。でも生きているからこそ感じることのできる苦しさに、よかった、私は今生きているんだと、少しだけ幸福感を覚えた。


 しばらくしても、彼はずっと私の肩口に頭を押し付けて、鼻をぐずぐず鳴らしてすがりついていた。彼の涙やら鼻水やら、身体に定期的に当たる海水やらでベットベトになってしまったパーカーに同情をしつつ、まあ下にTシャツを着ているから最悪脱げばいいかなと、ずいぶんと冷静に思考を巡らせ続けていた。そんな折に、なんで君だったんだろうなって言葉が、ほとんどぐしゃぐしゃだったけれど、私の耳に届いた気がした。


 彼自身が分からないのなら、他人の私が分かるわけもないだろうに。


「さあ、誰でもよかったんじゃないの」

 そう答えると、分かってないとさらに身体をきつく締め上げられた。コイツ私のこと絞め殺す気なんじゃないのだろうか。そんな死因は絶対嫌だから、命の危機を感じたら必死に抵抗してやろうと、心の中でひそかに誓っておいた。力で彼に敵うとは、全く思ってないけれども。


 ただ、やっぱり最低限引き止めてくれそうな相手かを考えてから選んで欲しかったと、頷いてしまった自分のことを棚に上げ、彼の背中に腕を回しながら、そんなことを頭の片隅で考えていた。



 *



「夏も終わりだね」

 俺の背中に腕を回した彼女が、ポツリと言葉を漏らした。


「急にどうしたの」

「なんとなく。ヒグラシの音とか聞こえるし」

「……君の感性が、本当に分からないんだけど」


 なんで彼女は今、そんな話をしているのだろう。


 俺が引き止めていなければ、彼女はそのまま死んでいたのかもしれないのに。

 よほど俺がムッとした表情をしていたのか、目が合った彼女がどこかおかしそうに口元をゆがませた。何その表情。そう口にする前に、彼女の手の平が俺の頭を優しく撫でた。


 温かい。


「よかった? 生きてて」

 トクン、と心臓が動く。


「…………うん」

 口にして再び感じたのは、確かに生きているといる実感だった。目頭が熱くなって、さっきまでしていたようにもう一度頭を彼女の肩にうずめる。

「くすぐったいんだけど」と聞こえた声は、無視しておいた。


 あの時。「一緒に死んでほしい」と言った時。

 彼女のことだから断ると思っていた。何言ってんのアンタはって、いつものように俺を馬鹿にして笑うと思っていた。でも、予想に反して、君は俺の言葉にうなずいてくれたから、予定が少しずつ狂ってしまったのだと思う。


 そこまでは、どういう気まぐれなんだろうくらいにしか思っていなかった。でも、進んでいくに従って、だんだんと良くない方向に考えが行き始めた。


 もしかしたら、彼女は本気で俺と一緒に死ぬ気なのかもしれない。

 そんな不安に、少しずつ心が侵されていった。


 俺だって別に、中途半端な気持ちで彼女に言ったわけじゃない。それくらい本気だったし、悩みに悩んで決断したのに。でも、いざその場所に着いた時は、不安で仕方なくて、なんでこんなこと考えたんだろうって後悔しかけていた。なのに隣にいた君は、言い出した俺よりも、よっぽど覚悟を決めていたように見えた。海に近づくにつれて、もしかしたらはどんどん確信へと変わり始めた。


 ――全部、君のせいだ。


 いとも簡単に頷いて、一緒に付いてきてくれたから。やっぱりやめようと引き返す暇さえ与えないほどに、言い出した俺すらも追い越して先に行こうとしてしまいそうに見えたから。


 ――俺が引き止めるしかないって、そう思ってしまったんだ。


 俺の涙でぐしゃぐしゃになったパーカーもそのままに、彼女はずっと俺が泣き止むのを待っていてくれた。


「君は臆病だから、自殺するなんてことできないよ。誰かを巻き込んで心中なんて、もっての他だ。誰かに迷惑をかけるなんてこと、君がするわけがない」

「……やけに確信めいた言い方だね」

「実際にそうでしょ」


 実際にその通りだから、何も言えなかった。俺のことをよく知っているな、とぼんやり考える。


 でも、目の前で穏やかな表情で笑う彼女は、今でもきっと知らないだろう。

 高校の時、クラスメイトの子に告白して数か月の交際ののち振られた時、その子に何て言われたのかを。


「他に好きな子がいるでしょ。きっとあの子だよ」


 名指しされたのは、いわゆる幼馴染の関係にあった彼女だった。

 それがどういう意味なのか分かる前に、彼女とはクラスが離れてしまった。でも、別のクラスになった時、そして高校を卒業して進学先の大学でふと顔を思い出すと、もしかしたらそういうことなのかなあと思うことはあった。


 でも、見ないふりをした。彼女も俺のことは嫌いではないだろうけれど、恋愛的な意味かと問われたら話は違う。想いが一緒とは限らない。もし違っていた時に、自然に振舞える自信がなかったから。でも、どこかで向き合っていたら、今の状況も少しは変わっていたのだろうか。この旅行にも、別の意味を持たせることはできただろうか。


「別にさあ、私死ぬつもりなんかなかったんだよ」

 俺の肩口に顔をうずめながら、彼女はポツリと言葉を漏らした。


「……うん」

「でも、次会った時がお葬式の棺桶の中みたいな状態の人を見て何とも思わないほど、図太くなかったから」

「…………うん」

「だから、分かってもらおうと思って……こんな真似してごめんね」

「……俺も、ごめん。変なこと言って」

「別に変なことではないけど……ああ、うん。次会った時は、いつもの感じでいてよ」



 それじゃあ、帰ろうか。

 朝にはかわされたその手が、今度はしっかり俺の手を握ってくれた。



「次はさ、ちゃんと観光しよう」

 海から上がった時、彼女がぽつりと呟いた。


「また昼食はあの食堂に食べに行こう。今度は私が店員と話して盛り上がって、アンタのこと置き去りにするから。二人でずっと話してて、私さ、退屈だったんだよね。あと歩いている途中で気になる場所を見つけたの。多分古本屋だったと思うんだけど。ああいう場所は入って眺めるだけでも価値があると思うよ。ね、アンタもそう思うでしょ?」


 浅瀬まで戻り、二人して堤防の上を歩いていく。

 矢継ぎ早に話す彼女は、海から上がった時にパーカーを脱いでTシャツ一枚になっていた。Tシャツから覗く彼女の腕がやけに白く目に映り、全然日に焼けてない生活してるのかなあなんて失礼なことを考えていたせいで、正直彼女の話はあまり聞いていなかった。


 もう一度、心中相手の関係から幼馴染まで、やり直すことができるだろうか。


「……夏が、終わるね」

 小さく呟くと、隣にいた彼女が「さっき私が言ったじゃん」と、なんだか馬鹿にした口調で笑いかけた気がした。



 終


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