令和神話 -PLACEBO ; GHOST-

OOP(場違い)

1.『亡霊少女とシン時代』

ブラックセーラー

「この私、ブラックセーラーが裁く。

 貴様らは……だ」


 高層ビル14階に位置する事務所の窓ガラスを飛び蹴りで破り、我々のボスのハゲ頭の上に悠々と着地した真っ黒なセーラー服の少女は、凛とした口振りでそう言った。


 花の形を模した大きなシュシュから伸びるポニーテール。黒いセーラー服のピンク色の襟と一体化したマント。冗談のような空色のスカートには、髑髏みたいな飾りベルト。

 他のメンバーは何かのコスプレだとしか思っていないようだが、俺には分かる。分かってしまう。

 あの都市伝説は、本物だったのだと。


「架空の仮想通貨を利用した詐欺。半グレ組織と共謀し、中高生を脅して金銭をむしり取る悪質な強請り。その他諸々の悪事。

 私が黒と裁いた悪人には……必ず。法の裁きを受けさせる」

「ぼ……ボスッ!!」


 白目を剥いて机に突っ伏すボスの姿に、幹部の力二りきじは激高し、すぐさま銃を構える。


「おいゴラ糞アマ! 早よそこ退かんかい!!」


 力二の小銃トカレフが、耳をつんざく破裂音と共に火を吹き、銃弾は寸分の狂いもなく少女の眉間へと飛んだ。

 しかし、銃弾の風圧が前髪を捲り上げる中で、少女は目を閉じも見開きもしない。弾丸は眉間に着弾する直前で急激に弾速を弱め、やがてその場に転がり落ちた。

 場が、一気にざわつく。


「こいつ……成神ナルカミか!」

「…………」


 黙って、少女はゆらりと体を前に倒す。

 次の瞬間、少女の姿が忽然と消えた。


「あっ!?」

「どこ行きやがっ……がふぁっ!」


 次に少女が降り立ったのは、轢かれたカエルのように地に伏した力二の頭の上だった。

 力二以外のメンバーも、今の一瞬で一撃かまされたようで、次々にパタパタと膝から倒れていく。

 あっという間に半分やられた。

 やばい。グループのメンバーが次々と自分の銃を抜く中、俺は何をすることも出来ず、近くにあったデスクの陰に隠れる。


 近頃、世間を騒がす正義のヒーロー。

 現在も連載中の人気マンガ『ブラックセーラー』の主人公・サキと、格好だけでなく顔立ちやスタイルまで完全に一致したヒーローが、日本中で目撃されているのだという。

 そいつは、逃走中の凶悪犯から俺たちのような表に出ない詐欺グループまで、古今東西ありとあらゆる悪党の前に現れては、淡々と鉄拳制裁を行って警察の前に引き摺り出し、何も言わず去っていく。

 バケモノじみた身体能力を持ち、時でも止めたかのように素早く荒くれ者どもの意識を刈り取ってゆく様は、まるで漫画からそのまま飛び出してきたかのようだとか。


 この令和の時代に、こんなネット黎明期みたいなオカルト都市伝説が流行るかよ。

 そんな風に冷笑し、今の今まで全く信じてなかったが……まさか、本当に現実のものだったなんて。


「クソッタレ、どこの差し金だ……!?」

「いくら成神でも頭撃ちゃ死ぬ! どんどん撃て!!」

「撃て! 撃て! 殺せェーーッ!!」


 俺も続くべきかと、背広の懐に入れた拳銃の安全装置を外そうとして、怖くなってやめた。

 こいつらとは違って意気地無しな俺は、これを人に向けて引き金を引いたことがない。冷たい、いやな唾を飲み飲んで、俺はそれを懐に戻す。

 デスクから少しだけ顔を出して、少女の様子を確認する。

 彼女は依然として、力二の上に両足揃えてピンと立っていた。次々と彼女を狙って襲い来る弾丸たちは、みな一様に見えない壁に阻まれて床に落ち、カランと空虚に跳ねる。


(あれ? ……ていうか……)


 少女の顔を見て、俺は、デジャヴ……というか……。奇妙な違和感に襲われる。

 昔、どこかで会った。会った……いや、会ったというか、もう少し深い繋がりだった気がする。

 友達……なのか。恋人じゃないことは確かだが。しかし、26を過ぎた俺のような男に女子高生の友達などいるわけもない。

 じゃあ、この感覚は何だ……?


「ボサっとしてんな! てめぇも撃つんだよ椎橋しいばし!」


 後ろから頭を叩かれ、我に返る。

 そうだ。この少女の狙いが何なのかは分からないが、ともかく確実に言えることは……俺はこんな所で捕まる訳にはいかない。

 やられる前に、殺れ。

 俺の頭を叩いた同期が、弾倉を再装填して少女の近くに走っていくのを尻目に、俺は懐に手を入れ、荒い息を立てる。

 やられる前に、殺れ。

 やられる前に、…………。


「……無理だ、出来ない……」


 俺が撃ったところで、あの少女に弾が当たることは、恐らく、ない。

 それでも、実弾を人に向けて撃つことは、俺にはどうしてもできなかった。考えるだけで、歯がガチガチと音を立てる。首筋の汗がひどく体温を下げる。


「グアァッ!!」


 野太い断末魔。

 驚き、周囲を見渡すと、そこに立っていたのは少女だけだった。

 今の一瞬で、さっきまで少女に銃を向けて引き金を引きまくっていた男たちは全員地に伏し、少女の足場にされていた。

 ……残るは、俺、ひとりだけ。

 マントを翻らせ、静かに、光のない瞳でこちらをめつける少女。俺は尻もちをついて、その場から一歩後ずさる。


「く……来るなッ!!」

「…………」


 安全装置を付けたままの銃を少女に向け、俺は精一杯の威嚇を試みる。

 当然、さきほどまで鉛玉の雨を目の前で受け止めていた少女にそんなハッタリが通用するはずもなく。少女は俺たちの目の前で初めて床に降り立つと、ぺたりぺたりとこちらへ歩みを進めてくる。


 いやだ。

 撃ちたくない。

 捕まりたくない。

 こんな世の中で、真面目に仕事するなんて馬鹿らしくてやってられねぇだろうが。騙される方が悪いんだ、詐欺で稼いで何が悪い。


 涙目になりながら、引けるはずもない引き金をカチカチと引くまねをする。

 5メートル。4メートル。少女は歩みを止めない。


「来るなっつってんだろうがァーー!!」

「…………」


 3メートル。2メートル。1メートル。

 少女の整った顔が、目と鼻の先に迫る。

 あぁ、終わった。


 ……そうだ、今思い出した。


 こいつ、中学の時の……、


「……時任神奈子ときとう かなこ

「…………?」


 今まで無表情だった少女の顔に、ひとかけらだけ、戸惑いの色が混ざった気がした。


「死……ねェッ…………!」

「っ!?」


 突如。

 呻き声と重なるように、銃声が事務所を駆け抜ける。

 それは、力二が最後の力を振り絞って引き金を引いた小銃によるものだった。


「うぁっ……!!」


 これまで何百発という銃弾を向けられて一発も被弾しなかった少女の肩に、ようやく一撃、ヒットする。

 貫通した銃弾が、俺の頭一つぶん横を掠めていった。

 黒いセーラー服が血で滲む。痛みに少女がくずおれるのを見て、心無しか満足そうに、力二は再び意識を失った。


 ……今だ。

 今しかない!


「うぉあああああああァァァァッ!!」

「……!」


 俺は未だに安全装置を外していない拳銃を逆手に持ち、グリップ部分を振りかぶり、負傷した少女に襲いかかった。

 動揺からか、一瞬反応が遅れた少女は、ガードしようとしたものの間に合わず、俺の打撃をモロに脳天に受けた。

 少女の瞳がグラリと揺れた気がしたが、ただの希望的観測だったのか一瞬で持ち直したのか、すぐに少女は体勢を立て直し、俺に掴みかかる。

 首を真正面から掴まれ、目の前が真っ赤になる。そのままお互いに地面に倒れ込み、髪を掴み顔を殴り、ボロボロになりながら泥仕合を演じる。


「くっ……くそ……はこんなバケモンじゃなかったっての……!!」

「…………委員長……?」


 委員長、という言葉に反応した少女の力が一瞬緩み、俺の両手が自由になる。


「うらぁぁっ!!」

「うくっ!?」


 自由になった両手を使って、俺は、真っ先に少女の空色のリボンを狙った。

 セーラー服の襟の下に下がったリボンを少女の細い首筋に二重に巻き付け、締め上げる。

 少女の顔は次第に赤く染まっていき、苦しそうな声が、徐々に悲痛なものになっていく。


「カ……ァ……ハッ……!」


 ……死んでしまうんじゃないか。

 そんな不安が、リボンを握る拳の力を弱めてしまう。当然その隙を見逃す少女ではなく、すぐに緩んだ首とリボンとの間に手を滑り込ませると、凄まじい力でリボンを引きちぎった。

 そのまま足を大きく振り回し、馬乗りになっていた俺を払い除ける。


「どぁっ!!」


 大きく吹っ飛ばされながらも、じんじんと痛む全身に鞭打って、俺は立ち上がる。

 さっきまで感じられた、成神としての人間離れした力が弱まってきているように見えた。これなら、もしかしたら、勝てるかもしれない。

 闘志を燃やしながら少女を睨みつける俺だったが、少女は……つい数秒前とは、まるで雰囲気が変わっていた。


「……あれ?」


 凛とした雰囲気は消え、その表情には戸惑いと恐れだけが見える。あまりに間の抜けた声は、口から疑問符を吐き出しているかのようだ。

 俺も力が抜けてしまい、その場に立ち尽くす。何が起こっているのか、まるで分からなかった。


「……あなた、椎橋くんよね?」

「…………は?」

「あ、えっと……ごめんなさい。人違いでしたか。雰囲気が似てたから……」


 その喋り方。

 口調。

 俺を『椎橋くん』と呼ぶ、その呼び方。


「……いや、人違いじゃない」

「え? でも……」

「あんたは……『委員長』……時任神奈子、なのか?」


 あれはまだ、この国に成神がいなかった頃のこと。

 あれはまだ、この国の元号が『令和』じゃなかった頃のこと。

 あれはまだ、自動車に事故防止AIの搭載が義務付けられていなかった頃のこと。


「……はい」


 中学2年生の夏、死んだはずの少女は。


「……なんてこった」


 今、漫画の主人公の姿で、蘇っていた。

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